この道の果てまで・・・

ただ純粋に ただ一途に歩む時
突如として それまでとは まったく違う
次元の異なる大地が あなたの目の前に姿を現す。

解った人さえも蒸発した後の 何も無い空間こそが あ・な・た

2016-07-04 12:55:11 | Weblog








本当に

あなたが本来の

あなたの場所へと

帰って来れたならば

あなたは途方も無い

静寂感の中に溶け去って

しまっているから




そこには

何処までも広がる

静寂感が在るだけです。




あなたが

辿り着く事が

出来ていなかったり




或いは

気分のアップ

ダウンが余りにも

激し過ぎる時




そこには

まだ あなたが

残っているからです。




解ったと言う

残骸の あなたが

ちゃっかりと残された

ままなのです。




なのに

あなたは見事に

騙されてしまって

全く気づいていないと

言う訳なのです。




あなたが

残されている限り

あなたが解った事を

今迄の あなたのままで

扱おうとするのです。




親分は

いつのまにか 

残骸の あなたの方へと

すり替わってしまって

いるのです。




解った事は

確かに凄い事だから

あなたが そうなって

しまう事は わからない

事も無いけれど




それを

扱おうとする あなたは

どれだけ凄い あなたと成って

しまうのかに あなたは全く

気づいてはいないのです。




傲慢さも そこまで

来れば比べるものさえ

無い位の頂点へと達して

しまっています。




本来の何も無い

空間など あなたには

とっくに失われてしまって

いるのにも拘らず 




あなたは

空想の中に

思い込みの中に

作り物で 偽物の

本来の場所を作り込む事に

尚一層 闘志を燃やして

しまっています。




だから

そこまで気分が

高揚してしまうのです。




そこまで

気分のアップダウンが

激しく成ってしまうのです。




恐るべし

解った人よ

あなたは日本一

いいえ世界一です。




本来の

あなたの場所よりも

更に上に立つ あなたは

一体 何者なのでしょうね?




そのまま

歩いてみれば

いずれ解る時が来ます。

但し それは何年もの時を

無駄にしてしまいます。




けれども

あなたが死ぬ頃には

必ず自分の間違いに

気づく時が来ます。




だって

間違いに気づき

本来の あなたの

場所で 在るはずの




弱くて 駄目で

情けなくて 出来の悪い

無色透明で 純粋無垢な

あなたの場所へと一旦は

戻らなければ あなたは

死ぬ事さえ出来ませんから。




だから

死ぬ時までには

気づく事が出来ます。




何もかもが

解った あなたなどに

成らなくても良いのです。




何もかもが

解った時には

解った事も 解った

あなたも同時に蒸発してしまい

そこには何も無い新たな空間だけが

生まれてしまっているのです。




その

空間こそが

あなたなのです。




その空間に

身を任せてしまう

事しか 私達には

出来ないのです。




私達は

主体では無く

客体で有り

受容体なのです。




あなたの感じられる

感覚は外側の感じられる物が

有って初めて あなたの身体に

備わった感覚器官が働く事が

出来て 感じられる事が

出来るのです。




外側に何も

無かったならば

あなたの感覚器官が

有ったとしても二束三文で

全く働き出す事は有りません。




例えば

外側に寒さと言う

状況や状態が在って

初めて あなたの肌が

寒いと捉え感じる事が

出来る様に成っているのです。




だから外側の

状況や状態である

寒さを取り除いて

しまったならば 幾ら

敏感に感じる事の出来る

あなたの肌が有っても何一つとして

あなたは感じる事など出来ないのです。




外界と接触出来ない

状態に置いて実験をすれば

それらは直ぐに明らかに成ります。




あなたは

あくまでも

受け身として

受容体として生を

受けているのです。




そして 此処が

大切なところです。

その感覚器官さえも

あなたが生み出したり

作ったりした訳では無くて

元々あなたに備わって生まれて

来ているだけのものでしか

無いのです。




そこに

あなたが

し・て・いると

言えるものなど

何一つとして存在など

していないのです。




だから

あなたは

居ないのです。




いいえ

過って一度として

居た事さえないのです。




あなたが

居る様に感じたり

見えたりしているのは

あなたが あなたに対しての

深い洞察力が足りないからです。




もっと徹底的に

あなたに目を向ける事で

全ての隠されていた真実さえも

明らかにする事が出来てしまいます。




腑抜けた目で

見ているから見破る事が

出来ないのです。




物事の

向こう側にまで

突き抜けてしまい

貫いてしまう程までに

深い洞察力で見てみれば

簡単に真実は明らかに

されてしまいます。




その深い

洞察力が働き出すのは

あなたの中の弱くて駄目で

へなちょこの あなたの場所で

へなちょこの あなたの事を

あなたが受け容れて上げる事が

出来た上で あなたが いつも

当り前の様に へなちょこの

あなたとして生きられた時でしか

無いのです。




それ以外には

そこまで深い洞察力を

あなたが手にする事など

有り得ない事なのです。




あなたは

この世に単なる

受容体として生まれて

来ています。




その受容体としての

あなたに身を任せてしまい

委ねてしまう事でフルに受容体と

しての あなたを生きる事が出来ます。




主体に成ろう

などとする事など

あなたの人生の全てを

賭けた所で出来ない相談なのです。




だからって

適当に生きる事とは

訳が違います。




受容体としての

あなたの人生を

充分に生き切る事が

出来るのは 




散々主体を目指して

悪足掻きして生きて来て

そこでは生きる事など出来ないのだと

解った人達が堕ちて来てしまった

場所こそが受容体としての

真実の場所です。




その場所に あなたが

身を任せ委ねてしまう事で




目の前に来た

全ての物事に対しても

あなたは身を任せ委ねて

しまう事が出来るのです。




それが

受容体としての

生を受けた あなたが

充分に生きる事の出来る

歩みなのです。




あなたは何者にも

成らなくても良いし

何者にも憧れなくても

良いのです。




何故ならば

あなたが身を任せてしまい

委ねてしまった場所こそが

既に途方も無い存在だからです。




その途方も無い

存在の方が独りでに

生を紡ぎ出してくれて

しまいます。




そして せっかく

気づけた目の前の

大きな生に その都度

その度に




あなたの身を

一切を残さずに全面的に

委ねてしまわない限り

残骸としての あなたが

残されてしまいます。




すると

気づけた事を

残骸としての あなたが

掴もうとしてしまいます。




けれども

次の瞬間には

あなたが気づけた事の全ては

一瞬の内に過去へと消え失せて

しまっているのです。




あなたが掴む事の

出来ているのは真実の

生では無くて 大きな生の

残骸でしか無いのです。




何故ならば

残骸に掴む事の

出来るものは残骸でしか

無いからです。




そこまで

気づく事が

出来なければ

あなたの した事は

全てが徒労として終わり




何にも成らず

今迄の あなたが

して来ていた事と同様で

それらは全部が 時間の

無駄使いでしか有りません。




あなたが

本当に気づけたならば

あなたは もっともっと

静かに成ってしまいます。




何故ならば

あなたの内面には

波紋 一つとして

立つ事が無いからです。




そこには

途方も無い静けさと

途方も無い満ち足りた感が

訪れてしまっています。




そして

そこには

あなたなど

何処にも居ません。




何処までも

途方も無く広がる

満ち足りていて静かな

空間が在るだけなのです。






























































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