友々素敵

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日本国憲法に感動した

2016年11月04日 17時35分57秒 | Weblog

 いまだに「日本国憲法は押し付けだから、自主憲法を制定しよう」と言う人がいる。「押し付け」が問題なら、日本人の歴史そのものを否定する考えだ。日本は常に外国からの「文化」を受け入れ、自分のものにしてきた。漢字も仏教も中国から伝来したものだ。「押し付け憲法はだめ」と言う人も洋服を着てクリスマスを楽しんでいるだろう。「押し付け」であっても、それが「よい」ものなら否定することはない。

 しかし、「押し付け」と言う人は「新しい憲法」を作成するにあたって、日本人が参加していたことをどう思っているのだろう。学者や政府関係者だけでなく、地方でも「新しい憲法づくり」に意欲を燃やしていた地域があった。新しい国づくりに向かって、どういう国でありたいか、関心があったということだ。佐藤さんという政府で憲法づくりにかかわった人も、「主権在民や基本的人権は当時としては当たり前で、日本もその仲間入りをしただけのこと。けれども戦争放棄は世界に先駆けた最も先進的なもの」と話していた。

 おそらく、「押し付け」を問題にする人は、「第9条の戦争放棄」を変えたいのだろう。「第9条があるため、中国にやられっぱなしだ」と言う人がいる。「やられたら、やり返せ」と言うなら、いったいいつになったら平和が来るのか。核を持てば攻められないからと、核保有に走る。それは核の恐ろしさを知っているからだ。だからこそ、核兵器禁止を実現しなければならない。抑止力としての核は危険そのものと考えないと泥沼に入り込む。

 「唯一の被爆国」は誇りにはならない。日本が唯一誇りにできるのは、憲法で戦争放棄を定めていることだ。だから、世界中に「戦争放棄」を訴えることができる。私は中学の時に日本国憲法を読んで凄く感動した。世界の理想がここにあると思った。なのに、現実はどんどん理想から遠ざかっている。子どもや孫たちはこの理想を大切に生きて欲しい。

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