友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

理想的な社会って?

2009年02月06日 18時10分58秒 | Weblog
 パナソニックが正社員を含めた1万5千人の従業員を削減するという。ソニーも東芝もシャープも、富士通もNECも、トヨタもホンダも三菱も、大手企業は世界的不況の波を受け、人員削減に動いている。営業損益は黒字でも売り上げ見通しは大幅なダウンが予想され、赤字転落は必至と見込まれるからだという。アメリカから始まった世界恐慌だから、予想できなかった事態であったかもしれないが、需要と供給のバランスで経済が成り立っているのなら、どうしていつまでも前年度比で数字を見ようとするのか、案外に経営者側も智恵がないのだなと思う。

 車でも家庭電化製品でも人口が減っているのだから、特に購買層が減ってきているのだから、当然頭打ちの時期が来るはずだ。国内がダメなら海外へと言うけれど、どこの先進国も同じことをするのだから当然購買層は狭くなる。にもかかわらず、前年度よりも多い数字がいつも並べられる。自治体の総合計画なるものも例外ではなく、10年後の人口の伸びは必ずプラスになっている。全国の自治体の10年後の人口を合計すれば馬鹿らしいほどの人口増であるだろう。マイナスを考えることができない体質が経営者にも自治体のトップにもある。

 右肩上がりの数字を並べず、マイナスになっていく場合のあり方を考え示すべきだ。マイナスでは家電会社も自動車会社もつぶれてしまうのか、と言えばそうではない。頭打ちの状態はやってきても、テレビやパソコンや車が不要となったわけではない。現在使われているこれらの商品はいつか買い替えの時期がやってくる。だから家電会社も自動車会社もなくなるわけではない。現在の経営者が売り上げ見通しを右肩上がりで考えたから、赤字に転落することになったに過ぎない。

 最悪の事態は最高のチャンスである。経済のあり方や自治体のあり方を考え直すよい機会だ。私は長い間、理想的な社会があって、その社会を実現すればすぐさま現在の矛盾が解決できるように思っていた。けれども実際は、今ある矛盾を解決していくことで理想的な社会へ向かうのだと思う。キリストもマルクスも理想的な社会があると口にしている。しかしそれは「神の王国」であったり、「自己目的として行為しうる人間の力の発展が(行き着く)自由な国」というような漠然としたものだ。あるべきものがあるのではなく、あるべきものになっていくためにつくり上げていくことなのだろう。

 2月5日は津軽三味線の演奏家、高橋竹山さんの命日である。高橋竹山さんの演奏を聞いたのは10代、中学か高校の時だと思う。テレビではなくラジオで聞いたからもっと小さかったかもしれない。身震いするほど感動した。雅楽も日本の音楽かもしれないが、津軽三味線には人の生き様があると思った。力強いし物悲しいし、同じ血が流れていると感じるものがあった。大人になって、高橋竹山さんの生涯を知ることができ、演奏を聴くだけで涙が流れてしまう。

 高橋竹山さんの生家は貧しかった。目の見えない彼は門付け芸人となって家から家へと廻ったそうだ。時には水をかぶせられたこともあったという。貧しかったから高橋竹山さんのような名人が生まれたという人もいるが、それを全否定する気はないけれど、そこには高橋さんの不屈な努力があったからからで、貧しいことが正当化されることではない。

 社会は善意の人々が支えそして引っ張っていくのだろう。善意の人たちが活躍できるようにせめて協力していくことが凡人の勉めなのかも知れない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする