友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「勝ち組」と「負け組」

2007年03月26日 19時55分11秒 | Weblog
 世界フェギア大会で安藤美姫選手が優勝した。
 絶対的に優勢だったはずの韓国のキム・ユナ選手がミスを犯した時点で、安藤選手は優勝へ一歩近づいた。浅田真央選手はショートでのミスがなければ必ず優勝していたはずだ。大会前の専門家ではない巷の人々のウワサでは、優勝は浅田、2位がキム、安藤は3位になれるかどうか、というものだった。我が家の娘たちは「ミキテイの時代は終わったのよ」などと淋しいことを言う。そんなことはない。少なくとも中高年の男性ファンは安藤選手のあの大きなお尻が好きだ。あの「助けて」と言っているような顔を見たら絶対に優勝はこの子にと思うはずだ。

 優勝候補がミスで沈んだ。安藤選手にチャンスが巡ってきた。4回転はしなくてもいい。無難にキチンとこなせば優勝できるかもしれない、などと消極的なことを考えた。もし、安藤選手が私と同じように消極的な思考に陥っていたなら、きっと優勝は無理だったと思う。取り返すことのできない一発勝負の世界では積極性に欠けたら負けだろう。安藤選手は私などよりはるかにスケールが大きかった。

 優勝するためにどんなに努力をしたのか、テレビで見るだけの側ではわからない。友人が「やりたいことがあったら努力しなさい。努力もせずにあきらめたら、それは自分が負け組であることを認めることよ」と、子どもに話したと言う。「やりたいことがやれれば勝ち組で、やれない人は負け組」というのである。私はどうしてもこの勝ち組とか負け組という言葉が好きになれない。創価学会の新聞にも「人生は戦いである。戦いには勝利しなくてはならない」とあった。この新聞には「勝利」という言葉がよく出てくる。

 本当に人生は戦いなのか。やりたいことができなければ「負け組」の人生なのか。もっと言えば、なぜ負けてはいけないのだろう、「負け組」ではどうしてダメなのだろう。確かに世の中には自分の目標をしっかり持って生きている人がいる。希望を成就した人もいる。事業に成功してお金持ちになった人もいる。「勝ち組」になった人たちは、「負け組」の人などが想像もつかない努力を払ったに違いない。だから「勝ち組」の人に敬意を払うし、非難する気は全くない。

 喫茶店でお年寄りの女性が7人、おしゃべりをしていた。嫁のことや孫のことや誰それがどうしたとか。そのうち健康のことが話題になり、あの人は病院に入っているがもうだめみたいだとか、話は尽きなかった。そんな中で「長生きしても健康でなければね」「平均寿命と健康寿命は違うんだから」などと話していた時、一人が「健康で長生きが一番」と言うと「そんでポックリ逝くのが一番」と付け加える人がいて、みんなどっと笑った。この人たちは、「勝ち組」「負け組」をどう考えているのだろう。最後に笑って死ねたならばそれは「勝ち組」という判定なら、ぜひそんな最期であって欲しいと思う。
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2 コメント

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書かれてしまった~~; (tama)
2007-03-29 15:24:11
自分に負けるなといつも思います。
怠惰な自分がいると(いつもですが)
悲しくなります。
息子には 息子の可能性(能力)があるはずです
自分の持っているものを
最大限に引き出してやれるのは自分以外の何ものでもないはずです。
楽しい人生である満足感の中に
もっと若い時に一生懸命勉強しておけばよかったと後悔する自分がいます。
後悔しない人生なんてないけれど、息子の人生は少しでも後悔の少ない人生であるようにと願うものです。
他人に勝つのではなく、自分の中の誘惑に勝ってほしいと思うのですが・・・。
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Unknown (鈴木よしひこ)
2007-03-31 14:45:50
余り息子さんに期待しすぎると、それは紛れもなく親の愛なのでしょうが、知らず知らずのうちに息子さんへの重荷となるかも知れません。息子さんの人生をあなたが生きるわけではないので、相談にはのるが指示はしないことだと思います。むしろ、あなたが何を大切にし、どう生きるかということじゃーないでしょうか。
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