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【江戸文化】 妙心寺 「7」

2009年03月21日 12時09分49秒 | ビンちゃん
 妙心寺の廃絶から33年後南禅寺からようやく妙心寺が返還される事になり、

 日峰宗舜が第七世住持に迎えられ妙心寺再興えの第一歩を踏み出した。

 日峰は室町幕府管領細川持之の外護を得て関山慧玄が眠る微笑塔(関山塔)の

 傍らに塔頭養源院を建てて住した。

 荒れるにまかせていた妙心寺の復興はみずからがれきを払う厳しい日々であった

 と云う。

 苦難の続く妙心寺はその後も細川家から厚い庇護を受ける。

 持之の没後、子の勝元も禅門に心を寄せた。

 1450年代八世住持、義天玄詔を開山に迎え大雲山龍安寺を開創とする。

 龍安寺は妙心寺復興の拠点となり、勝元の子政元が普請奉行となって妙心寺の

 復興にあたった。

 1452年義天が慧玄門下として初めて紫衣の勅許を得たのは、勝元の奉請による

 ものと考えられる。それまで五山は対して林下と呼ばれ幕府から冷遇されてきた

 妙心寺の寺格が社会的にも認められる事となった。  つづく

byビンちゃん