みのる日記

サッカー観戦記のブログです。国内外で注目となる試合を主に取り扱い、勉強とその記録も兼ねて、試合内容をレポートしています。

浦和 × G大阪

2007年01月03日 | サッカー: 国内その他
第86回 天皇杯 全日本サッカー選手権大会 決勝: 浦和レッズ 1-0 ガンバ大阪
(2007/1/1)

■ リーグ最終節とは立場の違う両雄
改めまして、明けましておめでとうございます。今年最初の記事はもちろんこれです。国内サッカーファンにとって元日と言えば、天皇杯決勝戦の日に他なりませんよね。晴れ渡る青空の下、今シーズンラストの一戦が国立競技場で行われました。

ここまで勝ち上がってきたのは浦和とG大阪です。もう語り尽くしてきましたし、Jリーグを観てきた方々にとっては今さら説明の必要もないであろう、紛れもなく今期の主役であった2チームです。昨年12月2日の優勝決定戦からちょうど1ヶ月、再びこの両雄がタイトルを賭けて激突することになりました。
このまま無冠では終われないG大阪。そのG大阪にまたも立ちはだかる王者浦和。最も興味が引かれる対戦カードの実現となりました。

ただし、あのリーグ最終戦のときとは両者の立場が違います。播戸と遠藤が病み上がりというコンディションの上、試合前から3点差のビハインドと、G大阪は奇跡に向かって挑まざるを得ない「ハンデ」を背負っていました。ですが、今回「ハンデ」を抱えているのは浦和の方なのです。
リーグ初制覇に全てを尽くした浦和は、その達成の代償として故障者、負傷者、体調不良者が続発し、ガタガタの状態になってしまいました。それでも、苦しみながらも決勝まで駒を進めたその総合力には見事と言うほかはありません。ただ、もう今期のあの圧倒感はさすがに薄れてしまっている現状です。さらにG大阪の方は全体が完全に復調していて、万全の態勢でもって今期の集大成をぶつけようと待ち構えているのです。表向きは王者に挑むG大阪といった謳い文句でしたが、実際には浦和の方こそが挑戦者であったのかも知れません。
そしてこの「ハンデ」が、やはり如実に試合の中で表れてしまいました。

浦和は懸念されていた山田と鈴木が、不完全ながらも何とか出場してこれるまでに治りました。もう限界ギリギリといった状況の陣容です。
GKは引き続き都築。DFは坪井が間に合わず、今日も左からネネ、内舘、細貝という3バックです。中盤では、2試合で3得点の小野がこの日も前線で起用されました。長谷部は控えに入ります。ボランチに山田と鈴木、左に相馬、右に平川、ツーシャドーに小野とポンテ。FWは永井一人と、準決勝と変わりのない3-6-1です。

G大阪も、出場停止だった播戸が復帰したこと以外には前回と変わりがありません。
GKに松代。DFは山口、宮本、實好の3バック。MFは後方に明神、左に家長、右に加地、前方に二川、そして中央で遠藤が自由に組み立てるという布陣。ツートップにはおなじみのマグノ・アウベスと播戸が君臨する、3-5-2の陣形です。

■ 悲壮感漂う浦和にもたらされた奇跡
リーグ最終節同様、G大阪が自身のパスリズムで支配するサッカーで、試合開始から浦和を圧倒していきました。しかしながら、その圧倒さの性質はその日とは全く異なります。始めに申し上げてしまうと、この日の浦和は試合運びにおいては惨敗でした。過言ではないと思います。まるでG大阪に太刀打ちできないチームとなってしまっていました。
しかしこれは仕方のないことだと強く主張したいと思います。前述した「ハンデ」が、両者の差を歴然とさせていました。単純にあのリーグ最終節と比較して、各ブロックにどのような変化があったのかを振り返ります。

まずはG大阪の守備陣のエリアです。
対戦相手となるこの日の浦和の前線は小野、ポンテ、永井の3人に変わっていました。浦和にとっては残念なことですが、この3人には前線での守備能力や労を厭わぬチェイシングなどは現在ありません。G大阪のDF陣は、ボール保持時にはほとんど脅威がないことになります。
加えて、ポストプレーや味方を活かすハードワーキングなど、常にポジショニングにおいて守備陣の神経をすり減らさせていた要素も浦和は欠いていました。最終節での同点弾の演出を筆頭に、最前線で相手を振り切ってでも力強く組み立てたワシントン。神出鬼没の動きで撹乱し、自身も決定的なプレーができるという危険人物だった山田。彼らは今回の攻撃時には不在でした。このどちらか一方でもいれば、さらに輝きを増せるはずのポンテも準決勝に続いて孤立中です。
こうしてG大阪の3バックは自由を与えられ続けました。この試合で一番強く印象に残ったのは、G大阪の支配時における最終ラインの落ち着きと安定性でした。とにかくG大阪は、後方こそが攻めの起点や始点となることが多かったですよね。山口や宮本が実にゆったりと、確実な前方へのフィードを繰り返していました。最終節にはなかった、G大阪の大きなボールの納まりどころでした。

それでも浦和は、小野の卓越した単発個人技と、永井のスピードに乗った動きへと託すことができれば芽がないわけでもありません。しかし、彼らへごく普通のパスを通すことさえも一大作業であり、ボールの配送自体が相当困難なものとなっていました。後方のMF陣がそれどころではなかったのです。続いては中盤のエリアです。
浦和はハーフラインから手前の中盤では、それほど攻守に衰えているわけではありません。鈴木と山田のコンディションが心配なだけです。むしろこのエリアで変化していたのはG大阪の方でしょう。最終節の前半戦で不在だった遠藤、そして封殺されていた二川。この両者の参加です。あのときは家長と加地の両翼と、ロングボールばかりが攻めの中心となっていました。ここに、緩急と異なるタイプの強大な2人のキープレイヤーが加わってきます。相変わらず両サイドがバランスよく絡んでいるところに、二川と遠藤が織り成す中央攻撃も存分に機能していたのです。JリーグでNo.1と呼ばれてもいい中盤の組織が復活していて、全方位から迫ることができていました。
確かに浦和は、遠藤が途中投入された最終節の後半戦に、このG大阪の組織的攻撃を完封して潰すことができていましたよね。ただしそれは、リードを守りきるためにワシントンまでもが下がってきた全員守備によるものであったことを忘れてはならないと思います。前線の支援に全く恵まれなかった相馬、山田、鈴木、平川の4人はほとんど防戦一方で、かつ崩されまくっていたという状況でした。
また、G大阪側は明神のタフな粘りある守備も健在です。浦和の攻撃をリードし得る、G大阪にとっては唯一ケアをせねばならないポンテも、周りとの連係なくしてはこの明神を前にして何も仕事が出来ませんでした。
そして浦和はとうとう90分間まともな攻めへのきっかけさえつかめない、機能不全に陥るままとなってしまっていたのです。

最後に、播戸とマグノ・アウベスが頻繁に動き回るG大阪の前線のエリアです。
ここでは、前回の対決時とまるで同じ光景であるかのように、浦和のネネが播戸につききれていませんでした。一度だけ播戸の得点を阻止したクリアのシーン以外では、ネネは振り回されっ放しです。最終節では、この穴を埋めて代わりに播戸と競り合っていたのが闘莉王でした。あの試合では陰のMVPと言ってもよかった、守備での大奮闘を見せていた闘莉王は、ご存知の通り今期はもう離脱中です。播戸の障害はほぼなかったと言ってよかったでしょう。
さらに厳しそうだったのが、今回先発を託されていた浦和の細貝でした。細貝はG大阪の家長、遠藤、二川といった選手たちのいずれかに寄せられると、途端に混乱をきたしてしまうのです。例えば、きちんと鈴木がカバーに回ってきてくれているのに、まごついて自身が担当すべきマグノ・アウベスをフリーにさせてしまうといった感じです。周りの味方との距離感や1対1の応対への反応も中途半端なため、危機的状況では右往左往するばかりでなかなかついていけませんでした。細貝にとっては実に悔しいことでしょうが、G大阪側から見れば狙うべき「穴」といった存在でありました。マグノ・アウベスを躍動させた大きな要因だったと思います。

これらの全てが併合された優劣から生じたのが、最終節よりも大幅に多発されたG大阪の決定機の嵐でした。
ネネを振り切った播戸のシュート、二川に奪われたネネの致命的なエラー、浦和守備陣のクリアミスからフリーな播戸へ渡ったシーン、コーナーキックからの家長のワントラップシュート、マグノの切り返しでかわしてからのフィニッシュ、かろうじてオフサイドに救われた山口の攻撃参加による得点シーン、二川の右サイドをぶっこ抜くスルーパス、フリーキックに合わせた山口のヘディング、右サイドで播戸とマグノの2人だけで作り上げた決定的場面、空振りで得点しそこなった宮本のヘッド、左サイドでフリーだったマグノのヘッド、中央で全くのフリーとなった二川のファインミドル、スルーパスから飛び出すことに成功した播戸のキーパーとの1対1・・・。
どれもが得点となっておかしくはないものでした。

この状況下で浦和は一体何が出来たのかと言うと、数回の放り込みと数回のミドルレンジからの強引なシュートだけです。この試合の浦和のシュート数は6(今期ワースト2位)、被シュート数は何と21(今期ワースト)。準決勝の鹿島戦をもはるかに下回る、紛れもなく今期最悪となった試合展開でした。もう、浦和には戦える力が残っていなかったのです。悲壮感さえ漂う、王者の痛々しい姿が延々と映し出されていました。

しかしながら、サッカーというものは時としてどう転ぶか全くわかりません。アトランタ五輪での「マイアミの奇跡」(サンドバッグ状態の日本がブラジルに1-0で勝利)を引き合いに出すのは大げさでしょうか。満身創痍ながらも必死さは絶対に失わない浦和を、勝利の女神は見捨てませんでした。
あれほどの集中砲火を浴びて、奇跡的にも失点をしませんでした。
そして一本のカウンターから、奇跡的にも得点を挙げたのです。

ボロボロとなってでも浦和は、今シーズンの最後の最後まで覇者としての意地だけは見事に貫き通しました。栄えある、浦和の国内二冠および天皇杯連覇の達成です。

■ 最大殊勲選手は都築、そして最大の立役者は・・・
浦和が耐え凌ぐことのできた理由は、誰でも明確に理解できた2点に絞られると思われます。浦和のGK都築の孤軍奮闘と、G大阪の決定力不足です。
この試合の最大の殊勲選手に、都築を選ばないわけにはいかないと思います。ファインセーブを連発させただけでなく、決定的なG大阪のシュートシーンを未然に防ぐ、判断力抜群のゴールキーピングが度々ありました。彼なくして無失点は絶対にあり得ません。この天皇杯では、闘莉王、坪井、堀之内、山岸とチームの顔であった「堅守」の選手が全員抜けて、ガタガタとなってしまった守備陣の中で、ただ一人最後まで気を吐いていたのが都築でした。インタビューの際には感極まって号泣しながらの応答をしていた都築でしたが、苦しいチーム事情を最後尾から支え続けることのできた充足感が大きかったのだと思われます。よく頑張り抜きました。
その都築の大活躍に遭ってでも、4~5点は取れたであろう与えられたチャンスの数々を一つも結実させられなかった、G大阪のフィニッシャーたちの責任は非常に重かったことでしょう。ことごとくシュートが枠外やキーパー正面へと飛んでいき、何本かは力なく不発気味に放たれていました。遠藤のフリーキックまでもが、まるで冴えていませんでしたね。いくらゲームを征服したと言っても、この粗悪な精度のシュートばかりでは自分たちから勝利を逃してしまったと言って差し支えがありません。どうも昨年のナビスコといい、G大阪は、決勝という舞台では途端に決めるべきところで決めることができなくなってしまいますね。とにかく、多大に無念さと失意を抱かせたサポーターたちへ、謝罪せねばならない大反省点です。

そして、この試合で唯一の得点となったのは、浦和の永井のゴールでした。これを生み出したのが、G大阪の裏を爆走して持ち込み、2人のディフェンダーに阻まれながらも通した岡野のアシストでした。さらにこの岡野へ放り込んだのが、自身の守備による奪取から即座にカウンターへ移行させた長谷部でした。
この3人の一瞬の活躍が、浦和を勝利へ導いた直接的な原動力であったことに間違いはありません。ただ、それほど優れないであろうG大阪のDF陣のスピードという部分を狙って、岡野と永井という快速の2トップに変更し、長谷部の途中投入もズバリと的中させて、この一連のカウンターを根本的に築き上げた人物がいます。すなわちブッフバルト監督こそが、結果的に一番の勝利の立役者となったのではないでしょうか。
最後となる浦和での試合で優勝をチームに捧げ、3年間の就任で実に4つものタイトルを置き土産として日本を去って行く、このブッフバルト監督について言及したいと思います。

■ 浦和の英雄ギド・ブッフバルト
浦和での指揮が監督としてのキャリアスタートであったことも考慮せねばなりませんが、ブッフバルト監督の戦術指導力や構築力などは、お世辞にも誉められたものではありませんでした。
今期のJリーグの上位陣を顧ると、2位川崎の関塚監督は全員に守備意識を持たせる全員攻撃、3位G大阪の西野監督はパスを主体とする重厚な中盤の組織、4位清水の長谷川監督は堅守速攻と、それぞれの戦術を1~2年でチームに浸透させた上で、それを確固たるスタイルとして実際に試合中でも反映させ続けています。
その中で、優勝した浦和の戦法とは一体何だったのでしょうか。攻撃面で浦和が安定して見せることができたのは、ワシントンの決定力だけです。そこに序盤戦は三都主、中盤戦では田中達也、終盤戦では山田、出来不出来の波が大きいポンテなど、毎試合のように誰かが日替わりのヒーローとして登場する、行き当たりばったりな攻め方であった感は否めません。チームの代名詞であった守備でも組織的な連動というものはなく、最終ラインが最後尾にガッチリと構えて、個々のプレスと力だけでごり押し的にはね返していくものでした。核となる戦い方は最後まで判明されず、あえて無理やり言うならば「強力な個人技頼み」で、選手に丸投げ状態であったとは言い過ぎでしょうか。
就任当初の2004年は、今とはかけ離れた「守備を犠牲にしてでも全選手で点を取りに行く」超積極的なサッカーを掲げ、翌2005年には、エメルソンと田中達也の離脱から支配率重視へと変更してチームを大混乱にさせたブッフバルト監督。3年間で確立させたものは3バックだけで、浦和レッズというチームの「色」をとうとう定めることがありませんでした。

では、ブッフバルト監督は果たして何を浦和にもたらしたのでしょうか。それは「結果」だったと思います。もはや優勝が絶対の使命になりつつあった、「結果」こそを最優先に求めていた近年の浦和へ、ブッフバルト監督は最大限に応じてみせたのです。
選手時代のプレーの豪快さとは裏腹な緻密かつ厳正という性格で、かつ自身がカリスマの塊であるブッフバルト監督は、選手の掌握能力に非常に長ける人物でした。徹底的な理由説明でもって、誰であろうと有無を言わさず不満を募らせることなく配置、あるいは控えにまでさせることができる力を持っていました。そしてそれを発揮しての選手起用法。これこそがブッフバルト監督の最も評価されるべき点であり、チームを勝利へ結びつけてきた一番の要素だったと思います。ブッフバルト監督は選手個人個人の前歴や戦績にとらわれることなく、現時点での調子や能力を見定めて、ベストな先発起用をすることに関しては優秀でした。
例えば、本来はトップ下である長谷部という選手がいます。本人も今なお「自分は攻撃的な選手」と公言してその主張を止めませんが、ブッフバルト監督は頑なに彼をボランチとして用い続けました。長谷部の視野の広さと長短のパスセンスを目の当たりにし、オフト前監督に精神面とフィジカルを鍛え上げられてボランチとしての才能が開花されつつあった芽を潰さなかったのです。そして従い続けた長谷部はそこでチェイシングからの奪取を見せ始め、正確なフィード力も合わさってカウンターの始点ともなっていきました。長谷部自身のキープ、ドリブル、シュートも中盤の底から炸裂し出して、後方からの攻撃の切り札として直接的に勝利に貢献するまでの存在へなっていったのです。
また何よりも、大型補強から実に2チームも作れるほどの有力選手を抱えることとなった、今シーズンのチームの操縦こそを特筆すべきでしょう。都築、相馬、酒井、永井、田中達也、黒部などといった一線級の選手たちを、ポジションの競合する先発選手の方が好調であるうちは勝利のために徹底的に起用せず、かつ彼らのモチベーションを腐らせることもありませんでした。主将の山田でさえも、ふがいなければ容赦なくスタメンから切り捨てます。負傷以外では初となる控えの中で猛省し、奮発し、そして復活してきた山田を認めた終盤戦には、今度は前線の中心たる主軸として彼を重宝し続けました。そして今期最大の目玉補強であった小野です。小野は秋ごろから著しくパフォーマンスを落としてしまいました。代表での不振という精神面からではなく、左足首の骨に再び亀裂が入ってしまったためなのだそうです。それでも優勝のためにピッチへ立つことを諦めなかった小野でしたが、ブッフバルト監督はそれ以降、完治が見込まれる天皇杯まで先発を許すことはありませんでした。高い人気と実力を備える看板とも言うべきスターを、ポンテが出場停止という試合においても用いなかったのです。チーム力が低下する危険性を回避した、苦渋の決断でした。
こうして毎回のように、浦和の先発陣はコンディションと調子の高い選手ばかりが勢揃いしていました。しかもその選手たちが皆、強大な能力を持っているのです。だからこそ、必ずといって言いほどに試合中のどこかで誰かしらがその個人技を炸裂させていて、どんな対戦相手でも苦しめていたのでしょう。この結果として、浦和は白星を重ね続けることができたのだと思います。

そして2006年度にこのブッフバルト監督の下、ついに浦和は念願のリーグ制覇を成し遂げたのです。ところが、選手たちが披露した驚異的な個人技の数々の陰で、ブッフバルト監督の存在感とはそれらに比して大幅に薄れていたものでした。素晴らしい能力を誇る選手たちの個人技の躍動と、その有力な選手たちを分厚く揃えた選手層こそに、誰もが強烈な印象を残したのです。確かにそれらが一番に褒め称えられるべきなのかも知れません。ただ、ベストな起用でもって選手の躍動の発生をうながし、分厚い選手層を束ねきった監督の功績は決して小さなものではないと思います。
さらにブッフバルト監督はこの年、試合ごとに大胆な布陣変更などをすることがなく、流れを変えさせるような選手交代もさほど見せず、試合開始の前後においてもあまり目立たない存在でした。私はそれもそのはずだと思うのです。ブッフバルト監督は多数在籍する強力な選手の中から、活躍が期待できる者だけを的確に揃えて、そこから高い個人技能が爆発されることを狙いとしていました。こうして常に、チームの個々の能力とパフォーマンスの総合値は高いままに保たれて、毎回毎回相手を圧倒できたのです。よって自分たちから変貌していく必要性は少なく、流れも何もあったものではないケースが大半でありました。山田のトップ下へのコンバートが大当たりだったくらいのものでしょうか。他では致命的な采配も絶賛される采配もなく、采配能力は不明瞭のシーズンとなってしまっていました。

しかし、退任を決断していたブッフバルト監督は、浦和での最後の指揮となる天皇杯で突如、監督としての真価を問われることになりました。チームはリーグ優勝と引き替えに、レギュラー選手の不調および離脱の続出を招いていて、もうあの圧倒できる力を失っていたからなのです。実際に戦いに入ってみても、J2に降格した福岡に何とか延長で勝利するという有様でした。
ところがこの惨憺たる状況のチームを率いたブッフバルト監督は、年末がチームの最大ピークとなっていた磐田、鹿島、G大阪という難敵を全て苦しみながらも制して、またも浦和を優勝に導いてみせたのです。
豊富な選手層がチームの総合力の衰えを何とか抑えていたために、勝ち得たのだとも考えられるでしょう。磐田も鹿島もG大阪もそろって自滅の内容としてしまったからこそ、頂点を拾えたのだとも言えるでしょう。
ただ、最後の3試合になってブッフバルト監督の采配が、特大の輝きを放っていたのも決して見逃してはならないことだと思います。
磐田戦では、後半の開始から小野を前線に配置して山田を右に転向させ、右サイドをズタズタに切り裂いて2点差をひっくり返す結果としました。鹿島戦では、山田をボランチに下げさせてまで小野をトップ下に起用した布陣変更が、結果的にピタリと当たる2得点で勝利しました。そしてこの決勝のG大阪戦、岡野と長谷部を投入して、それが鮮やか過ぎるほどに的中するカウンターで奇跡を呼び込んだのです。
様々な要素があったこの浦和の優勝劇でしたが、選手をどうにかやり繰りして最終的に得点をたぐり寄せてきた、ブッフバルト監督こそが今回の紛れもない主役だったのではないでしょうか。
浦和で語り継がれていく英雄となるギド・ブッフバルトさんは、自身の手腕でもって有終の美を飾ったのだと私は思います。


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24 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
あけましておめでとうございます (Mandom)
2007-01-03 09:38:52
コメント&TBありがとうございました。ブログはいつも拝見させてもらっております。天皇杯は残念な結果となりましたが、国内外とも攻撃的なチームばかり贔屓にしていますので、ある意味慣れっこだったりします(悔しいですが)。ガンバ大阪には、来年は更に強力になる帝国・浦和に立ち向かえる存在であって欲しいです。1強リーグはつまらないですからね。話は変わりますが、私の同僚に元Jリーガーがいます。彼は現在Bライ取得に向けて頑張っているのですが、指導者を目指す人のサッカー観は私のような素人には非常に興味深いものがあります。一度審判試験用の教科書を見せてもらったのですが、オフサイドルールだけでもこれだけ沢山あるのかと驚いた事があります。知れば知るほど奥の深さに驚かされるサッカーですが、私もみるのさんのような素晴らしい試合評が書けるようになりたいものです。
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Re: あけましておめでとうございます (Mandom) (みのる)
2007-01-03 12:24:19
わざわざお返しのコメント、どうもありがとうございましたー。

楽観的な見方をすると、そう簡単には浦和1強にはならないかも知れませんよ。だって、目標の拡散する浦和と、リーグ一本に絞れるG大阪と、昨年との立場がまるで逆転してしまうのですから!
G大阪はもう、とことん昨年の魅力ある攻めを煮詰めていってほしいですね。つなぎまくって崩しまくって、爽快に爆発する攻撃をぜひ観たいところです。

何だかとても貴重そうな経験をしていらっしゃるのですね。やはりプロの方の視点には、足元にも及ばないほどの様々なものが凝縮されているのでしょうか。私もたった一人の素人芸で、勝手気ままに浅はかな記事を載っけているだけですからね。ぜひ色々な方々との出会いを通じて、知識見識を深めていきたいところです。
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Unknown (くろ)
2007-01-03 15:15:48
TBありがとうございます。
素晴らしい記事で、読み進めながら、わたしの感情に任せたままの駄文が恥ずかしくもなりました…

これからは度々拝見させていただきます!
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Re: Unknown (くろ) (みのる)
2007-01-03 15:22:08
いえいえ、とんでもございません・・・。私は読んで気に入った記事にTBさせていただいており、元気一杯のくろさんの文章には心を動かされたのですよ。

よろしければ、これからもどうぞよろしくお願いします。
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Unknown (青森県民)
2007-01-03 17:35:18
毎度コメント返しをありがたく感じながら読ませていただいております、青森の者です。

天皇杯決勝を見た限り、私もみのるさんの言うとおりブッフバルト監督の真骨頂を見た気がします。ただ、結果論ですが、もしあの試合を落としていたら、「なぜ小野じゃなくて平川を下げたんだ?」という批判の矢面に立たされていた気もします。そうならないところがブッフバルトの凄い所なんでしょうが。

私も来季は浦和一強にはならず、混戦になると思いますよ。実際今季よりも選手層が厚くはならなさそうですし、試合数は増えます。シトン以外のFWがアジアで通用するとは思えませんし...

ガンバにも言えますが、FWの決定力不足は深刻だという印象です。例えば今の播戸は日本では屈指の決定力を持っていると思いますが、決定力だけを見ると、アジアレベルでもあれぐらいの選手はゴロゴロいる気がします。北朝鮮の洪映早(ACL出ませんが)、中国の鄭智(欧州に行っちゃったけど)など、実力派揃いです。ここを伸ばすには、どうしたらいいんでしょうかねぇ?

長々とすいませんでした。
PS.味スタ行きたいですね。個人的には西が丘の方が好きなんですが。こればっかりは日程次第。
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Unknown ()
2007-01-03 17:57:40
TBありがとうございました~。
この試合、個人的には準決勝の浦和×鹿島の試合をもっと極端にしてしまったような展開のように思いました。
浦和は鹿島戦のときよりもさらに攻撃が出来ずに押されまくっていたな~と。
ガンバは鹿島よりももっともっと主導権を握って試合を動かしていたように思います。
浦和のコンディションが準決勝よりもさらに悪くなっているということもありますが、ガンバと鹿島の差も感じてしまいました…(笑)。
来季も混戦ですかねー?総合力というか、戦力の点ではやはりそれでも他チームより少し抜けているかなという印象を持つのですが、試合数増えますもんね…。
勿論混戦模様になってほしいという願いのほうが大きいですが(笑)。

それから先日言いそびれたことなのですが…私のブログはサッカー専門ではないのですが、こちらのブログのリンクを貼らせていただいても構わないでしょうか。
不都合がありましたらおっしゃってくださいませ。
よろしくお願い致します~!
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Unknown (きんと)
2007-01-03 19:17:07
当方のブログにもコメントいただきありがとうございました!

クラブW杯の決勝といい、天皇杯の決勝といい「勝つためには美しさを犠牲にしなくてはならない」というオシム監督の言葉が身に染みるような試合でした。

ガンバはあの大事なところでの決定力のなさがACLを勝ち抜けなかった理由なのでしょうか?

でも、ガンバにはガンバらしさを失ってほしくないです。正直、レッズもレッズらしさを取り戻してほしいと思っているのですが。私は以前の攻撃サッカーがレッズのサッカーだといまだに思っているので。
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Unknown (MiaMia)
2007-01-03 20:16:37
みのるさん、TBありがとうございます。
素晴らしい記事ですね!!
的確な分析で、これからサッカーを詳しく見ていきたい初心者の方には、いい参考書ですよ!!!
素人でありながら、知ったような記事を書いている自分が恥ずかしい・・・

ガンバが一方的な攻めを終始続けていましたが、ゴール前で本来の力が出せていなかったですね。都築選手のゴールを守る気迫も評価すべきところですが、ガンバのFW、特に播戸は本当に調子のいいときの力のあるシュートではなかったですね。気持ちがのっていない、というか・・・播戸風に言うと“しょぼい”って感じですかね(^。^;)苦笑

自分の“しょぼい”ブログに、このような素晴らしいブログのTBをつけて下さって光栄です!改めてありがとうございました♪
返信する
どうも!! (まゆ)
2007-01-03 20:26:49
あけましておめでとうございます!!
コメントと新年の挨拶ありがとうございました!
ガンバが押し続けたあの展開でよく踏ん張ったと思います。
主力が数人いない中で岡野の投入がよかったですよね。
永井にフリーになる隙を作ったし大活躍ですよ!!
永井もちゃんと決めるべきところで決めれたのが
勝利につながりましたね。
ガンバは何度も決定機を逃したのが敗因です・・・
でもGKツヅキよかったですねぇ。
浦和にとっては最高のシーズンになりました!
今年もよろしくお願いします!
返信する
TBありがとうございました (a2赤茶屋)
2007-01-04 01:12:49
ギドが秀逸だったのは、山田を再生というか、山田の能力を最大限に引き出したこと。そして、彼をコントロールしたことだと思います。それは、現役時代に同じ土俵で戦ったものだから知りえて成しえたことだと思います。

最後の試合でも山田の使い方が秀逸でした。平川が家長にやられたいたので、山田を右サイドに変えたとギドは明言しています。結果、山田が家長を抑えて、その後ろにスペースができたから、そこに岡野を入れて2トップに変更した。岡野も起用意図を理解して、長谷部にスペースへのロングボールを要求したそうです。それが、ワンチャンスで見事にハマった。それが勝利を呼び込みました。

ギドが、上記のようなことをテレビ埼玉の特番で語っていました。監督の意図とそれに応える選手。この信頼関係が構築されたのが、ギドの3年間であり、天皇杯はその集大成だったように思います。ギドも監督1年生から3年生になって確実に己のスキルを磨いたように思います。

また浦和に戻ってくる時が楽しみです。失礼しました。
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