友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ただ一瞬愛でるために

2012年11月21日 17時34分39秒 | Weblog

 朝からルーフバルコニーに出て、チューリップのために鉢の土の入れ替えをした。午前11時くらいから風が少し出てきて、埃が舞うためか目が痒い。ひとりで1鉢づつ、ひっくり返しては古い根を取り除き、ミミズを捕まえては別の容器に入れ、赤玉土を区分けする。黙ってひたすら同じことを繰り返すので、腰が痛くなってくる。大きく背筋を伸ばして、また同じことを考える。こんなに丁寧にやらなくても、適当でいいのではないかと。

 毎年、同じことを考えながら結局何も変わらない。そしていつも、過ぎ去ったことを蒸し返し考えている。次女を泣かせてしまった話を高校3年の孫娘にした時、孫娘はうまいことを言った。「優しさの押し付け合いだね」。孫娘も友だちとの間で、そんなことがよくあると言う。孫娘は友だちのために良かれと思ってするのに、友だちは孫娘のためにはこの方がいいと思って別のことをする。それで、言い合いになってしまうことがあるそうだ。なるほどと、孫娘に教えられた。

 するとまた別の角度から、「200円くらいのことでと言うけれど、じゃあ200円稼ぐことが出来るのか」という声がする。残念ながら今の私は200円稼ぐことすら出来ない。会社を経営していた友人が「どうしてもお金が要るから貸してくれないか」と言った。お世話になった男であるし、真面目な性格で、「必ず毎月10万円ずつ返すから、助けて欲しい」と言われ、自分が役に立つならと思って貸した。稼ぐことも出来ないのにである。

 友人は自己破産してしまった。昨日が「財産状況報告集会・債権調査・計算報告集会・破産手続き廃止に関する意見聴取のための集会」であった。出席してどんなものなのか見ておこうと思っていたが、開催の連絡が来ると思っていたのに裁判所からは何もなかったので、ますます気持ちは落ち込み、行くのを止めてしまった。人生は不可解だ。どこにどんな落とし穴があるのか分からないのだから。

 普通に働いていればその結果としてお金は手に入った。働けば何とかなったし、より働けばより多いお金を手にすることが出来た。我武者羅に働いてもわずかなお金しかいただけない時もあった。私たちの世代は、お金に執着するのはみっともないと教えられてきたところがある。清貧に甘んずることが貴いという面もあった。お金のある人は会社をより大きくしてさらに儲けようとする。車もグレードを上げ、飲み食いも派手になる。しかし、長くは続かない。やはりそこそこでいいじゃーないかと思う。

 政治も結局は経済に動かされる。国の利益を上げるために、より安い労働力を求めるし、商品を売り込む道筋をつくろうとする。中国で起きた反日デモでほくそ笑んだのはドイツやアメリカの企業だ。中国の13億人の市場が各国の企業の目指すところだ。今度の衆議院議員選挙でも露骨に国益が言われている。私はひとり、黙々と土を砕き、ミミズを捕まえ、古い土にバーク堆肥や乾燥牛糞を混ぜ、チューリップの土作りをする。ただ一瞬愛でるためだけのために。全く生産性のないことに何時間も費やしている。

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