小学校の同級生から分厚い封書が届いた。「5年梅組で出会って早66年経ちました。お爺さんの目に優しくするため文字フォントは20Pで手紙を書きます」とA5で7枚ある。彼は忘れてしまったかも知れないが、彼の家に行ったことがある。銀座通りから北筋にあったと思う。
小学校の頃、ちょっとお調子者の彼はクラスの人気者だった。いつも面白いことを口走って、みんなを笑わせた。中学では同じクラスになったことが無かった。学年は8クラスあったが、彼は7組で私は3組だったので、3クラス合同のクラス会でも顔を合わせることは無かった。
彼は背が高かった。中学を卒業してどうしたのか知らなかったが、会社に出勤しながら「訓練校で学び、高校の夜間部にも入学し5年間通った」とある。それだけでも大変だったはずだが、「上司の仕事のセンスと自分のセンスが合わず」、自律神経失調症となり、「死んだら楽になるだろうなと、茫洋とした日々を送っていた」。
「家内は病状に全く触れず食事になると私の枕元に小テーブルを持ち出し、幼い息子を座らせ家族一緒に食事を取るようにしてくれた」。そんなことから会社に復帰し、職場が変わると「仕事がどんどんはかどり面白くなってきた」「専務や常務からも仕事を依頼されるようになった」と自信を取り戻した。
それなのに、「昨年は波瀾万丈の1年でした」とある。狭心症の手術を受け、直後に転倒し左鎖骨を骨折し、さらに左脳部の硬膜外血腫の手術を受け、「今は杖をついて歩いている」という。みんなそれぞれに大変な思いをして生きてきたのだ。彼の提案にあるように、郷土資料館となっている母校の教室を訪ね、思い出話に花を咲かせよう。