友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

憎まれっ子世にはばかる

2007年03月05日 23時30分58秒 | Weblog
昨日は暑いと言ってもよいほどの陽気だった。名古屋ではゴールデンウィークと同じ22度5分だったという。半そで姿の人を見かけた。

ところが今日は朝から雨が降り、風も強かった。それでも本格的な寒さが来ないままにすっかり春である。おかしなことばかり続くと思っていたら、ウチのカミさんが昨夜、真夜中に起きだして何やらゴソゴソやりだした。

「どうしたの?」と聞くと、「熱がある」と言う。冷蔵庫の氷を氷嚢に詰めている。また孫が熱を出したのかと思い、「ちゃんと計ってからしないと逆に風邪引いちゃうよ」と言う。「寒気がして体の震えが止まらない。計ったら38度6分あった」と少しイライラして言う。孫ではなくカミさんが熱を出したのかと知る。

昨日は孫を連れて、高島屋で企画展を見など、あちらこちらと動き回っていたのにである。「鬼の霍乱」ならぬ「カミの錯乱」である。ただの風邪とかインフルエンザならよいが、とんでもないような病気だったらなどと余計な妄想に取り付かれた。今朝は平熱に戻ったからと仕事に出掛けて行ったが、その責任感はたいしたものである。それでも念のためにと、仕事から帰るのを待って医者のところに連れて行った。

 「ただの風邪のよう」と言うのでまずは一安心である。私たちのように還暦を過ぎた年寄りはどこからガタが来るかわからない。身体は確実に疲労を重ねている。機械ならポンコツになってきている。私自身はやりたいことをやってきたのであまりこの世に未練はないが、カミさんは私の犠牲となって生きてきたから恨みは多いはずだ。そんなことを思うと、まだまだ死ぬようなことはないだろうと思い至り、安心した。

 「社会に貢献している人は長生きする」と誰かが書いていたが、そういう面はあるかもしれないが、恨みであれ、やり甲斐であれ、生きようとする意欲の高い人は長生きすると思う。そういう意味では、私はあと一つくらい何か面白いことができれば本当に思い残すことはないなあーなどと思っている。これは危ないかもしれない。欲を出して、「憎まれっ子世にはばかる」方がいいのかもしれない。
コメント (2)
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