友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「勘違い」の多いのは昔から?

2016年11月25日 17時26分49秒 | Weblog

 「タイトルが岡崎市美術博物館と安城市歴史博物館となっているのに、安城市歴史博物館のことは何も書いてないわよ」と指摘された。その通りで、安城市歴史博物館で行われていた『若冲と京の絵師』まで書くつもりだったのに時間切れで中途半端になってしまった。

 車で岡崎まで行くのだから、安城市中央図書館に展示されている教え子の作品を見て、図書館でボランティアをしている長女のダンナのお母さんにも会って帰ろうと思っていた。お母さんから若冲展の話を聞き、一緒に観てきた。土曜日には若冲のコレクターである細見吉行氏の記念講演もある。安城市は中央図書館を閉館し、もっと大きな複合体の図書館を創る計画だという。

 昼食のためにモスバーガーに入った。大学4年の孫娘がいた時は、書店に行きモスに寄るのがふたりのデート・コースだった。注文はいつも孫娘がしてくれたから、ひとりで注文できるのかとちょっと緊張した。お客が少ないためか、店員さんがアルバイトの女学生だったからか、ジイジがひとりで来たからか、ゆったりと接客してくれた。

 店に置かれた雑誌『サライ』を読んでいて、童謡の「勘違い」に気付いた。三木露風の『あかとんぼ』は誰でも知っている歌だが、「おわれてみたのはいつの日か」を、私は恥ずかしいことに「追われてみた」と思っていた。ところが「負われて見た」と知った。15歳で嫁にいった「ねいや」におんぶされた三木の、子どもの頃に見た光景だったのだ。

 野口雨情の『シャボン玉』についても、「夭折した子どもを悲しんだ歌」と国語の先生が教えてもらったのは教員になった時だった。先日も映画で『はないちもんめ』が人買いの歌と知って驚いた。「勝ってうれしい」「負けてくやしい」と歌うからジャンケンの勝ち負けだと思っていたが、「買ってうれしい」「まけてくやしい」のことだという。

 童謡には悲しい歌や恐ろしい歌があるようだ。『赤トンボ』は音楽の教科書に載っていたように思っていたが、「15で嫁にいく」のは法律違反というので載せていないらしい。それにしても「勘違い」が多い私である。だから良かったのかも知れない。


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