大阪鋼巴球迷的博客(だあばんがんばあちうみいだぼーくぉ)

熱烈なるガンバ大阪サポの筆者が、世界で最も多くサッカーファン人口を持つ中国にガンバの名前を広めんと日中二ヶ国語で発信する

オフ特別企画(1)「ガンバ系ブロガーが選ぶ2007年MVP」 - 提到我們的西迪克雷

2008-02-02 08:54:32 | ガンバ大阪
今回は2007年のガンバのMVPを選ぶという企画。敢えて一人だけ選ぶというのは実に難しいことで、誰かが突出して凄かったというような印象があまりない。逆に言えばそれだけチーム全体のレベルが年々高まっているということが言えるかもしれない。

それでもこの企画に沿って誰か一人を選ばねばならない。今のチームはヤットが中心であるし、代表との掛け持ちで本当によくやってくれたからヤットを選ぶというのも一つの選考理由にはなるだろう(06年の終盤の失速はヤット不在によるところが大きい)。また、昨年再三の絶体絶命のピンチを奇跡的なセーブで救ってくれた藤ヶ谷だってMVPに推したいくらいだ。彼が止めてくれなかったら負けていた、という場面がどれだけあったことか。

そんなこんなで敢えて一人を選ぶとなると迷ってしまうのだが、敢えてここはシジクレイを推したいと思う。彼があの年齢で1年間ほぼフルに頑張れたのが大きかったな、と今更ながら思ってしまう。彼を見て判るのは、年をとるごとにプレーに円熟味を増していったということで、かの三浦のヤッサンをして「神戸にいた時よりも上手くなっている」と言わしめた。圧巻だったのは、ホームでのFC東京戦やナビスコの浦和戦で見せた、スピードに乗ったドリブルによるオーバーラップで、これこそ正にオーバーラップの見本と言えるものであった。

けれどもその反面彼は時折信じられないようなポカをやることもあって、それがキャンプでのヴェルディとの練習試合で見せたパスミスからの失点や、ジュビロ戦で不用意にカレンに飛びついてボールを奪おうとしたけどもかわされて失点してしまったようなこともあった。ただ、何ていうのかな、凄さとモロさが同居している彼のプレーは正にガンバの象徴ではなかったかと思うし、私なんかは「最もガンバ的な選手」だと呼んでいた。

ただ、「最もガンバ的」と表現したのは、そうした凄さとモロさの同居だけでなくって彼の攻撃的な姿勢というのも含んでのことなんです。忘れもしないナビスコ決勝の後半ロスタイムの場面。あとはボールを相手のコーナー付近でキープするだけでOKという場面でなんとシジがゴール前に上がって来ているではないか。普通に考えればリードしているチームのCBがあの場面でやることではないとは思うんだけども、シジの頭の中での考えはそうではなかったに違いない。

ひょっとすると、「俺のところにクロスを上げてくれればもう1点取って決まり」とシジは考えていたのかもしれない。別に彼が上がっても他の選手が代わりに下がっていたから、ならば自分が上がってシュートで終わっていればたとえ決まらなくても大勢に影響はない、と考えていたかもしれない。守るにしても誰かが前線からチェイスしないといけないのだから、その時の役割は彼であったかもしれない。まあ、確かにリスキーではあるんだけども、一番最高の時間稼ぎというのは、ボールをキープし続けることでも痛いフリして倒れていることよりもむしろもう1点入れることではあるのだし、事実05年のリーグ優勝は最後、寺田と松波が2人でFKからボールを廻し続けて最後アラウージョがズドンと追加点を決めて優勝を確実なものにしたではないか。

もし仮にあの後同点に追いつかれていたらシジは戦犯扱いされていたかって?これは思想の問題であると思う。仮にもし追いつかれてしまっても、自分はやはりシジを責めることはできなかった。だってあれがないとシジがシジでなくなるわけだし、彼がいる以上そういうことも受け入れないとアカンかな、ともうハラを括っているのだから。むしろ先制してから突き放す2点目が取れなかったことが痛かったと思っていただろう。ついでに言うと、攻め込んだ反動で失点するのはある程度想定の範囲内であり、問題は攻めていながら点が奪えなかったことが今季ガンバの負け試合の大半の原因であると考えている。

人はよく、「攻撃的で見ていて面白いサッカー」というのを応援するチームには求めようとするが、これを支えるには選手の編成や監督の戦術というのも大事ではあるのだけども、それをサポートするサポ、クラブフロント、そしてスポンサーの側にだって確固たる思想というのが必要ではないかと思う。すなわち、攻撃的に行くということはその分失点のリスクも高まるということで、そこに目を瞑ってサポートできる攻撃的な姿勢と攻撃サッカーが完成するまでの忍耐力が必要なのだ。だからこそガンバサポである以上、我々は他のどのチームのサポ以上に攻撃的でなければならないのではないかと思う。

その意味で「超攻撃」というのはシジ抜きではありえなかったわけで、最もガンバ的な選手が抜けた空白感は当分埋められそうもない。

冒頭の中国語のサブタイトルは、我らがシジクレイについて語る、という意味であるが、提到という語句は「~について語る」という意味以外に「~と言えば(英語のspeaking of)」という意味もある。シジクレイと言えば何々、といった具合に今季の彼のプレーについて振り返るという意味も込めてサブタイトルにした。