大阪鋼巴球迷的博客(だあばんがんばあちうみいだぼーくぉ)

熱烈なるガンバ大阪サポの筆者が、世界で最も多くサッカーファン人口を持つ中国にガンバの名前を広めんと日中二ヶ国語で発信する

結局問われているのは、我々がどんなサッカーを見たいかではないか?

2012-10-09 07:51:00 | ガンバ大阪
仙台戦の後色んなブログを徘徊してみると、やっぱり不満の矛先は佐藤の右サイド起用というところにあったようです。確かに彼本来のポジションというわけではない。試合のエントリでも書いたように、相手のことを意識するあまり自分たちの持ち味を消してしまったという皮肉な結果を招いたとも言える(相手のベガサポのブロガーさんからも松波さんの戦い方が見えない、と指摘されたのはそういうことだったとも言える)。筆者は、正信がやろうとしていたことは判る。佐藤にしても右サイドはあくまでもスタート時のポジションで、攻撃においては左で作って上げたクロスを右からの飛び込んでくる佐藤に合わせようという意図があったと思われるわけです。だからまあ、正信の意図を理解した上で、交代カードというのはその目論見どおりに持って行きながら、仕掛けるタイミングが遅かったんじゃないかっていう風に批評しましたけども。

そういう試合って結局結果が出なければものすごく不満が残ることになりますね。

ただまあ、ここで考えておかないといけないのは、今の正信のやり方を批判するならば、逆に言えば、批判する側も一つ覚悟を決めないといけないんじゃないかって思うわけです。佐藤のスタメン起用が間違いだったとか、もっと早く佐藤を下げておけばよかったというのは確かに攻撃のことを考えたら一理あるんだけども、それならそれで、仮にセットプレーで赤嶺にやられたとしてもそれはそれでしゃあない。その代わり取られたら取り返すというスタイルで挑んでやろう、という方向性を突き詰められるか、が問われると思うんですね(実際川崎はその方向性で行こうとしている)。

まあ、外野から観ていたら、それがガンバの方向性だと言うのは簡単なんだけども、もし正信の立場に立てば、なかなか難しい判断を強いることになるかもしれない。

多くの人たちと同様、筆者も正信を批判するんだけども、同じ批判するにしても、単に結果論だけで彼を批判するということはしたくはないと思っていた。勿論結果が出ないということに対して批判が出るのは仕方がないんだけども、それなら、逆に自分たちの美学を貫いて、それが仮に上手く行かなかったとしても、美学に殉ずる覚悟っていうのが応援する側にも必要になってくるんじゃないかって。筆者の中では一応そういう覚悟というのは持っているんですが。

ただ、皆さんの覚悟というのはどうなんでしょうね?