友々素敵

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首長業界の常識っておかしい

2012年12月04日 18時52分54秒 | Weblog

 衆議院議員選挙が公示され、街ではやかましく街宣車が走り回るのかと思われたけれど、公示より以前の方がはるかに選挙戦らしかった。古い友人から、選挙事務所で誰それに会ったと電話があった。まだ、政治にかかわっている人がいるのか、元気があるねと感心した。

 首長になった私の後輩は、「首長業界の常識は、与党も野党も関係なく、どこの政党にも顔を出す、推薦もする、応援演説も行なう。でも、私はノータッチでいくと決めた。すると12月の議会の一般質問で、『補助金がもらえなかったら、どうするのか』という追及されるそうだ。

 彼がどんな風に答えるのか知らないが、首長業界の常識はおかしいのではと私も思っていた。首長の中にはあらゆる政党からの推薦をもらって当選している人もいるが、余りにも節操がない。首長は1つの政党に偏らない方がよいという考えから、あらゆる政党からの推薦や支援を受けずに選挙を戦うことが首長選挙の基本だと私は思う。

 あらゆる政党から推薦なり支援を受ければ、当然にも選挙で恩返しをすることになる。敵対している政党の選挙の応援で、よくも抜け抜けと両方に、「なんとしてでも頑張って、当選してくださることが当市の発展に不可欠です」と言えるものだと思う。応援を頼まれればどこの政党にも顔を出すことは信念がないし、不誠実なことではないのかと思ってしまう。

 「補助金がもらえなかったら」と質問する議員は、ゴマをすれなければ補助金は下りてこないと本気で思っているのだろう。それなら逆に、「あらゆる政党に顔を出せば、補助金は出るのですか。反対に顔を出さないと補助金は出ないのですか。もし仮にそうであるなら、そのような仕組みは間違っていませんか。正した方が良いのではありませんか」と、その議員の政治意識の変革を迫りたいと思う。

 首長は自治体が当面する問題の解決のために、県会議員や県庁の職員のところへ日参するし、場合によっては国会議員や中央官僚のところへもお願いの行脚である。本当にそんなことをしなければ地方自治体への配慮はないのか。どれだけ日参するかが解決の目安であるなら、本当にこの国はどうかしている。

 総選挙で大きく政治の地図は変わるのだろうか。いや、変えなくてはならないだろう。政党が乱立していて、有権者は戸惑うかも知れないが、私はむしろ良い前兆だと思っている。本音が見える政治に少し近づいて来たように思う。

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