快風走

走っているとき、そして、走った後の風の心地よさはランニングの最高の楽しみです。

回想録・第43回富士登山駅伝競走大会(2018.8.5)~老後の楽しみのお宝映像♪~

2020-06-07 22:10:29 | 富士登山駅伝
JN日記からの完走記転載シリーズ。

2018年の「富士登山駅伝競走大会」は、JNでは速報だけで、完走記は書いていない。
その後すぐの「びわいち」とかであわただしかったんだろうか?
でも、FBには短い完走記を書いていた。
だから、JNは付け足し。

前日は、いつものように「砂走館」に前泊。
夜は、下界の3、4か所で上がる花火がみえた。
標高3000mからの花火は、ほんとにとっても小さく見えます。

暗い写真の中央あたりの明るい小さな点が花火。
こんな点滅が、ぽつぽつとかなり下のほうにかすかに光ります。


夕食はいつものカツカレーだったけど、ちょっとカツが少なかったような(見出し画像)。

レース当日の朝は、いつものようにきれいな御来光。
富士山からの御来光は、なぜか特別な感覚がします。


でも、この年の最高の思い出は、ラン友の姫路のOさんが動画を撮影してくれていたこと。

Oさんは、「駅伝」じゃなくって「富士登山競走」の常連ランナー。
でも、この日は、お友達と富士登山にきていて、「駅伝」の応援も兼ねて富士山を楽しんでいました。

動画では、岡山からの2チームのAチームのM本さんがいい下りのステップを刻む後、ひどいよれよれの私が続く。
よく聞くと、「遅くて、すみません…」、なんて言ってる。
でも、Oさんのお友達が、見ず知らずの私のHNを連呼して、応援してくれている。
遅くて申し訳なかったけど、ほんとうに、ありがたい動画となりました。
この動画は、まさに一生の思い出の私のお宝映像です。
3000m以上の空間で、遅いけど、一応、なんとか死なずに走れてます。
これを見返すと、きっと老後もしっかりと頑張れます。
Oさん、みなさま、ありがとうございました。

以下は、JN&FBの完走記。

【JNの完走記速報】
富士登山駅伝6区の山頂区間。

3年連続のチャレンジでしたが、最低限の目標の1時間切りは、今年も達成できませんでした。 

タイムは、1時間00分55秒。区間順位73位(一般100チーム中)。
昨年より41秒遅れで、監督の目標設定タイムの55分に遠く及ばない不甲斐ない結果となりました。 

28位で受けたタスキも、45位まで順位を落として渡してしまいました。

週2、3回程度の里山ダッシュみたいな柔なトレーニングでは、この駅伝の区間はやはり太刀打ちできません。
トップ選手はこの区間を、なんと42分で走り切ります。

私が片道を走ったときにはすでにゴールしているという速さです。
この大会に参加するたびに、標高3000m以上の高度を全力疾走できるトップランナーの凄さに畏敬の念を覚えます。

いろいろと意義があることもあったので、備忘録も兼ねた完走記はまた後日(後記:
と書いていながら完走記は未完でした)。

以下は、【FBの完走記】

「第43回富士登山駅伝」に参加しました。

今年で3年連続。
同じ6区の山頂区間が担当でした。

中継点の標高は3102m。
山頂折返点(標高3720m)を往復する距離4.92㎞、標高差618mの山岳区間です。

区間全体が標高3000m以上にあります。
空気が薄いので、ちょっと動くだけでも酸欠状態になります。
ただでさえ厳しい状況なのに、これに「駅伝のタスキ」マジックが加わると、一気にテンションが上がって爆走して、心拍Maxの悶絶が必至な区間です。

目標タイムは55分切り、最低でも1時間切りでした。

でも、タスキを受け取って200mも走らないうちにすでに悶絶状態。
ダッシュしてもしなくても、その苦しさは変わりません。

全国から精鋭チームを送り込む自衛隊は、富士登山駅伝では、隊員の方々がスタッフとしても大会を支えてくれてます。

誘導係の隊員の方は、酸欠のなか、必死でもがいて登っているランナーたちに「頑張れ! まだ、いけるぞ!」と激を入れてくれました。

↓の写真はへろへろの登りの私。
猫背のこんな姿勢じゃいけません。
これでは酸素も肺に送り込めません。
「もっと、しっかり登らんかい!」と隊員の方の背中が物語っています!(^^)!

機能しない心肺と動かない脚に鞭打って、なんとか山頂折返点に到着したものの、路面の荒いトレイルの下りは、脚がもつれて転倒しないように必死で集中しなければなりません。
身体能力、反射神経の低下した中高年ロードランナーにはかなり厳しい区間です。

なんとかタスキを渡せましたが、タイムは55分切りにはほど遠い1時間00分55秒。
昨年より41秒遅く、最低目標の1時間も切ることもできませんでした。
の区間順位は73位(一般100チーム中)・・・。
チームの「武蔵と信玄」の順位も、28位から45位まで激しく落としてしまいました・・・。

20代の若手俊英のランナーたちと同じチームに参加できたことは、この上ない光栄でしたが、かなり足を引っ張る結果となって申し訳なかったです。

この「富士登山駅伝」、総距離47.93㎞、標高差3258mの往復コースを6人のランナーでタスキをつなぎます。
6区以外はランナーが往路復路の2回を走る事になります。
ロード、トレイルの要素を含んだ、かなりハードな駅伝です。

公式結果では、私の所属した「武蔵と信玄」は、4時間50分14秒で40位(一般99チーム中)。
もう一つの岡山のチーム「きびだんご」は4時間48分14秒で37位でした。

残念ながら、両チームとも、復路の9区太郎坊で繰り上げスタートとなり、最後までタスキをつなげることができませんでした。

でも、両チームともフルで2時間30分台やトレイル優勝者のランナーがいる、ふつうではかなり上位に入りそうな戦力です。
なのに、この駅伝ではタスキもつなげないほどでした。

ただ、私が目標タイムの55分で走っていれば、もしかしたらつながったかもと思うと
忸怩たる想いでした。

今年、最後までタスキをつなげられたのは、30チームほどだったそうです。

大会ポスターの「日本一過酷な駅伝大会」のフレーズは嘘やはったりではありません。

A部監督はじめ、チーム、サポートのみなさま、とても素敵な時間を共有できました。ほんとにありがとうございました!

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