快風走

走っているとき、そして、走った後の風の心地よさはランニングの最高の楽しみです。

初マラソンの思い出~2009そうじゃ吉備路マラソン~

2018-02-13 21:59:57 | そうじゃ吉備路マラソン
ゴール後、20分ほど立ち上がれなかった。
少しでも動くと両足がけいれんした。脚を伸ばして座り込み、じっと回復を待つしかなかった。

レース中も30㎞あたりから脚がけいれんして、何度も何度も立ち止まった。
きっと、辛かったはずだけど、よく覚えていない。
でも、今ではランニングが生活の大切な一部になっている。もう二度としないとは思わなかったので、それほどの苦しさでもなかったのかもしれない。

初めてのフルマラソンは、「2009そうじゃ吉備路マラソン」だった。
タイムは3時間41分51秒。初フルで一応サブ4だった。

当時、48歳。
ただ、ランニングの「ラ」の字も知らなかった。

メタボ対策で河川敷をウォーキングを始めたとき、新聞かなにかで「そうじゃ吉備路マラソン」が復活すると知った。復活以前のコースは実家の近くを走るコース。
復活コースはそのコースとは違うが、出身高校の近くがスタート・ゴール。
コースも幼少のころから慣れ親しんだ場所だったので、せっかく運動を始めたのだからマラソンでも走ってみようかなって思った。

ただ、陸上経験はなし。まったくのランニングの超初心者。
完走するためには、どんなトレーニングをしていけばいいのか、全然知らなかった。

とりあえず、ちゃんとしたシューズは必要かなとスポーツ用品店に行って、店員さんに勧められたアシックス「GT-Newyork」を購入。そのほか、勧められるままに、CW-Xのロングタイツ、ファイントラック、R×Lソックスなどのグッズをひと揃えした。いい客だった。
帽子は買わなかったので、ゴルフ用のキャップを代用した。

そこの定員さんの「せめてハーフぐらい走っておいた方がいいですよ」ってアドバイスで丸亀ハーフを走ったけど、大会までの3~4か月は、ただ単にジョグをしていただけのような記憶がある。

付け焼刃の練習で本番。

時計はラップのとれるランニングウォッチでもGPS時計でもなく、アナログ時計だった。
どんな走りだったのか、よく覚えていない。でも、30㎞あたりまでは、そこそこ走れていたような気がする。

手元に残っている完走証をみると、35㎞地点の通過タイムが2時間55分01秒。
完走タイムが3時間41分51秒。なんと、約7㎞に47分もかかっている。キロ7分・・・。

トレーニングを積み、そこそこ走れるようになった今だと、そのペースから当時の自分がけっこう苦しんでいたんだろうな、って容易に想像できる。

完走後のけいれんが治まっても、歩こうとするとやはりけいれんがくる。応援に来ていたかみさんに肩を貸してもらって、よれよれで控室の体育館まで移動した。帰りのJRの駅へも、1人では歩けなかった・・・。

レース後は大変だったけど、レース中にはとても記憶に残ることがあった。

現在のコースとは違って、当時は北公園のあたりがコースだった。住宅地の間を走る。
すでに終盤でけっこう苦しかった(かな?)。そのとき、「○○さん、頑張って!」と自分の実名を叫んで応援してくれた方がいた。
高校が地元なので、もしかして同窓生なのかなとそのときは思った。でも、これ、大会パンフレットでゼッケンをみて、名前と照合して応援してくれているんですよね(名前で応援されると、とてもうれしい)。
私も山陽女子でやるけど、当時は、「えっ、なんで、俺の名前知ってんの?」って感覚だった。


とても懐かしい思い出。

ラン友といえる知り合いは1人もいなかった。でも、なんだが純粋に楽しかった初フルだった。
もう、あれから9年の月日が経過したんだと思うと、しみじみ感慨深いものがある。



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