Tシャツとサンダルの候

宝満山行者道と高橋紹運。

イテテテ

 

 

失礼。

冒頭から、意味不明な画像で始まってしまった。

 

事の顛末は・・・

 

 

いや、順を追って書いていこう。

昨日は久しぶりの宝満山である。

 

宝満山を選んだのは、竈門神社拝殿右側に行くと、行者道という、歩いたことが無い別の登山道があると聞いたからだ。

迷うようなところも無いと言う。

それならば、登ってみなければ。

 

特に案内板らしきものは無かったが、確かに一本の道が伸びていた。

取り敢えず進んでみよう。 

なかなかいいじゃん。

いつもの石段の正面登山道に比して、こちらは杉木立の中を行く自然道である。

いつの時代の物か分からないが、礎石があった。

ここまで登って来ると、今度はズンズンと登山道は下って行く。

このまま進んでいいのだろうか?

麓に降りてしまうってことないよな。

例によって、また道を間違えたんじゃ?

だんだんと、不安になってきたところで、

 

あった!

 

ここを左に行けば、目指す行者道らしい。

 

ここから先は、急に傾斜がきつくなり、おまけにガレ場が続く。

 

両手を使って、岩をよじ登るような場所も多い。

 

巨岩の間を行く。

 

ふえ~~

 

まだ45分もかかるのかよ。 

 

尾根まで出たらしい。

暫く尾根沿いを歩くと、 

見慣れた中宮跡に出た。

ここで、いつもの正面登山道に合流である。 

女道へと進む。

 

最近、高橋紹運という、戦国時代を駆け抜けた武将に凝っている。

西国一の弓取りと讃えられた立花宗茂の実父で、ここからすぐ近くにある岩屋城と言う支城で、壮絶な最後を遂げた武将の事である。 

最後の時は岩屋城で迎えたが、本来は、宝満山にあった山城が紹運の居城である。

この垂直に切り立った絶壁の下を行き、鎖場を登ると頂上だ。

 

竈門神社上宮。

宝満山城の本丸がどこにあったのかは、ハッキリしないらしい。

だが、少なくともここに櫓はあった筈だ。

ここからは、筑後方面、博多湾を含む筑前方面、支城である岩屋城周辺の様子が、手に取るようにわかるからだ。

てな事に思いを馳せながら、 

グビ

 

モグモグ

 

昼飯を喰らう。

 

 

 

 

さて、 

昼飯も食い終わったし、下山するか。

ザックを担いで岩場から降りた時、おもむろに、ケーナの音色が聞こえてきた。

オッサン。

気持ちは分かるけど、人に聴かせるような腕前じゃないぜ。

俺はこれから下山するからいいけど、周りの人はとっても迷惑だと思うけどな。 

帰りは正面登山道を行く。

 

麓までこの石段が、鬼と叫びたくなるほど延々と続く。 

前回登った四王寺山。

あの山の一画に、紹運が立て籠った岩屋城があった。

近いうちに是非とも訪ねてみたいものだ。

 

 

ピコン

 

スマホが鳴った。

何かお知らせが入っているようだ。

この先、険しい道などはない。

歩きスマホで、チラッと画面を見た。

いや、ほんのちょっと、ちょびーっとだ。

 

 

 

こけた。

 

 

ウギ!

 

クゥーーー

 

 

しばらく立ち上がれなかった。

どうやら、軽い捻挫であるらしい。

 車まで戻るのに難儀した。

 

 

で、冒頭の

これである。

 

イテテテ

 

 

 

但し、大袈裟にはしてるが、大した事は無い。

少し腫れてきたので、湿布を張っただけだ。

 

 

明日からは、また登れる、、、

 

と、思う。

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