ちい Road

料理中心、時々戯れ言

浜名湖を後にして・・・

2017年04月03日 | Weblog
浜名湖のオフが終わったあとに同じくオフで知り合った人の家にお邪魔して一泊させていただきました。
これに乗って連れていってもらいました。

次の日の朝に起きて内緒で撮っておきました。

泊めていただいたご夫婦は旦那さんが白を奥さんが赤に乗っていました。
やっぱりエンジン音がいいし、キビキビ走ってました。


煮え切らない返事をしていたので急にお邪魔することになったのですが板さんを呼んで食事を作ってもらうことになりました。(嘘・・・旦那さんです)
こんなん着こなせてカッコええよなぁ!て思いました。普段着って言うんやもん!


これが


焼き野菜とかローストビーフになりました


オリーブやレバーペースト


生ハム


カルパッチョ
ニンニクを使って意外な美味しさでした。考えてみたらカツオのたたきもニンニク使うもんね。


旦那さん自慢のサラダ
ドレッシングも手作りだし、ひよこ豆なども入ってました


乾杯!


こんな食卓でした。
小さいホタテって最近見るけど買ったことなかったが美味しかったです。今度買ってみよう。


このナイフ、アンティークでおいくら万円!するそうです。旦那さんから奥さんへのプレゼントなんやて。


朝はワッフルを焼いてくれました。



私にはどれもこれもご馳走で美味しかったです。
上げ膳据え膳で私は何もしませんでしたが本当にありがとうございました。

昨日は名古屋に出てから帰りました。


マンホールって地域色が出て面白いものです


なんで名古屋はコオロギなん?
コオロギって足に耳があるからこんなデザインなん?て思ってGoogleで「どうして名古屋のマンホールはコオロギなの?」言うてみたら
上下水道局のキャラクターでアメンボやねんて。


てなわけで色々と濃い内容の三日間だした。





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浜名湖でのこと

2017年04月03日 | Weblog
桜の花はポツンとしか咲いてなくて雨もポツンと降っていたので桜の花の写真もなく、人物ばかり撮っていたのでblogではあげることもできません。
晴れ男パワーが
効かなかったのか。

オフの最後にはうなぎパイの工場見学をしました。




生地が棒状になって


伸ばされて


オーブンに入って焼かれて


どんどん出てきます


うなぎパイミニが三枚入ったものもいただけました。


うなぎパイのおじさん・・・ワシが?うなぎパイのおじさん?


この作品を鑑賞しているあなたの位置におじさんがいる設定ですと書いてありました


このうなぎパイの工場のお土産やさんのレジのディスプレイがiPhoneが使われてました。どないなってるんやろ?


家族を連れてきている方もいました。


こんなんあるの知ってました?
これ、家族がしたうんちを入れて車のボディに磁石でピタッとくっつけておくものなんだそうです。
車内に置くと臭うから。


こんな子も来ていました


差し入れも数々ありました。
こんな手の込んだ韓国のり巻きを巻いてきた方もいました。凄いよなぁ。


餃子を買ってきてくれたり


唐揚げを買ってきてくれたり


おにぎりを握ってきてくれたり


お菓子を差し入れしてくれたり・・・
あー!最後には分けてたのに写真を撮る用意をしてたらもらい損ねた・・・


ミカンを剥いてくれたりしました。
手早くお母さんみたいでした。


こんな珍しいビールを持ってきてくれた方もいました。


こんなおやつを詰め合わせを作ってくれた方もいました


私は前日入りをしました。
静岡まで行けば車でひろってくれるという友人がいたので一人でも行くつもりでいました。

しかし関西から車で行くという友人が出たので相乗りさせてもらえることになりました。

が!車が故障して出さなくなったというアクシデント。

もう、気が車で行くということにシフトしてしまっていたのでそこで急激に浜名湖まで行くという気分がトーンダウンしてしまい、行くことをギリギリまで悩んでいました。

静岡でひろってもらう人がもう一人いたのですがその方は自力で行くことになりそこでも考えた。

自分だけひろってもらうの手間やろうなぁ。

あ!名古屋から行く友人がいるからダメもとで頼んでみようと連絡したら名古屋ではなく静岡の方が近い場所に住んでいた。
なにも考えてなかったから大反省。
何を考えて言うてきとんねん!て思われたやろうなぁ。

でもってやっぱり自力で浜名湖まで行こうときめる。
調べたら浜松から電車やバスを乗り継げば行けることがわかる。

けど歩くのはちょっとしんどい。
ならば夜行バスで早朝に着こう!

と思って調べたら昼行バスが一本しかヒットしてこない。
何回やってもあかん。

仕方ないから前日にバスにのって行った。
事故か何かで40分ぐらい遅れて到着したので22時に到着。
そこからいわゆるチャットで時間を潰してから寝袋で寝ました。
Facebookにのせたのですがヤキソバン寝袋で寝ました。


少し外れたところにベンチがあったのでその上に寝ました。
人が行き交う場所ではなかったのですが何回か通ったようで「うわぁー!びっくりしたぁ!」でかい声で言って通って行った人がいました。
人形かと思って、人間だったからかもしれません。
そんなこと気にしてたら寝られへんから顔を覆うようにファスナーを閉めて寝ました。


朝ごはんはパンにブルーベリージャムを挟んだものを持っていってました。
基本的に何処かへ行くときは買って食べることはあまりしません。
買って食べることは「買い食い」と祖母や母から言われていたことが染み付いてます。
薬も沢山飲まないとあかんねんなぁ・・・


オフは本当に楽しかったです。
いつも後から思うのですがあっちもこっちもと歩き回り写真を撮って、落ち着いて座って食べたりしないので結局は話もしてないなぁと残念に思うのです。

そうそう、久しぶりに名刺交換もしました。
Facebookなどで繋がっているから改めてしなくても殆どわかるのですが、それも楽しかったことのひとつでした。
家に帰ってから改めて眺めてみたらそれぞれに工夫してあること!
花見オフだからと桜のモチーフを入れてある者、ハンドルに「ぎょ」がついてるから魚のイラストを入れる者、ハンドルでは馬か付いてるから馬合成する者、春らしくチョウチョを入れる者、レゴで家族を表現する者、Facebookのプロフィールを使う者執事さんと言われているから執事さんのイラストを入れる者・・・
たかが名刺だけど想いが沢山詰まっていて重い一枚だなぁと感じています。


参加した皆様
本当にありがとうございました。

ここから名古屋へと続く・・・




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インターネットがなかった時代

2017年04月03日 | 家電やスマホのことなど
シャープの書院というワープロを使っていた人たちの集まりに行ってきました。
まだインターネットというものがなかった時代にワープロを電話回線に繋いでパソコン通信をしていたとき知り合った人たちでした。

あらから十数年が経ち、みんな結婚をしたり、家族が増えたりして生活環境も変わりました。

そしてぼちぼちというか、亡くなる方も出てきました。

オフ会という言葉も今ではメディアでも聞くようになりましたが電話会見を通じてオンラインで話をしたりすることに対してオフラインの集い、回線をOFFにして集まることをオフなんて言ってました。

当時はパソコン通信をしてる人は自分の周りでも会社の人でさえメールアドレスを持ってる人は一人もいませんでした。
ファックスモデムを初めて搭載したワープロがPanasonicから発売されてワープロから直接ファックスが送れるというのが面白くてそれを買いました。そして、カセットスキャナーというまのを印刷ヘッドに取り付けるとスキャンできて、手書きの表などもワープロの真っ直ぐな線に変換してくれるという機能もありました。白黒液晶の時代です。

別売りでパソコン通信が出来るソフトを買い足せばワープロでパソコン通信が出来るということを知って、それだけのために9800円出してソフトが入ったフロッピーディスクを買いました。1994年でした。
スララは将来の拡張性を見越してハードがMS-DOS互換であり、MS-DOSの一部システムファイルをコピーしたフロッピーを読み込ませることでMS-DOSが立ち上がり、MS-DOSソフトの一部が動作することが知られ、NIFTY-ServeのMCNフォーラム等で一部のマニアが研究していましたが私にはなんのことかわかりませんでした。

電話回線にワープロを繋いでソフトを立ち上げ説明通りにやってみる。
真っ白い画面に文字が出てきて>SVCだったかコマンドを打つとどんどん文字が流れてきて通信できました。

全て文字だけの世界。
パソコン通信なんて当時はオタク的な人ばっかりがするもんだと思っていました。
自分も始めたくせに。

当時はPanasonicのワープロでしたが、Panasonicの今でいうWebページみたいなものもあったのでしょうがあまり興味がなかったのかもしれません。

ニュースを読んだり、売ります買いますみたいな掲示板を見ていただけだったように思います。

それから数年が経って画面がカラーになりPanasonicはCDを入れて音楽が聞けたりできる機種なども出てきました。

しかし次にワープロを買うときにMR-1という書院のワープロに浮気しました。
ペンで操作できて電子手帳と通信ができてカラー印刷が出来てファックスも出来てと派手なところに惹かれたのだと思います。1996年に発売されました。
画像はそのMR-1を下取りに出して買ったMR-2。ワープロなのにHDDを搭載していました。
電源を入れるとガラガラガラと立ち上げる音がします。


ペン書院だからタブレットのようにペンで画面に文字を書いたりもお手のもの。


そのワープロを買ってから書院の掲示板みたいな所をみつけました。
そこでは使い方がわからなければ質問すると色々な人が教えてくれました。

いくつかの項目の中でリアルタイム会議室という項目があり、ある時、その項目を選んで実行すると誰かが文字で話をされていました。
何なんやろ?と思いながらしばらく読むと「こんばんは!プリリンパさん」と
文字が流れてきて何?なんや!?とびっくりしたものです。
本当に初めのころのハンドルは
プリリンパというのにしていましたがその後ちいはしに変えました。
誰かが俺が通信していることを覗いてる!という気持ち悪さで怖くなって電話回線をコネクタから引き抜いたものです。

それから慣れてきてリアルタイム会議室とはなんぞや?とかオフラインの集いとは何ぞや?
というものがどんなものかわかってきました。

オフに初めて参加するときはドキドキしたもんです。
ワープロには名刺を作ることができるソフトが入っていましたからそれで名刺を作って名刺交換もしました。

参加するまでは「どんな人が来るんやろ?」自分のことは棚にあげてオタク的な風貌の人ばっかりちゃうん?とか色んなことを思っていたものです。

集まるのはそれこそ様々な職業の人。
会社にいたら付き合うのは仕事関係の人ばかりになり、話すことも仕事のことばかり。
それがオフでは仕事の話なんかすることもなくそう、まるで立ち飲みや感覚のように色んな話が聞けるようになりました。

そんなオフで知り合った同士が結婚することもなん組もあり皆でお祝いにかけつけたりする結婚オフみたいなものも何度もありました。

そういう人の繋がりは友達以上家族未満・・・いや家族より上みたいな人も中にはいるでしょうか。
そんな知り合った大切な友人の中にも亡くなる方も出てきました。

20年経てば当たり前ですが50歳だった方は70歳になるわけです。

しかし先日亡くなった方は49歳でした。
そんな亡くなった方が企画していた浜名湖サービスエリアで行うお花見オフがありました。

発案者が亡くなりどうなるかと思ったら静岡に住んでいる方が意思を引き継いで立ち上がってくれました。

そんなことで浜名湖までバスで行ってきました。
たぶんそんなことがなければバスに乗ってまで行かなかったでしょう。

















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