友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

焼けつくような暑い日がやってきた

2018年07月14日 18時26分40秒 | Weblog

 焼けつくような暑い日がやってきた。朝はまだ涼しかったので、私はルーフバルコニーに出て、掃除をし、咲き終わったアジサイの剪定を行った。下を見るとヤマスミレの鉢に黒い毛虫がいた。駆除しようと身体を屈めと時、ギクッとかすかな音がした。ギックリ腰だ。やってしまった。もうギックリ腰にはならないとナメていた。湿布してしばらく安静に身体を保つと、そのまま眠ってしまった。

 眠ったことがよかったのか、腰の痛みは軽くなった。昨夜の演劇の会場は余りに冷えていた。私の隣の小学生の女の子も「寒い、寒い」と言っていた。そんなに寒い会場で2時間半も同じ姿勢で座り続けたことが身体に負担となったのだろう。今朝起きた時、もう少し身体を動かしておけばギックリ腰にならなかったのかも知れないが、後の祭りである。

 劇団テアトロの『エデンの破片』は、いつもながらストリーが難しい。1994年から2040年までの時空を往ったり来たりするから、今がどこなのか分からなくなる。演劇の題名にあるように、人類が誕生したエデンの時代から人はさまざまに発明を繰り返し、とうとう時空を往き来するようにまでなった。その原動力は人が持つ「欲望」で、2040年になっても変わらないというものだった。

 人の世はそんなものかも知れない。ベトナムは地震がないというので、レンガを積み重ねた家が主だ。もっと昔、人類が彷徨い歩いていた頃は、家はもっと粗末なものだろう。今も砂漠で生き続けているモンゴルや中東の民はテント生活だが、それを貧しいなどとは言えないだろう。古代中東でも、農業や商業が生活の基盤となった人々は家を構えるようになった。それもレンガを積み重ね、屋根は何かの葉っぱで葺いた簡単なものだったというから、ベトナムの家と変わらない。

 「家族がいない老人は生きていけない。ベトナムは3世代同居が当たり前」とガイドが教えてくれた。街では老人は少ないが、見かけると皆、大家族のようだった。老人も朝から、子どもや孫と一緒に働いている。働けるうちは働くのがベトナム流の生き方で、楽をしようなどとは誰も考えないようだ。「楽をして生きよう」あるいは「楽して儲ける」と、言い出したのは何時ごろからだろう。


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