友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

悪いことが起きるのはどうしてなのか?

2016年01月19日 18時48分08秒 | Weblog

 長野県軽井沢町のスキーバス転落事故で、重体だった大学生が亡くなり、死者は15人となった。事故の原因についてはいろいろ言われている。運転手は65歳で、大型バスの運転は苦手だったと言う。それなのになぜ運転し、慣れない山道を走ったのだろう。物知りの先輩に言わせると、大型バスの運転手が足りない状態にあり、高齢の運転手が増えているらしい。

 運転手は業務だから仕方なかっただろうが、強い気持ちの人なら拒否したかも知れない。「人がいないんだ。頼むよ」と言われて、「イヤ」と言えば、「明日から来なくてもいい」ということになるだろう。戦力にならない人を雇っておく余裕はどこにも無い。バス会社もツアー会社から「この値段でお願いします」と言われて、「出来ません」と言えば仕事が来なくなる。

 ツアー会社も他社より安くて魅力的なツアーを企画出来なければ生き残れない。滅茶苦茶儲けてやろうということではない。どこもそんなに利益があるとは思えない。亡くなった運転手も非正規社員というから高額の賃金ではなかっただろう。みんながそこそこに生きていくために、「多少のことは勘弁して」という気持ちだったはずだ。

 確かに法令違反かも知れないが、バス会社もツアー会社も、いやどこの企業も厳密に見たなら、なにがしかの法令違反を犯しているだろう。会社が法令違反せよとは命令していなくても、みんなが会社のためであり社員のためにやってしまっている。東芝がいい例であり、カレーの壱番屋の廃棄した食品を廃棄物処理業者が「もったいないから」と転売したことも似ている。

 日本の企業は「会社は親であり、社員は子」という強い絆で成長してきた。親が不正をするわけはないし、子を見捨てるわけがない。そう信じてきた。だから子どもである社員がストライキで親に歯向かうことは出来なかった。官公労にはそうした体質が無かったのでストライキが実施された。

 根っから悪い奴は滅多にいないのに、しかし悲劇は必ず起きる。社会の歯車が少し狂ってきているのだろうか。ではなぜ、狂ってきているのだろう。普通に暮らし、普通に努力しているのに、それでも悪いことが突然起きる。原罪?そうかも知れないが、じゃー、どうすればいいのだろう。

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