友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

断末魔でしかなかった

2009年02月02日 23時15分05秒 | Weblog
 吉本隆明氏と言えば、私の学生時代では新左翼を代表する思想家の一人で、何だか神様に近いような人だと思っていた。以前にもちょっと書いた気がするが、私が最初に吉本氏の本で手に入れたのは『芸術的抵抗と挫折』だった。私が大学生になったのは1963年で、60年安保闘争の余韻がまだ色濃く残っていた。それは新しい時代の息吹というよりも、闘争に燃え尽きそれでも世間は変わらない挫折感だった。

 「抵抗と挫折」は、なぜか60年安保にかかわれなかった私であったのに、強い共感を持って私の中に入ってきた。高校生になり、自分は大人だと思ったが、高校は中学校の延長で、しかも大学進学のための予備校のようで、私が思い描いていたものではなかった。愛や生きることや社会について、議論することのできたのは新聞部の仲間と中学校からの友だちに限られていた。新聞部であるいは生徒会で、学校の枠に楯突いてみても、結局は学校の中の数多い出来事のひとつに過ぎなかった。

 新左翼の思想家の著書は私には抵抗なく読めた。高校の先輩から共産党への参加の誘いもあったが、拒否反応のほうが強かった。別の大学へ通っていた高校時代は比較的親しかった同級生がオルグに来た時は、ソ連が持っている核はよくてアメリカの核は悪だと言うのでケンカになってしまった。別れ際にその同級生は「お前みたいなヤツは革命の時は銃殺だ」と言った。共産党はこんな馬鹿なヤツがいるのかと思い、絶対信用しないと決めた。

 私が思い描いていた理想社会はキリストの描く理想社会だった。吉本氏の『芸術的抵抗と挫折』の第1章に「マチス書試論」があり、聖書をこんな風に読む人がいるのか、そうかこんな風に読めばいいのだと目を開かせてくれた。その吉本氏の講演がNHK教育テレビで放映されていた。体制にとって、吉本氏はもう毒でも薬でもないということなのだろう。実際、録画して2度聞き直したけれど「ええ、そうですね」と言うくらいの感想しか持てなかった。

 吉本氏は軍国青年だったが、敗戦によって世界を把握する方法が欠落していたことに気付いた。そこで5年から6年かけて古典経済学のアダム・スミスからマルクスまでを学び、世界を把握することができたと言う。マルクスが指摘する「わからないことは遡って考察してみる」姿勢こそが原点だと言う。そしてそこから「芸術言語論」の展開が長々と行なわれた。「自然(対象)と人間とは互いに変化する」とか「つなげてみると明瞭に見えてくる」とか「芸術は価値がないから意味がある」とか「芸術は偶然から生まれるが、偶然は必然なのだ」というようなことは、関心のある人ならば誰でも知っていることだった。

 吉本氏は世界を把握する方法として、経済学をあげているのだから、その経済学で今日を分析することも可能ではないないのか。もっと言えば、未来までは予想できなくても明日か来年か、近い将来の予想はできるであろう。しかし、吉本氏は言語の自己表出や指示表出にこだわった。言語をそのように分析して、世界がどのように変わるというのだろう。

 83歳の吉本氏の講演はなぜか私には空しかった。寂しかった。断末魔の吉本氏を見るようだった。
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