大阪鋼巴球迷的博客(だあばんがんばあちうみいだぼーくぉ)

熱烈なるガンバ大阪サポの筆者が、世界で最も多くサッカーファン人口を持つ中国にガンバの名前を広めんと日中二ヶ国語で発信する

改めて俊輔には感謝するが・・・

2008-06-09 06:39:08 | Weblog
PKをヤットに譲ったことに関しては確かに感謝しよう。それによって我々は代表戦で貴重なコロコロPKを見ることができたのだから。

ただ、日本代表のエースなら、たとえ読まれていても「オレが蹴る」という我の強さというのが必要なところだろう。PKというのはたとえ読まれていてもスミに強く蹴りこめばGKの読みがいくら当たっても防げるものではない。小笠原が鹿島でPKを蹴っているみたいな蹴り方が出来れば俊輔でもフツーに決めていたかもしれない。

まあ、それでも相手GKに読まれているということを、4年前の体験とメディア情報を総合して判断し(その意味で俊輔はよく報道をチェックしている)、かつヤットが蹴りたそうな顔しているところを察して譲った判断はある意味見事ではあったけどもね。ただ、こうした日本的な「察する」とか「譲る」とかいう美徳はある意味良い部分もあれば悪い部分もあるとは思う。悪い部分とはピッチの上での自己主張というか、オレが何とかしてやるというのが感じられず、中盤でのパス回しが多くてゴールに向かうチャレンジが乏しいところにそれが現れてしまうところだ。

だからヤットも、本当に蹴りたいのであれば、「オレに蹴らせてくれ」と主張する必要がある。これが世界水準。個人的には、蹴らせてくれといってキッカーの座を奪ったりした場合得てして失敗することが多いから、チーム内での約束事(誰が蹴るのか)を変えるのは得策ではないと思う。けれども、こうした自己主張というのを世界のサッカーでは当たり前のように行われているのではないか。

ただ、難しいのは日本的な謙譲の美徳と世界的に見られる強烈な個人主張というのは基本的に相反することである、ということだ。だから、誰が何と言おうと俺が蹴る、という判断を俊輔がしたのなら、たとえ彼のPKが止められたとしても、日本が世界レベルに追いつくまでの必要なプロセスとして見守っていかないといけなかっただろう。反対に、譲った判断を見事だというのなら、ピッチにおける自己主張といったものに日本人がまだまだ程遠い位置にいることを理解し、かつ日本的な謙譲が時にマイナスになりながらもそれがどこまで通用するかを見守らないといけないのかもしれない。

だから、あのPKを俊輔が譲ったことについて、日本的な美徳の良し悪しというのをつくづく感じてしまったわけですが。