友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

プーチンと同じ発想である

2022年03月20日 17時38分03秒 | Weblog

 夏祭りの夜店や春の桜の宴など、仲間でやってきた友だちが亡くなり、そろそろ四十九日を迎える。「花をお供えしましょう」ということになり、供花の手配や仲間の一覧など、事務的なことを引き受けた。私にはこうした仕事が合っているようだ。

 高校の時の新聞部の集まりも、教員になった時の同期の仲間の集いも、事務連絡は私の係りである。新聞部の方はふたりも亡くなり、集まりの意味が薄れてしまった。教員の方は先輩教員も参加してくれるので開催したいのだが、コロナ禍で開けずにいる。

 今年は実行できるのだろうか、まだ見通しが立たない。早く終息してくれと祈るばかりだ。ロシアのウクライナ侵攻についても、地震やその他の不幸な事件を目にしても、人は何と無力なのかと思う。誰もが戦争はダメと思っているし、誰もが人の命は尊いと言うのに、なぜ防ぐことが出来ないのだろう。

 私の市では、4月に市長選挙と市議会議員選挙が行われる。私の住むマンションの郵便受けにも候補者の政策ビラが投げ込まれる。マンションの自治会は、チラシなどを入れる場合は管理事務所の許可を得るようにと、警告文を掲げている。

 住民の中には、チラシを受け取らずにホールに放って置く人がいるので、チラシを少なくするためのようだ。私は管理事務所が許可を与えたり与えなかったり(そんなことは無いと思うが)、そうした権限を持っているとは思わない。

 チラシは情報である。それを受け取るか拒否するかは各人の権利である。家に持ち帰り、不要な物なら処分すればいい。受け取る前に、管理事務所がダメと言い出すのは、プーチンと同じ発想である。

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思いっ切り羽ばたいて

2022年03月19日 17時28分34秒 | Weblog

 春めいてきたと思ったのに、昨日も今日も寒い。春は三寒四温というくらいだから、これが普通なのだろう。昨日、卒業式だった小6の孫娘から、「卒業式の写真というか思い出の動画的なやつを作った!」とメールが送られてきた。なかなかの出来栄えに驚いた。

 スマホで撮ったものを編集し、文字を画像に取り入れ、流行りの歌まで流していた。小6でもこんなことが出来るのかとビックリした。テレビで小学生の子が、ユーチューバーになるとか、インフルエンザーになるとか口にしていたが、そんな時代になってきたのだ。

 孫娘が将来なりたいものは、以前はデザイナーだったが、卒業式では画家と言っていた。画家と音楽家は成功率が極めて低い。小説家志望だった父も、「際立った才能の持ち主でなければ、芸術で身を立てることは出来ない」と言っていた。

 大学で芸術を専攻しても、高校の教員になれればよい方で、ほとんどの人は夢を諦めて普通の職についていく。働かなければ食っていけないから、いつか必ずと思いながらも、普段の生活に追われていつしか夢は夢でしかない、存在になってしまう。

 「中学になったら、勉強する」と決意を語っていた孫娘だが、中学からは勉強の内容が難しくさらに多くなるが、現実に直面して逃げ出さないで欲しいと願う。中学校で出会う友だちが、一生の友だちになっていく、そんな大切な中学校生活を満喫して欲しい。

 将来の夢など、変わっていってもそれでいい。自分が変われば、自分の夢も変わる。何かを求めて、ひたすら前を向いて、ガムシャラに生きていって欲しい。あの子たちが成人になる頃は、私など想像もつかない社会なのかも知れないが、思いっ切り羽ばたいて欲しいと思う。

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まだメールが来ない

2022年03月18日 17時21分01秒 | Weblog

 月1回の診察日。医師は必ず、「どうですか。何か変わったことはありますか?」と聞いてくれる。私は、「いつもと変わらないと思います」と答えるのだが、今日はせっかくだからと、胃痛の時の薬をもらうつもりで、「はい、右の脇腹から胃の辺りが痛いです」と答えた。

 「いつからです?」と訊かれて、「しまった。ちゃんと調べておくべきだった」と思ったが、「だいぶ前からです」と言ってしまった。「だいぶ前?というと何時ごろかな」とまた訊かれ、答えに困った。ベッドに仰向きに寝てお腹を押さえられ、「この辺はどうですか?」と訊かれる。「はい、痛いです」と答える。

 医師は何やらカルテに書き込み、「採血し、便に血が混じっているか調べましょう。場合によっては大腸の検査をすることになります」と言われる。「次回ですか?」と驚いて聞くと、「採血はすぐ行います。検便については看護師の説明を聞いてください」と言う。エッ!胃の薬をもらうつもりだったのに、検査になってしまってガッカリ。

 いつもなら気さくに話してくれる医師なのに、今日は断定的な物言いだった。待合室にワクチン接種の人が大勢いたし、私のようね定期の患者もたくさんいた。「忙しそうだから検査はまた今度にして、診察を手早くしないと患者さんが怒りますよ」と、思いながらも指示に従う。

 今日は医師の都合で、診察の開始時間が10時30分と変更されていた。そういえば今日は小学校の卒業式だから、出席していたのかなと思い、看護師に訪ねると、口に人差し指を当てて、「シー」と言う。我が子の晴れの姿を自分で確かめておきたかったのか。我が家の小6の孫娘の卒業式はどんなだったのだろう。夕方5時を過ぎても、「メールが来ない」とカミさんは首をかしげている。

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まだまだ人の世は寂しく厳しい

2022年03月17日 18時11分47秒 | Weblog

 この地域の小学校は明日、卒業式を迎える。長女のところの下の娘も明日は卒業だが、参加できる父兄はふたりまでと決められているのでジジババは出席できない。PTA会長を務める父親は音楽好きなので、卒業を祝して歌いたいと準備してきたのに、式典の簡素化のために出番は無いようだ。

 孫娘がどんな格好で式典に臨むのか、後で教えてくれるだろう。この辺りの小学校も、最近は大学の卒業式かあるいは成人式かと思うような、着物姿や羽織袴姿も見られたが、孫娘の小学校は禁止している。「中学の制服で」という時期があったが、それではどこの中学校へ行くかが分かるからというので、それも止めになった。

 卒業式が特別なものという意識はまだあるのだろう。一区切りという晴れやかな場面であるから、祝ってやりたくなるのは当然な気がする。けれど、どんどん華美になれば、そこまで出来ない親もいるのだから、みんなが寂しい思いをせずに行われる式典が望ましい。親の意識や財力に差があるのだから、平等を実現することは難しい。

 今朝と言うより昨夜遅く、東北地方で地震があった。茨城県に住む次女の小1の娘は、地震に気付かずに眠っていたとラインして来た。私も知らずに寝ていたが、風呂に入っていたカミさんは水面が揺れたので、「キャー、地震」と思ったと言う。なのに、風呂から出ても「テレビをつけるのを忘れた」と言うから、その程度の危機感だったのだろう。

 地震やウクライナ侵攻やはたまた他人を巻き込む自殺や、なぜか気が滅入ることばかりが起きる。桜が咲いたとか、しだれ梅が満開を迎えたとか、ちょっぴりホッとするニュースもあるが、まだまだ人の世は寂しく厳しい。もう春なのに。

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ベトナム人の家族思いに感動する

2022年03月16日 18時27分01秒 | Weblog

 孫娘が息子を連れてやって来た。曾孫はもうすぐ1歳と5カ月になる。ひとりで歩けるようになって、ますます興味の幅が広がったようだ。以前はオモチャをカゴから出すことに夢中だったのに、今日見ていたら、出したオモチャを引き出しや壺に入れる作業に集中している。

 中庭で遊んでいた時、保育園の園児ふたりが遊んでいるのが目に入ったらしいのに、ちょっと気にしながらも、ひとりでブランコをしたり、滑り台に登ったりしていた。園児のひとりが曾孫に近づいて、遊ぼうとするのだがなかなか打ち解けられない。

 きれいなお姉さんに、「こんにちは」と声をかけられると、はにかんで母親の背に隠れてしまう。全く人見知りの無い子だったのに、美人を意識するようになったのだろうか。自分を庇護してくれる人が一番大切な人と、無意識のうちに感じているのに、そのうち母親以外の女性に興味を示すようになるのだろう。

 曾孫の成長ばかりか、孫娘も大人になってきていた。珍しく孫娘とふたりだけでいる時間があっていろいろ話した。私がベトナム人に日本語を教えていた頃の話をした時、小児科の看護師の孫娘は、ベトナム人の子の看護に当たった時の話をしてくれた。

 その2人目の赤ちゃんは内臓疾患があって、1年半しか生きられなかった。けれど、どうしても家族4人で暮らしたいと言うので、赤ちゃんの具合が安定した時、家に連れて帰っていた。ベトナム人夫婦は、「子どもは私たちが守る」という気持ちがとても強かったと言う。

 とても生きられないと分かっていても、最後まで望みを持って育てる姿は感動的だったと話す。子どもを虐待したり、育児を放棄したり、そんなニュースが多い中、ベトナム人の家族思いを私たちは見倣うべきなのかも知れない。孫娘はいいお母さんになれると確信した。

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弱い人ほど強く見せようとする

2022年03月15日 17時42分19秒 | Weblog

 姉の家に遊びに行くと、義理の兄である姉のダンナが、畳の上で相撲を取ってくれた。色白で小さくておとなしい私を鍛えようとしてくれたのだろう。何度も取り組みを行い、コロリと投げられた。小学校の高学年になった頃、小さい者が大きい者に勝つ秘訣を教えてくれた。

 相手の動きよりも早く動けば勝てると。立ち合いで相手を見ていたら掴まえらてしまう。掴まる前に懐に入って押し倒すか、相手の足を掴まえて上げれば相手は倒れる。「やってみろ」と何度もやらされたが、やっているうちに要領が分かって来た。

 小学6年の時、砂場で隣のクラスと相撲合戦になった。私の前の子が隣のクラスの担任に負けたので、次に私が対戦することになった。「ハッキョイ」の掛け声と同時に、私は担任の足に食らいつき身体ごと押し込み、見事に勝利した。

 本当かどうか定かではないが、義理の兄は予科練帰りと言う。「身体の小さい者が、大きい者にケンカで勝つ方法を教えてやる」と言い、真珠湾攻撃のように相手の体制が整わないうちに、「不意打ちを食らわせろ」と言う。そんなケンカ攻撃がやって来るとは思わなかった。

 中1の1学期、私は学級委員だった。授業が始まるのに、悪ガキ2名がなかなか席に着いてくれない。私が「席に着けよ」と言うと、「なんだと、えらそうに」と向かってきたので、私は一気に男の身体に飛びついて倒した。それから男の身体を持ち上げ、教室の壁に叩きつけた。

 悪ガキにいじめられることは無かったが、隣のクラスの男の子に「おとなしい顔してるのに狂暴だな」と言われた。人生で暴力を振るったのはその時しかない。「舐められたらダメだ」という思いが、私に暴力を振るわせた。弱い人ほど、必死に強く見せようとする、そんな事件だった。

 

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武力を持たないことが「吉」である

2022年03月14日 17時50分42秒 | Weblog

 明日から中部二科展が始まる。カミさんは白内障の手術を受けたけれど、かえってよく見えないと不満で一杯だ。17日に今度は右眼の手術を受けるから、「きっとよく見えるようになるよ」と慰めるが、「本当にこの小さな文字が見えるようになると思う」と疑う。

 私は医師の指示には忠実に従うし、疑ったり別のことをやってみようとは思わない。信じることは治療の早道だと思っている。任せてしまったのだから、最後まで医師に従う方が気が楽だ。間違っているのではないかなどと思ったら、医師に失礼な気さえする。

 何事も運命である。選択したのは自分、結果を負うのも自分以外に無い。なあに、人生はうまく出来ているから、結果は「吉」と出るだろう。というか、出たものが自分にとっては「吉」なのだ。悲観することは無い、人生前向きが一番。

 二科展に一緒に行ってくれる人を探すが、見つからない。ひとりで行くのもひょっとしたら「吉」かも知れない。素敵な女性に出会えて、「最後の恋」が実ることだってあるかもと思えば気楽なものだ。気楽な気持ちでいられないのが、ロシアのウクライナ侵攻だ。

 名古屋でも反戦デモが行われたし、いくつかの地方議会でも即時停戦の決議が採択されている。議会で決議されたところで、何の力にもならないだろうが、「戦争は絶対悪」の意識をみんなが抱けば、少しは平和に向かっていける気がする。

 武力には武力で対抗する考えを無くすことが大事だ。「戦場になっていないから、そんな非現実的なことを言う」と非難されるが、戦場になってしまえば言えないからこそだ。「人殺しは許さない」のであれば、武器を持たないことが「吉」である。

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仲良く暮らしにはそうするしかない

2022年03月13日 17時34分19秒 | Weblog

 プーチン大統領はテレビを見ないのだろうか。建物が破壊され、家屋や車両が燃え上がり、たくさんの死者やケガ人が出ているのに、これは映画の一場面だと思っているのだろうか。ウクライナの人々だけでなく、攻め込んだロシア兵にも死傷者が出ているのに、「私は関知しない」とでも言うのだろうか。

 人間の中には、何も感じない冷血な人がいる。私は怖がりなので、血を見ただけで全身が震えてしまう。人の泣き叫ぶ声を聞いても、子どもが血を流しながら、「ママ、ママ」と呼ぶ声を聞いても、「敵の子どもじゃーないか」と平然としていられるのは異常ではないか。プーチン大統領の心の中は、いったいどうなっているのだろう。

 コロナ禍で閉じ籠って小説ばかり読んでいたら、私自身が異常者になったようだ。山田詠美さんの『つみびと』、桜木紫乃さんの『光まで5分』、花房観音さんの『わたつみ』、島本理生さんの『あなたの愛人の名前は』、そして村上春樹さんの6篇の短編を集めた『女のいない男たち』は、いずれも男と女のかかわりをテーマにしている。

 ちなみに産まれ順で見ると、村上が1949年、山田が1959年、桜木が1965年、花房が1971年、島本が1983年で、歳の多い方が濃厚な筆跡のようだ。人は女でも男でも、ひとりでは生きていけないから誰かに傍にいて欲しいのに、なぜか、満足な組み合わせにはならない。絶対的な満足など無いのに、それを解ろうとしない。

 人の心の中が見えたなら、もっと分かり合えるだろうか。いや、心の中までは見えないのだから、自分をさらけ出して、良い関係を創り出すしかない。プーチン大統領にそれを求めても無理だろうが、人々が仲良く平和に暮らすにはそうするしかない。

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魂が劣化していると修復は難しい

2022年03月12日 17時21分04秒 | Weblog

 私のパソコンの動きが悪い原因は、「劣化」だった。「何時買われました?」と訊かれたけれど、答えられなかった。随分前に街の家電販売店で買ったけれど、それが何年だったか覚えていない。いろいろ調べて、「15年以上経っていますね」と教えてくれる。

 「パソコンも人間と一緒で、年月を重ねれば劣化しますから」と、年寄りに向かって言う。「20代の時なら早く走れても、80代になれば同じようには走れません。家電も今は10年単位で取り換えるようになっています」。そうそう、我が家の洗濯機もレンジも買い替えたばかりだ。

 「遅いことを気にしなければ、まだ使えます。イライラせずに気長に待てば、応えてくれます」と、言ってくれる。「一番良いのはPC本体を新しい物にすることですか?」と訊ねると、「それが一番ですが、慌てることも無いと思います」と、私の気持ちを察して助けてくれる。

 私は決してせっかちではないが、なかなか画面が変わらなかったりすると、アレッと思って余分なことをしてしまったりする。するとコンピューターは判断できなくなって、スリープしてしまうのだと言う。それにしても原因が「劣化」とは、まるで自分のことのようで情けない。

 人間も歳を取ると物忘れが多くなる。判断も自己中になってくる。嫌だ、嫌だ。今日はまるで一気に初夏が来たように暖かい。私は友だち夫婦と一緒に、ある人の事務所へ出かけた。まだまだ中途半端だ。本人が冗談のつもりで、「やる気が無いんです」と零すから、友だちが怒った。

 冗談の使い方を教えないといけない。周りが楽しくなるなら救われるが、腹が立つようでは笑えない。言葉の使い方を勉強して欲しいが、魂が「劣化」していると修復は難しい。

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折角の祝いの集い、マスクを外してお祝いしたい

2022年03月11日 17時12分21秒 | Weblog

 東日本大震災からもう11年経った。建物の中にいたが、大きく揺れた。まさか、東北の地震が名古屋まで伝わってくるとは思わなかった。その後、津波が押し寄せ、街を破壊していく様子をテレビで見て恐怖を感じた。あの時の揺れはしっかり覚えている。

 テレビが伝える情報は、画面が凄まじければ印象も強い。ロシアのウクライナ侵攻も悲惨な状況がよく分かる。ちょっと顰蹙を買うけれど、ウクライナは美人女性の国ということもテレビを見ていて確信した。こんなに美しい女性たちを泣かせるプーチン大統領は死神としか思えない。

 ロシアに日本の企業が347社も進出していることを知り驚いた。そういえば、私が中国を旅行した時、成都にマクドナルド店があってビックリした。中国の人々の服装はまだ、今のように自由ではなく、国民服を着ていた。

 やっぱり企業は儲かるならどこへでも行く。グローバルという言葉が一般化してしまったが、その流れは止められない。低賃金で働く人間を求めて、先進国の企業はどんどん後進国へ進出した。結局、世界は1つになって行くのだろう。

 革命を夢見ていた1970年代の学生運動にかかわった青年たちも、今は70代になっている。革命など起こさなくても、歴史は着実に「世界は1つ」へ向かっている。ロシアのウクライナ侵攻が止まり、平和が訪れるなら、笑顔のウクライナ女性に会えるだろう。

 卒業生から「古希&喜寿を祝う会」を延期する手紙が届いた。「折角の祝いの集いは、マスクを外して皆でお祝いしたい」と書き添えてあった。それがいいと私も思う。幹事さんご苦労様です。そしていつもありがとう。

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