友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

大人が子どもたちを追い込んでいる

2015年09月01日 17時55分52秒 | Weblog

 9月に入っても雨降り。ムシムシするようなのに、気温は高くなく、南側に立てば風も強い。カミさんはゴルフの予定だったのにキャンセルして、スポーツジムへ出かけた。身体を動かすことが好きなのに、どういうわけかお腹周りはふくよかである。私はなかなか太らないが、やはりお腹周りは減らない。まあ、70歳を超えたのだから、スタイルなど気にする必要はないが、ズボンが履けなくなっては困ると気をしている。

 新学期が始まったが、今日は午前中で終わったのか、レストランに入っても家族連れが多かった。小学校1年かもっと小さな子どもたちが大勢いて、店内は結構騒がしかったが、母親たちが注意する声は聞こえてこなかった。子どもが騒がしいのは自然なことと、周りの大人たちも大きな心で見ているのだろう。私が住むマンションも最近は子どもが増えた。マンションは周りの子どもにとっても遊びやすい場所なのか、マンションに住んでいない子どもたちも集まってきている。

 中庭でボール遊びをしていたが、うるさいことと他の人に当たるかも知れないというので、禁止になった。玄関のエントランスホールでかくれんぼや鬼ごっこなどしていたが、これもうるさいことと他の人にぶつかったりして迷惑になるというので禁止になった。座り込んでカード遊びをしていると、行儀が悪いとか気味が悪いというので、「ここでは遊ばない」と張り紙が出された。結局、子どもたちは大人の目の届かない場所を探して分散していった。

 大人の目の届く所で遊んでいた方が危険は少ないのに、大人が子どもを危険な場所へと追い込んでいる。教育とか、しつけとか、鍛えるとか、きっと子どもにとってプラスになるはずだと大人が思っていることが、逆に子どもを追い込んでいる。「勉強しなさい」と親は言うけれど、なぜしなければいけないのか、イヤそもそも勉強って何なのか、考えては言っていない。そういうことを私が言うと、多くの人は「屁理屈など考えずに勉強すればいい(させればいい)」と呆れる。

 「子育てって本当に難しい。別人格だって気が付いた。熟すまで信じて待つのが子育てね」と聞いた。そういうことなのだろう。新学期が始まった。マンションの中庭からは元気な子どもたちの声が聞こえてくる。子どもたちの元気な声が私を元気にさせてくれる。夢を追うことはないけれど、望むことならある。

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