友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

思い出話に花を咲かせよう

2022年01月21日 17時53分07秒 | Weblog

 小学校の同級生から分厚い封書が届いた。「5年梅組で出会って早66年経ちました。お爺さんの目に優しくするため文字フォントは20Pで手紙を書きます」とA5で7枚ある。彼は忘れてしまったかも知れないが、彼の家に行ったことがある。銀座通りから北筋にあったと思う。

 小学校の頃、ちょっとお調子者の彼はクラスの人気者だった。いつも面白いことを口走って、みんなを笑わせた。中学では同じクラスになったことが無かった。学年は8クラスあったが、彼は7組で私は3組だったので、3クラス合同のクラス会でも顔を合わせることは無かった。

 彼は背が高かった。中学を卒業してどうしたのか知らなかったが、会社に出勤しながら「訓練校で学び、高校の夜間部にも入学し5年間通った」とある。それだけでも大変だったはずだが、「上司の仕事のセンスと自分のセンスが合わず」、自律神経失調症となり、「死んだら楽になるだろうなと、茫洋とした日々を送っていた」。

 「家内は病状に全く触れず食事になると私の枕元に小テーブルを持ち出し、幼い息子を座らせ家族一緒に食事を取るようにしてくれた」。そんなことから会社に復帰し、職場が変わると「仕事がどんどんはかどり面白くなってきた」「専務や常務からも仕事を依頼されるようになった」と自信を取り戻した。

 それなのに、「昨年は波瀾万丈の1年でした」とある。狭心症の手術を受け、直後に転倒し左鎖骨を骨折し、さらに左脳部の硬膜外血腫の手術を受け、「今は杖をついて歩いている」という。みんなそれぞれに大変な思いをして生きてきたのだ。彼の提案にあるように、郷土資料館となっている母校の教室を訪ね、思い出話に花を咲かせよう。

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孫たちの世代は生き残って欲しい

2022年01月20日 17時41分50秒 | Weblog

 大寒の朝、雪が降るような天気予報だったけれど、陽射しがあり風も無かった。けれど、西の空は煙ったような灰色が一日中消えなかった。ちょっとだけ、外に出てみると凍えるように寒い。書店から「ご注文の本が届きました」と電話があったが、出かける気にはならなかった。

 新型コロナウィルスが猛威を振るっている。日本だけでなく世界中に、しかも同時に感染が拡大している。誰もその理由を説明をしてくれない。コロナウィルスが変化するのは生き残るためだと専門家が言うが、どうやって変化するのだろう。

 今日、世界の感染者数は337,830,804人と出ていた。感染者が一番多い国はアメリカで、次がインド、その次がブラジルだった。イギリスやフランス、イタリアやスペインも再び感染が拡大しているから、ヨーロッパで広がっているのだろう。世界の死者数は5,564,875人、やはり一番多い国はアメリカで、次がブラジル、その次がインドだった。

 ブラジルやインドに死者数が多いのは理解できるが、先進国のアメリカが一番なのはどうしてなのだろう。やはり貧富の格差が大きいからだろうか。医療保険制度の無いアメリカでは、医者にかかれないと聞いたことがある。中国やロシアのような共産党政権の国では、日本のような医療保険制度かもっと強制的な制度があるのだろうか。それにしてはロシアも中国も感染者は多い。

 マスク、手洗い、換気は守っている。不要不急の外出も自粛している。それなのに、「高齢者への感染を拡大させないように」と言われると、高齢者としては感染するように思えてくる。みんな一緒に死ぬなら仕方ないが、せめて孫たちの世代は生き残って欲しい。

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曾孫よ 頼むぞ!

2022年01月19日 18時34分54秒 | Weblog

 長女の上の娘が息子を連れ、ジジババの見守りを兼ねて遊びに来た。孫娘夫婦が建てている家の進捗状況や、その他にも話したいことをいっぱい喋るが、ジジババは曾孫がニッコリ笑うだけで充分満足している。子どもの成長は早く、歩くのが上手になったし、大人の会話が理解できるような素振りも見せる。

 孫娘は3月に職場復帰すると言う。やる気満々だったのに、配置が母親と同じ職種の部署なのがとてもプレッシャーだと言う。病院は違うし、会うこともないだろうから、そんなに緊張することは無いのにと思うが、母親の「プロの働き」を見ていると「私に出来るかしら」と思えるようだ。

 「大丈夫。あなたもママの血を受けているのだから、ママ以上にやれるよ」と励ます。早出があったり、夜勤があったり、休日出勤があったりで、ママに甘えることが出来なかったから、「看護師はイヤ」と言っていたのに、ママの働く姿を見て気持ちが変わり、後ろを追っている。

 それにしても、曾孫が成人する頃はどんな社会になっているのだろう。昔は、看護や介護、保育などは「女の仕事」と見られてきた。主婦なら無償労働で「やって当たり前」と押し付けられた。家事労働を賃金計算し、支払うべきという主張と共に、男女平等の視点から家事労働を見直す雰囲気が生まれたのはつい最近だ。

 上野千鶴子さんが言っていた。「人は弱者で生まれ、弱者で死を迎える」。人の助けが無くては赤子は大きくなれないし、動けなくなった高齢者も人の手が必要だ。弱者が住みやすい社会こそが人間が目指す社会なのだろう。みんなが安心して生きられるように、曾孫よ、頼むぞ。

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成績至上主義が生み出すもの

2022年01月18日 17時17分22秒 | Weblog

 コロナ禍で働き方が変わってきたと話題になっている。会社に来なくても仕事が出来るなら、どこに住んでもいいとか、出勤する時の交通費は全額を会社が負担するとか、飛行機での出勤も許すとか、これまでの常識では考えられないことが起きている。

 公務員の副業についても、条件付きらしいが許可する自治体もある。何か、いいこと尽くめのようだけれど、本当にそうなのかと思ってしまう。リモートで働く人は何を持って評価されるのかといえば、当然だが結果つまり成績である。

 成績はまあまあだが、みんなのやる気を支えてくれるような人は評価されなくなる。お茶くみなどしなくてもすむが、成績至上主義は熾烈な戦いが強いられる。勝てない人はどんどん諦め、離職することになるだろう。

 けれど、現場で働く人たちは相変わらず黙々と忠実に与えられた仕事をこなす。大きな利益を生み出す仕事の人たちを支えているのに、給料は上がらない。働き方改革は、格差を広げるためだったのかと思ってしまう。

 自分の都合に合わせて、たとえば午前10時から午後3時まで働くことになっても、同一労働同一賃金が保障されることではなかったのか。いろんな働き方があっても、みんなで支え合う、そういう社会を目指していたのではないのか。

 「医者になりたい」と希望しながら、人殺しをしてしまうのは人を助けたいのではなく、ただ医者になりたいだけ、医者という評価と収入しか価値を見ていないことではないか。成績至上主義はこういう歪な人間を生み出さないかと心配になる。

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自分の能力の無さに焦る

2022年01月17日 16時42分34秒 | Weblog

 来週の日曜日、中学の同級生が展示している写真展を友だちと観に行くことになった。どのように行くか、メールでやり取りしようと思ったが、彼のアドレスが見当たらない。昨夜、Cメールでアドレスを送ってくれるように頼み、今朝、1時間もかけて何度も挑戦したけれど、「エラー」の表示しか出てこない。

 パソコンがダメなら、ひょっとするとスマホのアドレスかもしれないと思い、パソコンの文面を見ながらケイタイで送ってみるがやはりダメだ。こうなったら、読みにくいかも知れないがCメールで送るしかないと、コピーし貼り付け送ってみる。これはエラーの表示が出ないから、どうやら届いたようだ。

 すると友だちから、「めんどくさいから電話で言うね」とケイタイにかかってきた。やっぱりそうか。私が四苦八苦しているのを見ていたカミさんが、「直接電話で話せばいいじゃないの」と指摘した通りだった。直接話せば間違いもないし、手っ取り早い。けれど、「メールで」と言ってしまったのだからなんとか成功させたかった。最新のものを使いこなせないことに凄く落ち込んだ。

 このブログを立ち上げるためにも最近は苦労している。パソコンの電源を入れても、Microsoft Edgeが開かない。電源を1度切って、再度入れ、やっと開くことが出来る。面倒だが、毎回それを繰り返している。私はブログが出来ればいいと思っているから、そんなに焦りはないが、今朝のようにメールが届かないとか、写真の倍率が変えられない時は、自分の能力の無さに焦る。

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生きていればいろんなことが起きる

2022年01月16日 17時23分01秒 | Weblog

 「医者になるため東大を目指して勉強していたが、成績が1年前から振るわなくなり、医者になれないなら人を殺して罪悪感を背負って切腹しようと考えた」(16日の中日新聞)。大学入学共通テストの受験で、東大の試験会場に並んでいた高校生と、付き添い(?)の年寄りの男性を殺傷した高校2年の男子生徒の供述である。

 男子生徒は名古屋の私学に通っていたようで、学校と生徒の親が謝罪のコメントを出していた。多分、有名な進学校でテストの度に席順が変わると聞いたことがある。どこどこの大学に何人合格したかで学校の評価も変わるから、先生たちも必死なのだろう。私が卒業した高校も進学校だったから、試験の度に70番(?)までの名前が廊下に貼りだされた。

 高校というところは成績ばかりが重要なのか。私は強く反発した。そんな教育はおかしいと学校新聞に書いたがボツにされた。それで仲間と金を出し合って自分たちの新聞を作り、学校の外で登校する生徒に配布した。共感してくれる仲間がいたし、退学になるかも知れないと思いながらも新聞を出したりしたことで、むしろ真っ当な高校生活を送ることが出来た。

 男子生徒は殺傷事件の前に、火付けもしているし、テープで巻いた幾本かの小瓶も用意している。用意周到なところは大阪のクリニック放火殺人事件と似ている。人を殺して自分も死ぬつもりだということが、誠に勝手なことだとどうして分からないのだろう。巻き添えになる人の人生について、なぜ考えられないのかと思う。彼も聖書を読んでいれば、それが自分勝手だ気付いただろう。

 昨夜の食事の後、大変なことが起きたけれど、ここに掲載することは出来ない。生きていればいろんなことが起きる。どう受け止めるかなのだろうが‥。

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次作を心から期待している

2022年01月15日 17時44分29秒 | Weblog

 コロナ禍で読んだ小説の中で、2作は飛び抜けて秀作だった。逢坂冬馬さんの『同志少女よ、敵を撃て』と、韓国の女性作家のチョ・ナムジュさんの『サハマンション』である。前者は新聞の書評欄で知り興味を持ったが、後者は書店で別の物と間違えた買ったものだったが、読み終わりとても満足している。

 『同志少女よ、敵を撃て』については以前も書いた。第2次世界大戦の独ソ戦が舞台で、戦場に狙撃兵として送り込まれた少女たちが主人公である。敵はもちろんドイツ兵だが、読み進んでいくとそれだけではないと気付く。ウクライナとロシア、カザフスタンとロシアの歴史にも触れていて興味深い。

 『サハマンション』は現実を超えていながら現実的な小説である。どこか分からないが、本国から独立した都市国家の中の無法者が暮らしているマンションの住民の物語だ。大企業が地方都市を買い上げ、そこに関連企業も集めて独立国家にし、都市の機能は企業が責任を持って維持している。

 マンションは正規の住民になれない人たちが集まり、都市の人たちがしない仕事を低賃金で引き受けている。いろんな事情で住民登録出来ない人たちは、マンションの中で互いに干渉せずある意味で助け合って生きている。私たちの現実の暮らしも、そんな身分の差は無いように見えても変わらない気がする。

 逢坂さんは1985年生まれ、チョさんは1978年生まれ、ふたりとも私の娘たちよりも若い。想像力と観察力がずば抜けているから、次作を心から期待している。「恋した女性たちは1月生まれだった」などと構想して悦に入っているようではダメだ。

 

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老兵は静かに立ち去るべきなのか

2022年01月14日 17時17分03秒 | Weblog

 朝、カーテンを開けると銀世界だった。我が家のルーフバルコニーの積雪は5センチくらいあったが、雪降りが止み太陽が顔を出すと、ゆっくりと溶けていった。午後、温水器内部のクリーニング業者がやって来た。「雪で大変ですね」と言うと、「会社を出る時は10センチくらい積もっていたんで、どうしようかと思いました」と話す。

 温水器のクリーニングは2年に1回、業者から電話がかかってくる。それが1ヶ月ずつ早くなっているので客から嫌味を言われるそうだ。「電話をする女子社員に『同じ月にしろ』と言ってるんですがねえー」とボヤく。作業の一部始終を初めて見ていたカミさんは、「あんなに丁寧にやってくれるんだから、この値段でもしょうがないわね」と納得していた。

 昨日、カミさんの弟も持ち家の手入れに金がかかると言っていた。金が出せないならやらなければいいが、金の都合がつくならやってもらえばいい。業者に踊らされているだけと言う人もいるが、それで快適に暮らせるなら、金の出せる人は出した方がいい。けち臭いことばかり言っていると、心まで冷え込んでしまう。

 「温かき素肌にそって触れてみる まだ結ばれぬ老いの初夢」。どこかにこんな短歌があった。老人が3人、「最後の恋をするぞ」と吠えていたけど、それは昨年だったか一昨年だったか、思い出せない。「老兵は静かに消え去れ」と糾弾されそうだ。

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誠によい文字を見つけてきたものだ

2022年01月13日 18時11分31秒 | Weblog

 

 愛知県美術館で開催されている『今日の書展』を観てきた。書の伝統に根差しながら自由な表現が、観る人を楽しませてくれる。白い紙に黒い墨で表現する「書」は、一発勝負の緊張感が漂う。玄玄書作院の知り合い、矢野きよ実さんの「つながる」、久保田関山さんの「邪正一如」が目を引いた。

 「人間には天使と獣がいる」と誰かが言っていたけど、人間がこの世に誕生した時からの「悩み」なのだろう。キリスト教では神を信じ、正しい道を歩くようにという。けれど、仏教では全てを受け入れ、悩み続けなさいと諭す。「邪正一如」は仏教の言葉で、邪も正もひとつの心から出てくるから、本来は同一なものという意味だ。

 私は「邪正一如 」を眺めていて、先ごろ聴いた市川由紀乃さんが歌う『秘桜』が蘇ってきた。秘桜がどういう桜か分からないが、坂本冬美さんの『夜桜お七』を意識しているような、叶わぬ恋を歌っている。その歌詞は「まさか 本気じゃーないですね 弱音まじりの 別れ文 生きていけない ひとりでは」で始まるが、その次が凄い。

 「逢いたいよ 逢いたいよ 千里駆けても抱きに来て おんな心の中空に 乱れ舞い散る 秘桜の色は煩悩 ああ百八色」。恋する気持ちは「邪」であるようだが、気持ちは純真な「正」である。人を恋するとは、煩悩そのものだろうが、心の中だけに留めて置けるものではない。「邪正一如」、誠によい文字を見つけてきたものだ。

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久しく映画館に行っていない

2022年01月12日 17時27分52秒 | Weblog

 昨夜、友だちからメールが届いた。「明朝10時半頃、時間の都合のいい人、オンラインおしゃべり如何ですか?20分程度!僕から声かけます」。するとすぐ、「明日は出勤、おしゃべりー仕事で~ごめんなさい(>‐<)」とえっ?!堅物で理屈っぽい先輩から、絵文字まで使って送られきた。

 今朝も、「歯医者の予約があって、今日のおしゃべり出られません」と、もうひとりからメールが届いていた。4人の内2人が参加できないと連絡してきているから、今日は取りやめだろうと思ったが、自分から言うのは失礼な気がして10時半になるのを待った。

 律儀な彼は、時間通りにオンラインで話しかけてきた。画面に映る年老いた友だちの顔、これが若くてキレイな女性なら画面に釘付けなのに、そんな私の気持ちがスマホに通じたのか、しばらく話すと「バッテリーがありません」の表示が出てしまった。「今日はここまで」とメールして終わる。

 東京・神保町の映画館、岩波ホールが7月に閉館するという。東京で働いていた時、私は観たい映画があって、ここまで出かけて行ったことがある。他の映画館では上映していない商業映画ではないものばかりをやっていた。後に名古屋にもこうしたミニシアターが出来たが、その先駆けだった。

 最近は新聞に映画館の案内欄が無くなった。パソコンで調べればいいのかも知れないが、映画好きな私としては寂しい限りだ。ミリオン座は新しくなったようだが、問題作を取り上げていた名古屋駅西のシネマスコーレや今池のシネマテークはどうなったいるのだろう。本当に久しく映画館に行っていない。

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