快風走

走っているとき、そして、走った後の風の心地よさはランニングの最高の楽しみです。

回想録・第10回児島半島港めぐり100㎞マラソン(2017.9.10)~2回目の伴走~

2020-05-22 14:10:26 | 児島ウルトラ
JNからの完走記転載シリーズ。

2017年の児島ウルトラ。
第8回に続いて、Mさんの伴走者として参加した。

10回を区切りにしたいとの主催者Fさんの考えで、この年が児島ウルトラのファイナルになるはずだった。
ところが、その後、Fさんがなぜか心変わりして、一転、大会は継続となって現在も続いている。

Aコース(111.13㎞)はエントリー30人、完走者23人、欠場1人、棄権6人
Bコース(101.53㎞)はエントリー57人、完走者43人、欠場7人、棄権7人
完走率はAコースは77%、Bコースは86%だった。

Aコースはkuroさんが2連覇した。
Bコースの優勝者はサブ10(9:58:12)。
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(以下、完走(伴走)記)

【第10回児島半島港めぐり100㎞マラソン・伴走メモランダム】
今年がファイナルとなる児島ウルトラ(通称)には、ブラインドランナー、M村さんの伴走者として参加した。

伴走での参加は2年ぶり2回目。前回もM村さんの伴走だった。

前回のタイムは14時間31分。かなりの余裕をもっての完走だった。

ただ、児島ウルトラの制限時間は18時間と長く、ほとんどのウルトラの制限時間が14時間なのに比べても緩い。
なので、今回の目標タイムは、ほかのウルトラ並みの14時間切りと決めていた。

でも、前回以来、利尻島マラニックで50㎞を走ったほかは、M村さんはウルトラの大会には出場していないとのことで100㎞に対する不安はあったみたい。
とはいえ、走力自体は伸びているし、この夏にはウルトラなみにきつい「天神山フルマラソン」を2回完走しているので14時間切りは大丈夫だと私自身は思っていた。 

ところが、結果は予想を超えて、13時間19分42秒と目標タイムを大幅に更新する快走だった。

抑えた走りだった前回と異なり、前半から快調に飛ばす。
さらに王子が岳、貝殻山の登りも全部走りきった。

昨年はランナーとして参加した私は、ウルトラの連戦の疲れもあってか(言い訳です!(^^)!・・・)、王子が岳は走って上がったけど、貝殻山はとぼとぼと歩いた・・・。

M村さんは、種松山でのもっちゃんたちとの特訓で、上り坂を楽に上がるための隠し技を考案していた。

どんな技だというと、できるだけ狭いストライドでピッチを速くして脚を動かって感じ。
M村さんは早歩きといってたけど、どちらかというと走っているように見えるので、「三村小走り」って命名した。

早歩きとほとんど同じスピードなのにあまり心拍があがらない。早歩きが苦手な人は試してみるのもいいかもしれない。 

ほぼ中間点の新池峠(51㎞)の通過タイムは約6時間。
まだまだ調子も良かった。

ひょっとして、14時間どころか13時間だって切れるんじゃないかって思った。

だんだんとペースは落ちたものの、脚が疲れていると歩いてしまう山田峠も走り切り、忍耐力のいる八浜から灘崎の単調区間も乗り切った。

残り15㎞のエイドで、13時間切りには残り約2時間。

キロ8分で走れれば切れる。
いけるかいけないかギリギリだった。
私はいけるかなと思っていた。

ところが広江からの道はランナー2人が並んで走るには危険すぎた。
車道には歩道がなく、住宅地の狭い道では対向車を通過させるために何度も立ち
止まった。

たんたんと走るよりも疲れがたまるインターバルをしているようなものだ。

歩道は狭く、小刻みなアップダウンがM村さんのエネルギーをだんだんと奪っていった。
ペースはガクンと落ち、最後の岬のアップダウンも走りきったものの、ついに下津井港あたりで力が尽き、歩きになってしまった。

残り2㎞を12分ほどで走れれば13時間が切れたが、もはや、その力は残っていなかった。
それでも目標タイムを大きく上回る13時間前半の力走だった。
チャレンジもしたし、何もいうことはない会心の走りだった。

瀬戸大橋からゴール地点までの登りは全部歩いたけど、大きな達成感を感じてのウィニングウォークだったんじゃないだろうか?

お見事でした。

伴走については、前回はほぼファンランだったので走っていて危険を感じた場合は、すぐに立ち止まった。
焦る必要はまったくなかったからだ。

ところが、今回は14時間切りという目標があった。

だから、危険な歩道や車道でもできるだけ立ち止まらないで走ることを意識した。 立ち止まらないで無理に走り抜けようとして、M村さんをちょっとあぶない目にあわせたこともあった。

伴走者として参加した児島ファイナルは、私にとって、交通規制のない道をどうやったら安全に伴走できるのかを考えさせられた大会となった。

伴走については反省点も多い。

ただ、うまくコミュニケーションをとるノウハウの一つが再確認できた。 「ウルトラorマラニックの伴走法」(仮題)についてはまたどこかでまとめることにしよう。

★写真はM村さんとのゴールシーン(アフロスポーツ提供)。

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