友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

憂鬱な日々が続いてもいつかきっといい日が来る

2016年11月26日 15時51分13秒 | Weblog

 「ふれあいフェスタ」で古い知人に会った。私が国際交流グループを手伝っていた時、行事に参加してくれていた女の子だ。その頃は天真爛漫な明るい子だったのに、どういう訳か元気がない。「あれ、元気ないねえ」と言うと、「ちょっと聞いてくれますか」と言って一気に話し出した。

 結婚したこと、その家の義母と義理の姉が彼女のことを嫁として認めていないこと、話の内容はそういうことだった。義母は一日中家にいるのに、働いて帰るとすぐ「ご飯はまだ?」と言う。義理の姉はいつも子どもを連れて来て自分は遊びに行ってしまう。子どもは当然彼女になつくが、それが気に入らないから、彼女が遊んであげていると無理やり「帰るわよ」と子どもを取り上げてしまう。

 「わたし、女中に来たわけじゃーないのに、女中以下の扱いでこき使われている。町のドブ掃除や町内の仕事もみんな押し付けられて、いったい何なのと気が狂いそう」と愚痴る。典型的な嫁いびりの家庭だ。「ダンナさんはどうしているの?」と言い出しそうになるのを堪えて、「大変だね。嫌なことばっかりだけど、いつも笑顔でいてね。そのうちにきっといいこともあるから」と言う。

 耐えられそうもない日々が続いたとしても、必ずどこかで嬉しい時もあるはずだ。安倍首相が年金制度改革法案を審議していた衆議院で、「私が述べたことを全くご理解いただけないのであれば、何時間やっても同じですよ」と述べた。さらに「法案に対して不安を煽ることは出来ても、民進党の支持が上がるわけではない」とまで言う。地方議員だった時、理屈で相手を負かせても採決では勝てない。「議員同士で議論して採決」は全くの幻想だった。

 安倍政権下の国会審議を見ていると、民主主義って何だろうと思う。「民主主義は多数決」というなら議会での質問や議論はただのセレモニーだ。憂鬱な日々が続くけれど、きっとそのうち民主主義の在り方も変わるだろう。そう言い聞かせて、いい日が来るのを待っている。今晩は長女のダンナのお父さんとダンナのすぐ上の姉夫婦が遊びに来る。私の友だちにも来てもらい、みんなで飲む。明日は私が担任をしたクラスの生徒たちとの集まりに出かけるので、ブログは休みます。

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