友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

どんな人生を選ぶのか

2007年03月08日 23時57分37秒 | Weblog
長女は不思議な子である。
幼い時は一人でぶつぶつと言いながら自分だけの世界に陶酔していた。こんなにも一人遊びができるものなのかと感心した。小学校では、低学年の時は給食が食べられなくて一人残され食べさせられたという。中学年の時はいつもごろんごろんしていたように思う。どこか身体でも悪いのではないかと思ったくらいだ。

 それが高校では陸上部に入った。たまたま中学校の体育大会の100メートル走で速かったのだ。今もその記録は破られていない。普通高校だったから当然大学へ進学するものだと思っていたら、専門学校へ行くと言う。しかも3年生でありながらアルバイトに精を出していた。就職してそんなに経たないうちに結婚すると言い、すぐに出産となった。そればかりか子育ての真最中だというのに、仕事を休んで4年間大学へ通った。そして復職したのに今度は専門職の資格を取るために半年間広島へ行ってしまった。孫は私たちが育てているが、毎日母親とメール交換している。

 全国でも何人というエリートとなる資格で、かなりの難関であるらしい。昨夜、孫のところに「心臓が痛くて、もうだめ。」とメールを送ってきた。かなり参っている様子だ。実習は良い成績だったらしいが、学科試験の方は簡単にはいかなかったようだ。寝食を忘れて頑張ったようだが、ペーパーテストは結果がハッキリと出る。「そりゃーママ死んでしまうかもしれないね」と冗談っぽく言うと、孫は真剣な顔で「そんなふうに死ぬなんてことを簡単に使うものじゃーないよ。パパちゃんだって、死ぬといわれたらどうするの」と怒られてしまった。

 孫は母親を絶対視している。母親くらいすごい人はこの世にはいないと思っている。仕事もできるし、運動もできるし、上司との付き合いも上手にできる。あなたのお母さんはちょっと変わった人であるけれど、そんなにすごい人でもなければ、特別な人でもないよと、言ってやりたいところだが、たとえそう言ったところで孫は、私の言葉は信じないだろう。それでよいと思う。これだけわが子から信頼されている母親はこの世の中にはいないだろう。その信頼をぶち壊すようなことをする必要はない。

 孔子は「先ず行う。その言や、しかるのちにこれに従わん」と言った。また、「成事は説かず。遂事は諌めず。既往は咎めず」とも言った。一生懸命に努力したことが大事であって、その結果は受け止めなくてはならないが、そのことでクヨクヨすることはないと孔子は言っているのだ。紀元前4百年も前の人の言葉である。長女が何を目指し、そのためにどのような努力と犠牲を払ったのか、正確なところは知らないが、人生は長いし、いつでも再チャレンジできる社会を目指すと安倍総理も言っていることだから(本当はどうなのかは知らない)、また機会があれば何かにチャレンジすればよいと思う。

 人生は一度しかないけれど、一度しかないからこそこの道しかないと考えずに、いろいろと自分を試してみれば良いと思う。人はいつも自分が選択している。自分が思うことを、欲することを、やってみればよい。その結果は、自分が選択したことなのだから、当然ながら自分が負うことになる。慎重に生きることも人生。やってみようと生きることも人生。どちらも自分の人生であることには間違いない。
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