Monologは端壷に

日々感じる事を綴っています。

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引きこもっていたかもしれない

2005-11-04 | miniMonologue
さて 昨日に引き続き 引きこもりについて また思うところがあるので書きたいと思います。元引きこもりの引きこもりを卒業する方法 で何度もくり返されていたのが 引きこもる人は引きこもる必要があったのだから あるいはあるのだから それで自分を責めなくてもいいということでした。

引きこもるということは 社会から自分を断絶するということです。そうすることによって 自己を自己のまま維持しようとすることが 引きこもるひとつの大きな要因だそうです。

社会一般からは冷笑を浴びさせられがちな引きこもりですが 私にはひと事ではありません。

19才の時アメリカに留学させてくれるように親を説得しました。両親が貯蓄していてくれた4年分の大学費を留学費に使わせてもらうことを狙ってです。大学は勝手にやめてしまっていましたからまだ充分残っていることを知っていました。両親は少し嬉しそうだった。とくに母は賛成してくれました。海外に出て英語の勉強だなんて、うち子は。でも私が必要だったのは 留学や海外生活体験なんて前向きなものではありませんでした。脱出です。そう、家族、友だち、私の周りを取り囲むすべてのもの、日本社会。全てから脱出する事が必要だったのです。そして 私の事を知っている人のいない場所で自分を取り戻したかった。というより自分を探す必要があったのです。

もし両親からの経済的サポートがなかったら 私は引きこもっていたかもしれません。それくらい精神的に隅っこまで追い詰められていました。

自分を自分のまま維持する方法が逃げることだったわけです。選択が内側ではなく外側に向いただけの違いです。

今でも引きこもっている方は沢山いるかと思います。私は斎藤一哉(サイトの創始者)に賛成します。引きこっている自分を責めたりせずに 引きこもっている間は自分とだけとことんつき合って自分の気持ちを感じ切る時だと思えば良い。人生の中で止まっている時があってもいいと思うのです。ただ毎日 多忙さで自分をごまかしてしまうより 一度止まって 必要な時間をかけて自分を裏返して洗い晒せれば意味がある時になるのではないでしょうか。

斎藤さんがコラム ”ニヒリズム”の中で いらいらしている人は引きこもりから抜け出しやすいが 喜怒哀楽が無い人は、まず、喜怒哀楽を感じるところから始めなければいけない と述べられています。

感情を感じることの大切さは 私も身を持って経験したことです。喜びを感じるから人とつながっていたいと思うのだし 何かに取り組むわけです。悲しみがつらいから誰かと分け合う必要があるのだし なにくそ!と頑張る気も起るのだと思います。

社会に問題なくとけ込めている人でも 自分の感情とは繋がれていない人って案外多いと思います。毎日の多忙さでごまかせてしまいますから。私は非常に長い間 感情麻痺の状態で生きていた人間の一人です。 だから自信を持って言えます。感情と切り離されて生きているのは辛い、そして 幸せではありません。感じる事で初めて息を吹き返す事ができました。生きてるってこういう事なんだなあ、と初めてわかったのです。
 
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