ターザンが教えてくれた

風にかすれる、遠い国の歌

どうしてその仕事をしたんですか。テキ屋編

2006-05-15 15:20:31 | モノローグ
隣町にある氏神様を祭った小さな神社では
毎年盛大な夏祭りが執り行われていて、
今年も全国を駆け巡るテキ屋たちが
軒並み古ぼけた屋台店を並べます。
夕暮れ時になってそれぞれの店に明りが点ると
そこはまるで、昔話から突然抜け出してきたように
懐かしく心浮き立つような夏祭りの情景が出現したものです。

りんご飴、金魚すくい、たこ焼き、射的に見世物小屋・・・

そんな中に浮世絵をたくさん並べた店がありました。
デザインだけをコピーして作ったと思われるその浮世絵は
メタリックでキラキラと輝いてとても人工的な代物。
そしてそれらを売っているのは日本人ではないのです。
ほら、ちょうどバブルの頃にはよく道端で絵を売っている
外国人いたでしょ、あれですよ。
でも、その時はまだバブルの気配さえない頃で
その物珍しさに人だかりがしていたのです。
そして、自分もその客の中の一人でした。
売り子であるひとりの男性はにっこりと
片言の英語で僕に話しかけてきます。
浅黒い肌に目尻の下がった大きな瞳、
中近東の香りを漂わせたその男の名はハイム。
その夏を特別なものにするのに十分な名前でした。

彼らの母国は遠い国イスラエル。
そして、もう何年もかけて
世界中を巡っているところでした。
他国でお金が底をつくとこうやって
日本に稼ぎにやって来るのです。

ハンサムで人懐っこいハイム、
とてもやさしい声で話す美しい女性はジバ。
それにもうひとり、
何故か空色のつなぎを着込んだ坊主頭のアッシュ。
少し神経質なハイムとは対照的にゆったりとおおらかで
彼の口癖は「どっちでも、OK!」。

彼らが話すのがカタコトの英語ならば
こちらも負けず劣らずの英語っぷりで
身振り手振りで面白おかしく話すうちに
彼らの天真爛漫な自由さに惹かれた僕は
いつしか、その露天の浮世絵売りの仕事を
一緒に手伝うことになっていました。

彼らには二通りの商売の場所があって
ひとつはこの前みたいな祭り会場、
そしてもうひとつは、夜の繁華街で
気のいい飲み屋の店の前の道路を借りての
言わば路上販売。
酔っぱらいやホステスさんの行き交う街角で
オレンジ色の白熱灯を点して売るのは
あの鮮やかに輝くニセモノ浮世絵。
そこで客を呼び込むイスラエル人たち。
その光景が妙にエキゾチックで
自分にはとても魅力的に映っていました。

週末は各地で開かれる夏祭りに出向き
平日は路上販売という具合で仕事をこなし、
夜は公園に止めた1BOXのレンタカーで眠るのです。

ある日こんな事が起こりました。
路上販売を警察に禁止されてしまったのです。
いきなりやって来て「今すぐに撤去せよ」と
言われるままに並べた絵を車に片付けると
その後ハイムたちは口数少なく肩を落としたまま
いつもの公園へ帰って行きました。
彼らは寒い気候が苦手らしくて
秋が来る前には日本を離れる計画だったらしく
思うように貯まらない資金に
かなりあせっていたようでした。

次の日、これからどうするんだろうと
気が気ではない僕が見たのは
彼らのもう飛びっきりの笑顔でした。
「駄目なものはしかたない、次の手を考えるだけさ」
とばかりに緊急鳩首会議が開かれます。
浮世絵を仕入れている会社に連絡を取り、
近県の神社をくまなくリストアップした後は、
祭り会場一本で稼ぐ事しか出来ないのですが。

この時、僕は本当に驚いたんです。
何年もかけて世界中を旅する人たち。
僕には想像もつかない強い精神の持ち主なんだろう
と勝手に信じていたんですね。
しかし、彼らは何か問題が起こる度に落ち込んだ。
明日をも知れぬくらいに意気消沈していた。
でもね、次の日には復活するんだ。飛びっきりの笑顔で。
未熟な僕はそのとき初めて本当に強い事の意味を
教えてもらったような気がします。
折れないことが強いことではないんだ。
もう一度前を見ることなんだとね。


             続・「テキ屋」編へ続く。