友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

親が子に、大人が子どもに、伝えること

2007年03月29日 23時06分31秒 | Weblog
 先日のお昼は孫娘と私の二人きりだった。
 孫娘は私のパソコンを使ってなにやら調べていたが、そのうちにテレビドラマ『花より男子』に行き着き、ジッと食い入るように見ている。たまのことであるし今日は見せてやろうかと思い、一人で昼食の準備をする。正午になり、準備はできたのにいっこうに来る気配がない。彼女がどう言うか、見てみようと思い、声をかけずに黙って待った。待つこと45分、NHKのテレビドラマ『芋たこなんきん』が始まった。そこで彼女の耳まで聞こえるようにボリュームを上げてみた。

 「ごめんなさい。遅くなりました」と素直に謝ってきた。「もう、プンプン何だからね。罰を受けてもらいますよ」と私は怒って言った。何しろ一人っきりの孫なので、ジジババから怒られたことがないのだ。ここはしっかり怒らないと、人の痛みがわからない子になってしまっては困る。人はお互いに助け合って生きている。自分一人では何もできない。私は食事の用意はできるけれど、食材も食器も人が作ってくれたものだ。みんなで生きていくためには人のことを気にかけないといけない。そのことを4月からは中学生となる孫にもわからせる必要がある。

 「私はご飯を用意しましたが、あなたは何もしていません。ですから罰として、食べ終わったら、お茶碗を洗うか洗濯物を干すか、どちらかを選んでやりなさい」言う。孫は「ごめんなさい。私はお茶碗を洗う」と言い。二つともやらせた方がいいようにも思ったが、自分が悪かったと気付かせることの方が大切だと考えた。それでも結果としては、困難な方を選択してくれたので、この子の感性に間違いはなかったと思いホッとした。

 今日、大和塾の代表の山田さんからこんな話を聞いた。山田さんが奥さんと二人で電車に乗った時、いくつ目かの駅で幼い子どもを連れたお母さんが乗ってきた。山田さんの奥さんが席を譲ると遠慮してみえたが、子どもに「ありがとうといいなさい」と言ってお母さんは子どもを席に着かせた。降りる駅は一緒だった。先に降りたその家族は、山田さんたちが降りてくるのを待っていた。子どもは直立不動でしっかり前を向き、「ありがとうございました」と言って頭を下げた。病院の検査を受けに行く途中であったが、とても清々しい気持ちにさせてもらったと山田さんは言う。

 人はいつも、一言で傷ついたり、一言で嬉しくなる。それは人が人とつながっているからだ。人のことを気遣うことのできる人間になってもらいたい。孫娘にそれを伝えていかなくてはならない。
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