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ボイラー爆発後の蒸気機関車を記録した古写真(19世紀後半から20世紀前半)

2020年05月18日 | 世界びっくりニュース
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ボイラー爆発
ボイラー爆発後の蒸気機関車 vintag.es

 19世紀後半から20世紀始めにかけて、蒸気機関車のボイラーはたびたび爆発したそうだ。

 その原因は、スケーリング(不溶性固形物がボイラー内に付着すること)やオーバーヒートを引き起こす水処理のミス、低水位、安全バルブの詰まり、あるい機関士・機関助士の操作みすなど、たくさんある。最悪の場合、ボイラー爆発につながる炉の爆発もある。

 失敗は成功の母とも言われているが、産業革命以来、人類は数々の失敗を乗り越えて現代のテクノロジーを築き上げてきた。

 ここでは、写真に記録されたボイラー爆発後の蒸気機関車の写真を見ていこう。

危険なボイラー爆発


 特に危険なのは、機関車タイプの煙管ボイラーの爆発だという。

 ボイラーの火室の上部には、常にある程度の水をはっておかなくてはならない。そうしないと、炎による熱でここの天井板が脆くなって、通常の作動圧力でも限界に達してしまう可能性があるからだ。

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 こうした失敗は、鉄道機関車に限ったことではない。機関車型ボイラーは、牽引自動車、可動式エンジン、採鉱や伐採用のスキッドエンジン、製材所や工場用の定置エンジンにも使われていて、パッケージボイラーとして、加熱等のプロセスのための蒸気を供給していた。いずれにしても、水位を適切に保つことが、安全に操業するための基本だ。

 初期の頃から、試行錯誤を繰り返して、わたしたちは蒸気機関のさまざまな知識を得てきた。爆発の災難やその結果生じた損害は、避けられないことだったが、19世紀末までには、設計や保全整備が劇的に改善されて、爆発事故はかなり減った。その改良は20世紀に入っても続く。

 その後、さまざまな防護装置がとられるようになり、爆発事故はまれになった。政府や業界の要望によって定期点検が義務づけられたからだ。安全装置が効かないと、温水器が驚くべき破壊力で爆発することもあったのだ。

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References:Bizarre Vintage Photos Of Steam Engines After A Boiler Explosion From The Late 19th And Early 20th Centuries/

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大学教授と生き返った遺体の世にも奇妙な物語

2020年05月15日 | 世界びっくりニュース
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世にも奇妙な物語

 歴史の隙間からこぼれ落ちて埋もれ、歳月の流れの中でいつしか忘れ去られてしまった奇妙な出来事を掘り起こすと、好奇心が満たされていく。

 歴史はそんな話であふれていて、いつもわたしたちを驚かせてくれる。過去からそんな不思議な話をひとつ引っ張り出し、光を当ててみよう。

 今回は18世紀、ドイツの医学教授が体験した、解剖用に引き取った死刑囚の遺体がクローゼットの中で生き返るという、世にも奇妙な物語を見ていこう。

医学教授が体験した世にも奇妙な物語


 18世紀、ドイツ、ハレ大学にフリードリッヒ・クリスチャン・ユンケルという医学教授がいた。

 父親は、著名な医師で化学者だったヨハン・ユンケル。ヨハンは、やはりハレ大学の教授で、歴史あるフランケッシュ財団の理事だったこともある。

 この財団は、貧しく恵まれない人、孤児などのための学校で、こうした人たちへの医療行為も行っていた。さらにヨハンは、ハレの町を臨床医療訓練における国際的影響力をもつ中心地へと押し上げ、医療への取り組みや教育方法で最先端の地となるのを助けた。

 息子であるフリードリッヒは、その重責を担うことになったわけだが、彼もまた、優秀な教授、医師として名をあげた。そんな彼が、解剖用の遺体絡みの世にも奇妙な体験をした。

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ハレ大学 (1836年当時) public domain

独自のルートで罪人の遺体を業者から受け取っていた教授


 当時、医科大学は研究や解剖用の遺体がなかなか手に入らず困っていた。そのため、今日ではありえない手段でそれに対処していた。

 この頃は、墓泥棒が、埋められたばかりの新鮮な死体を掘り起こして、医療機関に売りさばく行為が横行していた時代だ。

 自ら遺体を掘り起こして需要を満たす教授もいたほどだが、フリードリッヒはこうした行為は不快で容認できないとして、盗まれた遺体は使わなかった。

 その代わり、独自のルートを利用して、処刑された罪人の遺体を密かに手に入れていた。どのように罪人の遺体を手に入れるのか、そうした詳しい内情は訊かずに、ただ業者から遺体を受け取っていた。

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遺体の1体が生き返った?


 ある夜、フリードリッヒはいつものように死体の宅配を受け取った。その日は2体あった。鍵を持っていなかったため、大学の解剖室へその遺体を持ち込むことができず、とりあえず、自宅の家のクローゼットに押し込んでおいて、朝になったら、移動させようと考えた。

 真夜中頃、フリードリッヒは不審な音が聞こえてくるのに気づいた。それはゴトゴトいう音や、なにかを引っ掻くような音で、フリードリッヒは明かりをもって、家じゅうを調べてまわった。

 すると、音の出どころは間に合わせの死体安置場所になっている例のクローゼットの中であることがわかった。

 最初、遺体と一緒に猫でも閉じ込めてしまったのかと思って、クローゼットのドアを開けて中を調べてみた。すると、遺体袋のひとつが開いていて中の遺体が消えていたのだ。

 もうひとつの遺体はそのままそこにあった。忍び込んだ泥棒に盗まれたのかと思い、家のドアや窓のカギをチェックしたが、どこもちゃんと施錠されていて、誰かが侵入した形跡はなかった。

 困惑したまま、フリードリッヒがまたクローゼットに戻ると、隅にうずくまっていた影のようなものが吐息をもらす音が聞こえ、ぎょっとした。

 明かりを掲げてよく見てみると、それは行方不明になっていた遺体だった。

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絞首台に吊るされ処刑された男は生きていた


 その男は、実際は死んでいなかったのだ。やっとのことで聞き出した話によると、男が最後に覚えているのは、絞首台で吊るされたことだったという。

 次に、目覚めたとき、袋に入れられていて、あたりは真っ暗だったらしい。男はフリードリッヒに「頼むから送り返さないでくれ、今度こそ、本当に絞首刑になっちまう、このままかくまって逃し
てくれ」と懇願した。

 死体男の顔は蒼白で、キャンドルの明かりに照らし出されたその姿は、この世のものとは思えないほど怖ろしく、フリードリッヒは怖気づいて後ずさりし、その場を逃げ出した。

教授は一歩、また一歩と後ずさりした。目を見開いて、そのおぞましいものを凝視したまま、ドアへと向かった。

死んだはずの男は、よろよろと立ち上がり、教授の後を追いかけてくる。見るも恐ろしい裸の姿、まさにゾンビのようなゆっくりした動き、気も狂わんばかりの深い沈黙、すべてが教授を圧倒し、思わず持っていたキャンドルを落としてしまい、あたりが真っ暗になった。

たまらずに逃げ出し、自分の寝室へ逃げ込もうとしたが、動く死体はまだついてくる。そして、そいつが哀れな泣き声をあげながら教授の脚にしがみついてきた。

教授は「放せ、放せ」と繰り返し、男の手から逃れようとした。男は「ああ、どうか、お慈悲を! あんたが誰かを呼んだら、俺は連れ戻されて、また処刑されてしまう。どうか頼むから、俺の命を助けてくれ」


教授、生き返った男を逃がしてやる


 死んだはずの男は、自分は脱走兵だから、容赦される余地はないと語った。今度はフリードリッヒは、男が幽霊などではなく、危害を加える気もなく、また絞首刑になることをただ怖れているだけだということがわかった。

 哀れに思って、助けてやることにしたが、さて、どうしたものか。べつの裁判権のある管轄区に逃がすためには、誰にも見られずに夜の間に町から脱出させなくてはならないが、城門を守る門番の監視を突破しなくてはならない。

 フリードリッヒは、自分の服とコートを男に着せ、大学の同僚として門を通過させる作戦を考え実行に移した。

 門番には、町はずれに危篤状態の人がいるので、同僚と急いでかけつけなくてはならないと話して、まんまと門を通過することができた。

 門を出るとすぐに、男はこの恩は一生忘れないと感謝して、夜の闇の中に消えていった。これが、生きかえった死体とフリードリッヒ・ユンケル教授の奇妙な話の結末だ。

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Pixabay

教授と生き返った男の奇跡の再会


 それから12年後、フリードリッヒはアムステルダムへ旅をした。世界の奇妙な出来事を集めた、1825年の『Professional Anecdotes』の194~195ページには、次のように書かれている。

12年後、フリードリッヒはたまたまアムテルダムへ旅することになり、そこで、身なりのいいひとりの男に声をかけられた。町一番の羽振りのいい商人だという。

その男は、丁寧な口調で、もしや、あなたはハレのフリードリッヒ教授では?と言うので、そうだと答えると、男はぜひ夕食をご一緒にと熱心に誘った。

フリードリッヒは承諾し、その商人の豪勢な家に向かった。家には、美しい妻とふたりの健康そうな子どもたちがいたが、見ず知らずの者への家族総出の歓待ぶりに、フリードリッヒは驚きを隠せなかった。

夕食後、商人は自分の執務室にフリードリッヒをいざなって言った。「わたしのことを思い出しませんか?」「いや、まったく」

「しかし、わたしはあなたのことをよく覚えていますよ。そのお顔を決して忘れたことなどありません。あなたはわたしの命の恩人なのです。そう、あなたの家のクローゼットで、生き返った者です。あなたはわたしにとてもよくしてくださった。あなたとお別れしてから、わたしはオランダへ逃れ、会計の才を生かして職を得て、さる常連客の利益を増やして、彼の信用とその娘の愛まで得ることができました」

「その後、その顧客のビジネスをわたしが引き継ぎ、義理の息子になることもできました。本来なら、わたしはあのとき死んでいて、こうした幸せを味わうことはできなかったはず。この家も、財産も、わたし自身も、すべてあなたのおかげなのです。これからは、自由にご利用ください」

 なんとも奇妙な話だ。どこまでが真実でどこまでが作り話かわからない。もちろん都市伝説である可能性もあるし、真実の可能性だってある。

 だがとてもよくできた話だ。これこそ、たいていは歴史の裏で忘れ去られてしまう奇妙な小話そのものだ。

 ひとつ確かなことは、クローゼットの中で死んだはずの人間がいきなり話しかけてきたら、なにはともあれ、助けてやったほうがいいかもしれない。


☆たまに生き返ることがあるから、お通夜があるんと違うんかいな!

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南国の楽園と勘違いして不法侵入したというディズニー島は1999年に閉鎖された廃墟島だった。その内部を公開

2020年05月13日 | 世界びっくりニュース
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ディスカバリー・アイランド
ディズニーの廃墟島、ディスカバリー・アイランド image credit: youtube

 アメリカのフロリダ州オーランドにあるディズニー・ワールドは、新型コロナウイルスのパンデミックにより3月から一閉鎖中となっているが、先日園内の島に不法侵入し、「自己隔離」と称してキャンプをしていた42歳の男性が逮捕された。「南国の楽園」と勘違いしたらしい。

 男が潜んでいたのは「ディスカバリー・アイランド」という島で、1999年に閉鎖され、現在にいたるまで約20年、立ち入り禁止となっているいわば廃墟島だ。

 「ディスカバリー・アイランド」の歴史と、最近の島の状況を『Design You Trust』などが伝えている。


Abandoned - Disney's Discovery Island

ディスカバリー・アイランドに不法侵入した男、「南国の楽園かと」


 ディズニー・ワールド内にある「ディスカバリー・アイランド」に船で侵入し、不法侵入の容疑で逮捕されたリチャード・マグワイア(42歳)。

 この島は、1999年に閉鎖され、立ち入り禁止の看板が掲げられている。制限エリア内にあり、現在もディズニー社の所有地だ。

 逮捕後、警察に「制限エリアとは知らなかった」「南国の楽園かと思った」などと供述し、ヘリやボートを使い捜索していた物音についても「建物内で眠っていたので気付かなかった」と供述したという。
 

ディスカバリー・アイランドの歴史


 ディスカバリー・アイランドは、元々トレジャー・アイランドという名で海賊をテーマにした島として1974年にオープンした。

 1978年にディスカバリー・アイランドに名が変更になり、環境保護に取り組み、生態系を豊かにし、野生動物と緑豊かな自然をメインとしたことで、観光客に人気のスポットとなった。

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image credit:Abandoned Florida

 しかし、それまではどうだったのか。

 今は廃墟島となってしまったディスカバリー・アイランドの様子を撮影した写真家および探検家、作家でもあるフロリダ在住のディビッド・ビルト氏によると、この島は1900年代初頭まではラズ一家により所有されていたことから、ラズ島と呼ばれていたという。

 その後、1930年代後半にデルマー・ニコルソンという人物が土地を購入。島の名はアイルズベイ島になった。

 彼は、妻とペットの鶴と一緒にこの島で20年間暮らしたが、その後売却。以降は、狩猟の隠れ家として利用されるようになり、島の名もライルス島に改名された。

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image credit:Abandoned Florida

1965年にウォルト・ディズニーが土地を購入


 ディズニー社が、この島を購入したのは1965年のこと。この時、島は「黒ひげの島」と変更されたが、1974年までは未開発のままだった。

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image credit:Abandoned Florida

 その後、ブエナビスタ建設会社がディズニーの新たな魅力となるトレジャー・アイランドのための景観を作り上げるため、島の周りに土地を追加してかなり拡大させた後、島には1000トンを超える岩や木が中国や南アフリカ、ヒマラヤなどから運び込まれた。

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image credit:Abandoned Florida

 1974年4月8日にオープンした「トレジャー・アイランド」へは、ウォルト・ディズニー・ワールドのクルーズの一部として、もしくはリゾート・ドックからの直接のアクセスが可能になった。

 島の名は、1950年の同名の映画にちなんで名付けられていたが、海賊をテーマにした部分はあまり注目されず、島に生息する多くの種類の野生生物の観察が人気を呼んでいたようだ。


1978年、最終的にディスカバリー・アイランドと名付けられる


 ディスカバリー・アイランドと呼ばれるようになった1978年からは、ディズニー社は動物や植物の保護を重要な要素とし、環境保護に真剣に取り組む姿勢を見せるようになった。

 その結果、島の公園は1981年には米国動物園および水族館協会から認定を受けるほどになったという。

 しかし残念ながら1999年に閉鎖。以降、島にいた全ての野生生物はアニマル・キングダムへ移動された。

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image credit:Abandoned Florida

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image credit:Abandoned Florida

 現在は、残された建物は廃墟となって荒んだ雰囲気を醸し出しているが、人がいなくなっても植物は成長し続けており、ビルト氏が撮影した写真を見るとより一層野生環境が目立つ。

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image credit:Abandoned Florida

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image credit:Abandoned Florida

 ちなみに、この島では1990年に絶滅したと伝えられているホオジロ科に属するハマヒメドリが1987年まで定住していたことが報告されている。
References:More: Abandoned Florida, Facebook, Instagram h/t: hollywoodreporter /

☆パラダイスやがな!

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知られざるマニアックスポット。スイスにある、古代エイリアンに特化したミステリーパーク

2020年05月11日 | 世界びっくりニュース
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エイリアンのテーマパーク

 今や世界各国でが外出制限中だが、ネットの中でなら世界各国の様々な観光施設に旅することができる。またリアルに旅行できるようになったら、行きたい場所としてブックマークしておけばよい。

 昨今は、あらゆる嗜好に特化したテーマパークがあるが、知る人ぞ知る隠れマニアックパークもいくつか存在する。

 そのひとつが、風光明媚なスイスの山岳地帯にある、徹底的してエイリアンや古代宇宙飛行士(宇宙人)に捧げられたミステリーパークだ。

古代エイリアンに特化したテーマパークのはじまり


 このテーマパークのそもそもの始まりは、なにかとおさわがせなスイス人SF作家で研究者のエーリッヒ・アントン・ポール・フォン・デニケン

 彼は地球外からやってきた古代エイリアンが人類と接触してさまざまな影響を与えたと信じている。ベストセラーになった彼の著作「未来の記憶」は有名だが、偽科学、偽考古学を広めていると批判された。

 しかし、その名は知られていて信望者も多く、一連の行動は古代のUFOや古代宇宙飛行士説という考えを推し進める原動力となった。この奇説を正当なものとして押し上げ、広く一般人の意識に植えつけたひとりであることはまぎれもない。

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iStock

 古代宇宙飛行士説は、人類史上の古代または超古代に宇宙人が地球に飛来し、人間を創造し、超古代文明を授けたという疑似科学で、エジプトのピラミッド、ナスカの地上絵、ストーンヘンジなど、現在地球上に存在する数多くの遺物の建造にエイリアンが絡んでいるとする仮説だ。これが一般的によく語られているのはデニケンのおかげだ。

 おもに文筆や講演で生活していたが、手掛けたホテルビジネスでの横領、詐欺、偽造、さらには盗作の罪で服役していた間、大作の構想を練っていた。それが、この古代エイリアンとその謎に完全に特化したテーマパークだった。

 デニケンは、少なくとも1997年から、無数の謎を網羅したこうした巨大なテーマパークの構想を描いていたようだ。

 遥か大昔にエイリアンと人類が接触していたという大胆な説から着想を得た大テーマパークをオープンしようと思いつき、家族で楽しめる環境で、このアイデアをメインテーマに育んでいこうとした。

 夢のパークの設計を本格的に始め、この型破りな考えに出資してくれる投資家を探した。

 建設工事は、スイスアルプス、美しいベルナー・オーバーランドのインターラーケンにある、元軍用飛行場だった場所で進められ、2003年にミステリーパーク「ユングフラウ・パーク(Jungfrau Park)」と名づけられて一般に公開された。


4K Interlaken - Jungfraupark Interlaken, Kinderparadies Mysty Land

8つのパビリオンに分れて地球の謎を探索


 パークは、それぞれ違った8つのパビリオンに分かれていて、わたしたちの地球のさまざまな謎を探索できるようになっている。

 ペルーのナスカの地上絵が目玉であるナスカセクション、積荷崇拝(現代文明の産物を満載した船または飛行機に乗って祖先たちが帰り、 白人の支配から自由になる日が訪れるという信仰)などのコンタクトエリア、巨大遺跡ストーンヘンジエリア、謎めいたマヤ暦、ギザの大ピラミッド、未確認飛行物体やインドの古代UFO、宇宙旅行、火星探検といった展示場がある。

 もっとも興味深いのは、パノラマ・クーゲルという巨大なドーム型パビリオンで、デニケンの作品や絵が展示されている。


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 古代宇宙飛行士説満載で、もちろんエイリアンや初期の人類への影響ももれなく網羅している。ここは間違いなく、わたしたちの知っている歴史ではなく、エイリアンに彩られたパークなのだ。

 このパークは、相当な鳴り物入りでオープンした。場所柄にもよるところも大きいが、最初の100日で20万人近くが来場した。

ミステリーパーク

ミステリーサークル事件がきっかけで来場者激減、一時閉園へ


 2004年には44万4000人を動員したが、これ以上は続かなかった。科学界の多くが、パークの究極のメッセージに疑問を呈し、作者の考え方は非常に問題があり、子どもたちに間違った歴史を植えつけてしまうとされた。

 スイス科学技術アカデミーは、"科学的チェルノブイリ"とまでこきおろした。さらに論争は続き、2005年には、ミステリーサークル絡みの事件が起こった。

 パークで一般参加によるミステリーサークルコンテストが行われ、測量士とアーティストのヴィターリ・クルジャソフがパークのそばに手の込んだミステリーサクルを作ろうとした。

 ところが、とりかかる前にべつのミステリーサークルが突如として現れた。本当に超常現象が起こったと人々は信じたが、調査員が調べた結果、でっちあげだという結論に達した。

 これ以降、来場者は極端に落ち込み、パークは赤字になった。売り上げが減り、世間の関心も薄れて、パークは閉園を余儀なくされた。

 来場者は、エイリアンや古代文明への影響についての講釈よりも、乗り物やゲーム、面白さを求めていた。パークは数年、放置された。


2009年に生まれ変わり「ユングフラウ・パーク」として再開


 だが、新たなオーナーのニュー・インスピレーション社によって、2009年に生まれ変わり、ユングフラウ・パークとして再開された。今度は、子供たちの楽園「ミスティ・ランド」のような新しいアトラクションがあり、存続可能な新たな関心を引きそうだ。


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 パークのウェブサイトの宣伝文句はこうだ。

ユングフラウ・パークは、ご来場の皆さまが模型やマルチメディアを通して、世界の未解決の謎へと深く潜入していくことができる場所です。

少しでも興味がわいたら、日常生活から抜け出して、この地球上のまだ解決されていない謎への疑問に身を委ねてみてください。

ユングフラウ・パークは、ベルナー・オーバーランドの中心部インターラーケンにあり、ふたつの湖の中間、雪をかぶった山々を背景にした場所にあります。

さまざまな楽しみ以上のものを提供することができる、ユニークなアドベンチャーパークなのです

 たいそうな宣伝文句だが、途切れることなく来訪者の流れを呼び込むのにまだ十分ではない。今のところ、夏の数ヶ月間だけしか、開園していない。

 人々の興味をつなぎとめ続けられるアトラクションが十分ではないと批判されているが、この地域にいて、ほかになにもすることがなく、古代エイリアンの不気味さが大好きなら、話しのタネにいい
かもしれない。

 超シュールな一日になることを覚悟して、途中で土産物店に立ち寄ることを忘れないように。私の中では一度は行きたい場所としてブックマークしといた。

References:Jungfrau Park / mysteriousuniverse

☆俺がスイスに行ったの〇十年前やもんなぁ!

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死を招く恐れがある危険な世界8つの水域

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強酸性の赤い川 リオ・ティント/iStock

 地球上に存在する海や湖、川などの水辺は、人を惹きつける魅力を持っている。どこまでも美しく輝く青い色や、穏やかな水面などを見ると、思わずその水に入りたくなってしまうものだ。

 だが、自然界に存在する水域全てが、穏やかで安全な場所ばかりとは限らない。ここでは世界8か所の危険な水域を見ていこう。

1. リオ・ティント川(スペイン)


Rio Tinto - Beautiful Red River in Spain

 そもそも、この川の水が毒々しい赤い色をしていることに疑問を抱くかもしれない。スペイン、アンダルシア地方のシエラモレナ山脈を起源とする、このリオ・ティント川は、pH1.7~2.5という強酸性。さらに、金、銀、銅のような重金属も豊富で、古代文明の時代からの歴史を通して人気の川だった。

 だが5000年にわたる採掘による鉱害のせいで、川には鉄酸化細菌や硫黄酸化細菌などの無機栄養生物が繁殖して、非常に厳しい環境になってしまっている。


2. ボイリング湖(ドミニカ)


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iStock

 ドミニカのモルヌ・トロワ・ピトン国立公園にあるこの湖は、世界で2番目に大きな温泉である。温泉とはいえ、ゆっくりと湯あみを楽しむどころではなく、その水温はなんと湖畔付近でも82℃~92℃もある。

 ずっと沸騰し続けているため、中心部へはとても近づけず、温度測定は不可能だそうだ。


3. キブ湖(アフリカ)


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iStock

 ルワンダとコンゴにまたがる湖で、湖の中ほどが国境になっている。谷の切れ目にあって、地殻変動でゆっくりと引き裂かれようとしているため、周辺は頻繁に火山活動の影響を受けている。水深は485メートル。

 この湖が恐ろしいのは、湖底から250立方キロメートル以上の二酸化炭素と65立方キロメートルのメタンガスが発生していることだ。今のところ、水圧のほうがガス圧よりも2倍高いため、爆発のリスクは低いので、すぐさま死の危険性はないとは言うが....


4. シタルム川(インドネシア)



The World's Dirtiest River | Unreported World

 シタルム川が極めて有害なのは、残念ながら人間が捨てるゴミのせいだ。微生物が分解できない廃棄物や有害な化学物質が充満していて、世界一汚染された川として知られている。

 川岸には、200以上の織物工場が建ち並び、染料や、砒素や水銀などの化学物質が川に廃棄されている。それに加えて、川岸の何百万という住人たちが、川を巨大なゴミ捨て場として利用している。当然のことながら、この川から水を飲もうとする者など誰もいない。


5. カラシャイ川(ロシア)


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iStock

 ロシア東部、ウラル山脈の南にあるカラシャイ川は、世界でもっとも汚染された場所のひとつとされている。水も周辺地域も放射線で汚染されているのだ。

 汚染の原因は、ロシアで有名な核兵器工場のひとつマヤークだ。チェルノブイリの事故で発生した放射線も湖の汚染にさらに拍車をかけたという。


6. ポトマック川(アメリカ)


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iStock

 ポトマック川の上流には、ワシントンDCコロンビア地区キーブリッジから、北のグレート・フォールズまで延びるおよそ22キロの峡谷がある。

 ここは、カヤックやボート、釣りやハイキングなどアウトドア愛好家に人気の場所だが、この川には命の危険が潜んでいる。

 ポトマック川の急流は、もっとも穏やかに見える場所でさえ、水中で渦を巻くような流れを生み出す。それが泳ぐ者をたちまちとらえ、足を滑らせて水の中に落ちた者を飲み込んでしまうという。


7. ブルーラグーン(イギリス、ダービーシア州)



Blue Lagoon of Buxton | 100 Wonders | Atlas Obscura

 ハープール・ヒルにある使われなくなった採石場(ファー・ハイ・クエリー)に水がたまり、その色からブルーラグーンと呼ばれるようになった。ここは危険と警告する標識があるにもかかわらず、地元の人たちの間で人気の水泳スポットになっている。

 そもそも、水は強アルカリ性で、pH11.3のアンモニアと同様の毒性があるため、皮膚や胃に真菌性感染症をひき起こすことがある。また、ここには車の部品や動物の死骸、排泄物などのゴミが捨てられることもある。

 また、インスタ映えスポットとしても人気を集めていたが、コロナウイルスにより全土に外出禁止令が出された後にも訪れる観光客が後を絶たなかったため、警察が染料を流して青い水を黒く染める措置に踏み切ったそうだ。


8. ヤコブの井戸(アメリカ、テキサス州)



The Story of Jacob's Well Natural Area

 世界でもっとも危険なダイビングスポットとされている。9メートル潜ると最初の水中洞窟があり、さらに潜ると2番目の洞窟がある。ここまで入り口からは深さ24メートル地点になるが、内部はさらに複雑に入り組んでいるようだ。

 ここが危険なのは、出口だと思って入り込んでしまった水路に囚われて浮上できなくなってしまうことだ。第3、第4の洞窟があり、より深みを求めて潜って来るダイバーを待ち受けている。トータルの深さは40メートルと言われている。

References:8 Bodies of Water That Will Kill You/

☆俺、釣が趣味やからこういうところ滅茶好っきゃねん!

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