私の俳句.川柳.動画.日記.絵手紙【皆で470歳】

50から80才代のパソコン大好き仲間のブログ。
私の作品(俳句.川柳.動画.絵手紙).自然観察.徒然日記

【徒然日記】 夏のバス見学会

2011年08月10日 09時00分44秒 | そめちゃん
8月4日(木)「東京ガス袖ヶ浦工場見学」と東京臨海広域防災公園にある「そなエリア東京」に行ってきました。

個人ではなかなか体験出来ないので、友達の誘いに一つ返事で申し込んでしまいました。

    
海ほたるからの眺め     東京ガス袖ヶ浦工場     そなエリア東京


最初はアクアラインから東京ガス袖ヶ浦工場へ、工場内は、当工場の天然ガス自動車(バス)で敷地内を案内され、また-162℃に冷却された液体ガスの小実験などの見学を。

午後からは再びアクアラインを渡り有明にある、臨海広域防災公園へ移動と言うコース。


そなエリア東京では地震発生後72時間の生存力を付ける防災体験学習がありました。

もし此処で大地震が起きたら・・・国や自治体などの支援体制が整うまで自力で生き残らなければならず、その目安は3日間72時間と言われています。

72時間どう生き残れるか? マグニチュード7.3最大震度6強の首都直下地震の発生から避難するまでをニンテンドーDSを使ってクイズに答えながら生き抜く知恵を学ぶ防災学習ツアーでした。

[そなエリア東京]は《そなえる+エリア》の造語、、、「ここでの学習を通して“災害をイメージする力” と “対応力”を身につけることで災害の備えにつながる場所」を意味しているそうです。

東京臨海広域防災公園は、首都圏で大規模な地震、災害が発生した時、国や地方公共団体などの緊急災害現地対策本部が設置され公園全体が広域的な指令機能を受け持つ場所となるそうです


そめちゃんの徒然日記

ガラスの事なら染野ガラス

そめちゃんのブログ



[江戸の庶民の朝から晩まで]  第3章「江戸の住まい」(2)住環境は快適だったのか

2011年08月06日 17時30分09秒 | ビンちゃん
庶民が愛用した意外とホカホカの寝具とは
貧乏長屋の住人は敷布団は使っていたが掛け布団は今の様な形ではなく‘夜着と呼ばれる綿入れを使っていた。えりと袖がついていて着物より一回り大きいドテラにくるまって寝ていた。大阪や京都では元禄年間(1688~1704)頃から長さ約170センチ程あるおお布団と呼ばれていた掛け布団が使われていた。
上方でもある時期迄は‘夜着を使っていたから西から伝わり改良されたものでしょう。
夏の寝具は‘夜着を小ぶりにしたかい巻きを掛け、敷布団の上には‘寝ござを敷いた。
シーツを使う様になったのは明治時代以降の事。
又、貧富の差によって、裕福な商人は綿がたっぷり入った敷布団、貧乏長屋の住人は薄いせんべい布団。農家では、こもやむしろを敷くかワラ布団が一般的でした。
はさまざまな変遷があり、江戸初期には括り枕袋の中にそばがらを入れて円筒形にし両端を結んでフサをつけたものが主流、その後、木で出来た木枕、次に箱枕が出来広く用いられる様になった。箱枕は木枕の上に括り枕をのせ、真ん中をヒモで結んだ物。今の枕と較べると恐ろしく高い、当時の髪型に対応する為。

                       著者・歴史の謎を探る会より

                              
                                byびんちゃん

【私の動画】 ふるさとの夏祭り・花火

2011年08月05日 09時39分55秒 | ぁいっちゃん
夏祭りのシーズンですね。

先週はふるさとの夏祭り、花火を観るため帰省しました。
今夜は、都内で、ふるさとの人達とのと、夏祭り交流会です。(*^。^*)



◆ ツイッター http://twitter.com/pvnetjp/

◆ フェイスブックhttp://www.facebook.com/pvnet1

パソコン初心者に優しいアイ企画

PVNet~起業家ネットワーク~

【徒然日記】 暑かったけど

2011年08月03日 17時13分57秒 | そめちゃん
午前中に私用で蓮沼まで、かなりの暑さだったけど散歩のつもりで歩きました。

このごろ夜約一時間ぐらい歩くことにしています。今日は昼間歩いたから夜の散歩は無しです。

歩きながら、見つけたムクゲと葵の花です。




そめちゃんの徒然日記

ガラスの事なら染野ガラス

そめちゃんのブログ