時事解説「ディストピア」

ロシア、イラン、中国等の海外ニュースサイトの記事を紹介します。国内政治、メディア批判の記事もあります。

小感想・エマニュエル=トッド『シャルリとは誰か?』(文春新書、2016年)

2016-01-22 23:41:23 | 読書
色々な意味で衝撃的な本だった。

欧米社会を理解するには、同社会で
歴史的に継続してきたイスラム差別から避けて通ることは出来ない。

特に近年はNATO加盟国による中東・アフリカ・中央アジア諸国への軍事干渉、
イスラム過激派への支援と衝突が同国におけるムスリムへの差別とリンクするようになった。

シリアやリビアにおけるイスラム過激派への支援やフランス軍による空爆が内乱を激化させ、
移民を流出させる一方で、EU地域内の排外主義的な気運が過激派を産み、中東へと向かわせている。

フランスの新聞ル・フィガロは、ダーイシュ(IS、イスラム国)のテロリストの
少なくとも3分の1がヨーロッパの出身者だと報じている。別のメディアでは、
ダーイシュに加盟するヨーロッパ人は3000人、多くて数万人と見積もっている。

シャルリエブド襲撃事件にせよ、先日のパリ同時多発テロにせよ、
その背景にはフランス社会のイスラモフォビア(イスラム嫌悪症)と
旧フランス領植民地シリアに対する軍事干渉が存在することは言うまでもない。

このことについて私は過去、再三、繰り返して主張してきた。
改めて以下に記事をリンクしよう。

フランス・テロ事件の背景(マスコミが伝えないヨーロッパのムスリム差別について)
フランステロ事件について2(各紙の社説を比較する)

シャルリーを自称した人々はどこへ行ったのか?(フランス・テロ事件のその後)


イランでの反仏・反シャルリー運動について
世界中で焼かれるフランス国旗とシャルリエブド
オランド、各地のシャルリー抗議デモを非難する
ローマ法王、反シャルリーデモに理解を示す

イラン最高指導者からの欧米のイスラム差別に対する抗議メッセージその1
日本の上映の自由について

シャルリーエブド事件再考
酒井教授批判その1(シャルリエブドとは何か)

シャルリエブド紙のルソフォビア(ロシア嫌悪)
米のイスラモフォビア・憎悪犯罪を是認する欧米メディア

パリ同時多発テロ事件の背景
パリ同時多発テロ事件の背景2
パリ同時多発テロ事件の背景3(サウジの影)


よくこんなに書いたなと我ながらあきれる。

欧米のイスラモフォビアに関する資料は、その気になれば、いくらでも入手できる。
(例えばこことかこことか。私の記事を読んでも良いよ)

決してトッドの専売特許ではない。私が思うにイスラモフォビアについて本格的に論じたものは、
エドワード・サイードの『オリエンタリズム』および『イスラム報道』
である。

特に『イスラム報道』はメディアや知識人によるイスラムへの偏見が
いかに展開されていったのかについて詳しく論じており、必読の書とも言える。


クドクドと前置きが長かったが、要するに私は
欧米社会のイスラム差別は決して無視されてきたトピックではなかったはずなのに、
よりによって日本でシャルリエブド事件とイスラモフォビアを関連付けて論じた初の本が
あのトッドの著作だったことに驚きを隠せない
のである。

よりによってトッドかという気分だ。

評論集の形なら『現代思想 2015年3月臨時増刊号』ですでに出版されているが、
岩波書店や藤原書店などの左派系出版社は何をやっていたんだという話だ。

まぁ、藤原書店や大月書店、新評論などの中小出版社は予算の都合上、
出版できないのは仕方ないような気がするが、岩波書店と平凡社は本当に意味不明。

「本来ならお前の所で売らなきゃいけないような内容の本が
 文芸春秋で売られるのかよ」という憤り。伝わってくるだろうか?


日本の左派系論壇は総じてシャルリエブド事件を言論の自由に挑戦するテロだとみなしてきた。
そのため、むしろシャルリエブドこそが差別の実行者であり、ヘイト・アートを継続して掲載してきた
同社の編集方針を追求せず、逆に英雄であるかのように称えるのはおかしいという発想が浮かばなかった。

単純に「テロとの戦い」、「言論の自由との戦い」という文脈で語り、
この問題の裏側に潜むフランス社会の移民・ムスリムなどのマイノリティへの差別問題に踏み込まなかった。

結果的にそれはフランス社会を無批判に称揚するという如何ともしがたい
ヨーロッパ幻想を生み出したとすら思える。それほどこの事件に対する左翼の態度は妙だった。

本来なら、ヨーロッパにおける民主主義の病理は
左翼にこそ指摘されるべきであり、左翼にこそ指摘して欲しかった。

それがトッドか、文春かという悔しさ。


例えるならば、ヘイト・スピーチに反対する本が岩波や新日本出版社ではなく、
真っ先に文芸春秋や新潮社、WACなどの日常的に差別を助長する出版社から出てしまったようなものなのだ。



ヘイト・スピーチは良くないという発想が平和や平等を掲げる左翼からではなく
日ごろから差別やデマに興じる右翼が所有し、発信してきたようなものなのだ。


この本の出版ほど日本の主流左翼の情けなさを痛感したことはない。


本書は、シャルリエブド事件、特にその後のフランス社会の同事件の反応を批判的に扱ったもので、
類書と比べると統計や地図を駆使して科学的に説明している点が特徴的である。

但し、先述したようにシャルリエブド事件後の「私はシャルリー」運動が欺瞞的だという考えは
多くの人間が抱いていたもので、トッドが言うように彼一人が孤立していたわけではない。

本書の担当編集者は、同書を「仏国内のメディアをすべて敵に回わす危険を顧みずに書かれた」と
評価しているが、それは誇張である。詳しくは前述の現代思想の特別号を読めばわかると思う。


フランスの移民差別は歴史的に継続して行われてきたもので、
それを知るにはフランソワーズ=ギャスパール『外国人労働者のフランス』を推薦する。

また、移民に対する差別は根本の部分ではフランスの民主主義システム(国会・メディアなど)が
機能不全に陥り、本来の役目を果たせていないことに起因するが、これを知るには、哲学書だが
アラン=バディウ『サルコジとは誰か?』が有益な情報を与えてくれるだろう。


本書を一言で表現すれば、不味くはないが美味くもないラーメンといったところ。
激戦区に立地していないために「ここの飯は美味い」ともてはやされそうなラーメン屋といったところ。

何せエマニュエル・トッドという人物は本人は中道左派を自称しているが、
その主張内容を拾えば、中国をけん制するために日本に核武装を薦めたり、
過去の歴史に対する反省行為を修正(つまり安倍的な姿勢に)しろと主張したり、
リビアに対するNATOの空爆を「認めざるを得ない」と黙認してしまったり随分と右的なのである。

本書も企画に読売と日経が関わっているようで、出版元が文春と
見事に保守系新聞社、出版社からプロデュースされたものである。


まぁ、改憲や非核に固執する割には北朝鮮に対しては与党とつるんで攻撃的になる左翼は
腐るほど日本にもいるわけだから、そういう輩の一人と見ることも可能だが、
正直言って、「あんたがイスラモフォビアを語るか」と突っ込みを入れたくなってくる。

日本で言えば、散々北朝鮮をバッシングして同国に対するイメージを貶めておきながら、
いざ国内で朝鮮学校が無償化対象から除外されると途端に反差別の旗を振り始め
あたかも自分に責任がないかのように演出した有田芳生参院議員のような・・・
(有田議員は救う会の講演会にも参加していた)

嘘出鱈目を語っているわけではないが、あんたの口からは聞きたくないというような……
逆を言えば、その点が気にならなければ良書だと思う(まぁ手放しには誉めたくないが)


売られたばかりだが、恐らくランキングでも上位に食い込むのではないだろうか?
着眼点の勝利と言おうか、文春はやっぱり商売がうまいなと感心する。

ところで、同じ文春新書から、また朝日新聞が著した本が売られていた。(『ルポ 老人地獄』)

朝日にはプライドというものがないのだろうか?まぁ、ないのだろうけれど。
去年の吉田証言に対する騒動はやはり朝日が「俺たちはもう左じゃない」と宣言するための
降参セレモニーだったのではないだろうか?そう思うほど朝日と文春の最近の協力は気持ち悪い。


同書は新聞連載の内容をまとめたものらしいが、逆を言えば、
今の朝日の記事のレベルは文春から出版しても違和感がないほど右だということだろう。
右翼にとって痛くもかゆくもない、むしろ共有できる主張と姿勢。そういう気がする。

北朝鮮が水爆を持つに至った経緯

2016-01-22 21:09:46 | 北朝鮮
朝鮮新報に新たな論説が掲載された。投稿者は李東埼(リ・トンギ)。
同時代社の紹介文によると朝鮮商工新聞記者、朝鮮時報編集長、統一評論新社副社長、
祖国平和統一協会事務局長を経て、現在同協会副会長を務めているらしい。

『統一評論』は『朝鮮新報』がもう少し堅くなったような雑誌で、
 日本の北朝鮮研究者なら参考程度に誰もが読んでいる…はず(嫌味)。

総連傘下のメディアということもあり、「頼もしい自衛の軍事力」とか
「巨大な民族史的壮挙」とか妙に威勢のよい論調で書かれており、抵抗を覚える人が多いだろうが、
既存の新聞社、出版社のそれと違い、新しい情報が多く載せられており、参考になるとは思う。


特にアメリカの軍事政策の関係者たちが
北朝鮮の核保有がアメリカの先制攻撃を抑止する効果があると告白している
箇所は、
核保有を絶対悪とみなす認識を前提に、その有効性を否定する他者の主張とは一線を画する。


北朝鮮に関する論説の多くは
①真面目に調べていなく ②アメリカに都合の悪い(北朝鮮に有利な)情報を伏せるため
③憶測や決め付けが多用され ④結果、北朝鮮の行動を理解不能な愚挙と評価している。


「愚挙」といえば聞こえが良いが、要するに「よくわかりません」ということである。
 こういう失態を全国紙が率先してやっているのだから、なんとも凄まじい。

個人的に失笑したのが金正恩の誕生日が近かったから実験を行ったという説で、
提唱者が如何に北朝鮮を野蛮な国家とみなし侮っているかがよくわかる。

嫌うのは結構だが侮るのは問題だ。

2013年に事実上のミサイル(笑)が春と冬に発射された際、日本政府は、
日本の領海・領空を通過しなかった1度目の発射には自衛隊を出動させ防衛体制に入らせたが、
沖縄上空を通過した2度目の実験の時には出動どころか発射されたことにすら気づかなかった。

つまり、春の実験の時には、日本の領域を通過しないことが予めわかっていたのに、
沖縄に軍を集結させ、「いつでもこーい!」と意味不明な行動を見せた一方で、
領空を通過する恐れがあった二度目の時にはポケーっと見逃していたのである。

現場で動く自衛隊よりもそれを動かす政府のほうに問題があることがよくわかるエピソードだ。
日本に今足りないのは戦闘機やミサイルではなく、情報(とそれを分析できる人間)だろう。
本気で国防を考えるのであれば、もう少しマシな情報収集を行うべきだ。

その場合、相手側の意向を知ることが真っ先に求められるのは想像に難くない。
孫子いわく「彼を知り己を知れば百戦危うからず」である。

相手を侮らず、彼らが何に対して危機感を抱いているのか、
彼らがどの国を仮想敵国とみなしているのか、彼らはどのように現状を認識しているのか。

こういう推察が求められるはず(と思いたい)

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なぜ朝鮮は水爆を持つに至ったのか/李東埼

米国の核脅迫と痛切な民族的体験

新年早々、朝鮮の水爆実験成功で日本のマスコミは大騒動だ。
彼らは米国が長年にわたる核脅迫を意図的に隠ぺい、免罪し、
日本国民の素朴な反核感情を悪用して我が国を一方的に非難している。


凶悪かつ膨大な米核戦力


去る10日、朝鮮半島上空に不気味な姿を現したB52戦略爆撃機。
マスコミは「核爆弾を積める」とぼかしているが、実は水爆を4発も積める凶悪な武器だ
その破壊力は合計で広島型の1000倍以上である。これ1台で朝鮮民族を全滅させることができる。
B2戦略爆撃機というのもある。広島型原爆の80倍もある核爆弾を16発積める。
合計で広島型原爆の1280倍の破壊力だ。


空母ドナルド・レーガン号に搭載できる戦闘爆撃機85台の持つ
核爆弾の破壊力合計は広島型原爆の1800倍に近い。


原潜またはイージス艦1隻に
最大154発の巡航ミサイル・トマホークを積めるが、
その破壊力合計は、実に広島型原爆の4000倍だ。

これらの核戦力が毎年の米・南合同軍事演習に投入されている。


数十年間も米国の核脅迫にさらされながら、「北朝鮮の住民が集団発狂しないのが不思議だ」と、
オーストラリアの国際政治学者ガバン・マコーマックがかつて述べたことがあるほどだ。

頼もしい自衛の軍事力

米国は朝鮮戦争で数次にわたって核兵器の使用を企んだが果たせなかった。
ソ連が崩壊して後、クリントン政権は第1次核危機を、ブッシュ政権は第2次核危機をつくりだした。

だが、彼らの戦争放火策動も成功しなかった。
朝鮮の強大な自衛力を見せつけられて諦めざるをえなかったからである。
このように朝鮮半島の平和と周辺地域の安全は朝鮮の軍事力によって守られている。
このことを、米帝国主義自身の口から告白させてみよう。

冷戦後の東アジア戦略報告執筆者として有名な
元国防総省高官ジョセフ・ナイは言った。

「北朝鮮が示しているのは、抑止力が働いているということだ」
ただ問題なのは抑止されているのは我々だということである
(ワシントンポスト2003年1月6日)


カーター大統領の安保外交補佐官で
核先制打撃論の「権威」といわれるズビグニュー・ブレジンスキーは語った。

もし脅威が本物ならば先制打撃ドクトリンは発動されない」(同前)。
ブレジンスキーは、朝鮮が核を持てばもはや核先制攻撃は不可能と言っているのである。

報復核攻撃を覚悟せねばならないからだ。現国防長官アシュトン・カーターは、
約20年前に国防次官補代理だった頃、次のような発言をしている。

絶対に回避しなくてはならないのは、核武装した北朝鮮と戦火を交えることである
(ワシントンポスト1995年4月10日)

平和を確保し経済に注力

前出のガバン・マコーマックは「アメリカに通じる唯一の言葉は軍事力だ」と言った。
事実、これまで核保有国が侵略された例はない。
逆に、米国の脅迫に屈したイラクやリビアは悲惨な目にあっている。

脅迫も甘言も通じない朝鮮に対して米国は「戦略的忍耐」政策をとっている。
米国はむだな時間稼ぎをやめて敵視政策を放棄し、平和協定の締結に応じるべきであろう。

朝鮮は核武装で平和的環境が確保できたので、民生向上に力を注げるようになった
これが経済建設・核武力建設並進路線である。

軍需産業で達成した先端技術を民需産業に投入して、急速に人民生活は向上しはじめた。
時間は朝鮮に味方する。

巨大な民族史的壮挙

クリントン政権末期に対朝鮮「政策調整官」
に任ぜられた元国防長官ウィリアム・ペリーはかつてこう述べた。
「北朝鮮はミサイルや核の開発は国家の主権の問題だというが、その主張は正しい」
(朝日新聞1999年11月5日)。

自らも認めざるをえなかった国際的公理を平然と踏みにじる米国と額をつきあわせ、
大国どうしが国連で取引しているのが国際政治の現実である。

19世紀末、我が国は軍事力が弱く封建支配層が無能だったために亡国之悲運をなめた。

今や朝鮮は水爆まで持つ核保有国の前列に立った。
周辺列強が朝鮮半島を遡上にのせて獅子の分け前を談合できる時代は永遠に過ぎ去った。

http://chosonsinbo.com/jp/2016/01/20160121suk/
(朝鮮新報)
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「彼らの戦争放火策動も成功しなかった。朝鮮の強大な自衛力を見せつけられて
 諦めざるをえなかったからである」という発言に対しては「嫌、それはない」と言いたいが、
 自衛力=核だとすると「なるほど、確かに」と思わなくもない。


ベトナム戦争にせよ、湾岸戦争にせよ、イラク戦争にせよ、リビア空爆にせよ、
侵略国が核保有国であった場合では、侵略を受けた側が核に怯えて降参するということはない。
この点において、核保有は抑止力は持たないと言える。

だが、フランスしかり、イギリスしかり、中国しかり、ロシアしかり、
核保有国が本格的な侵攻を受けたという事件は現代史において存在しない。

湾岸戦争時、イラクがイスラエルにスカッドミサイルを撃ったことがあったが、
それはイラクが先に連合国から爆撃を受けた(砂漠の嵐作戦)反応として起きた事件である。

先制攻撃を食い止めるという意味においては
核の威力は確かに通用する。


①核保有国が攻撃を受けたことは特例を除き存在しない
②敵国であるアメリカの軍事政策を担当する人物たちが核の抑止力を認めている
③核開発による技術向上や軍費のスリム化が北朝鮮の経済発展に寄与した


これら利点があるために、手放すことが不可能な状態に陥っているのだと思われる。
特に核武装による軍事費の節約と侵略を受けた苦い記憶がある点は見逃せない。

大日本帝国による植民地化もそうだが、朝鮮戦争時の米韓を中心とする国連軍による
焦土作戦および村々の破壊、住民の虐殺もまた北朝鮮のトラウマである。
北朝鮮指導部にとって「先制攻撃をさせない」というのは呪縛に近い使命となっている。

よって、北朝鮮の非核化には
①アメリカの脅威を排すること ②北朝鮮の経済発展に協力・支援すること
が不可欠
だろう。前にも書いたことであるが。


私はロシアや中国、アメリカの核保有については批判的だが、
それは核保有が必要ないほど彼らが軍事力を有しており、アメリカが顕著だが、
核兵器が自国の防衛ではなく他国の侵攻のために利用される恐れがあるからである。

単純に持つ・持たないに固執して眼前の武力威嚇に気づけない善悪二元論から脱却して、
相手国の安全を保障する真の安全保障体制へと移行し、地域的な非核化を目指す。


これこそが今後の朝鮮半島において求められることだと私は思う。

サウジアラビアのイエメン空爆による死者数が8000人を超す

2016-01-22 00:00:55 | 中東
ウクライナ政府の同国民に対して行った爆撃・殺害も「国際社会」
(正確には西側が覇権を握る国際政治の場)では殆ど取り上げられることがなかったが、
サウジのイエメン侵攻も同じく、10ヶ月以上に渡り、殆ど無視に近い形で扱われている。

国際人権団体アムネスティは同国の死刑や弾圧には抗議しているが、
同国のイエメンにおける民間人殺害に対しては何らアクションを行おうとしない。


アムネスティのホームページを見ると、サウジアラビアに対する
緊急行動(深刻な人権侵害にさらされている「特定の個人」を救うための、緊急アクション。
メールや手紙、Faxなどを使用して、政府関係者などに人権侵害を止めるよう要請を行う)には、
イエメンの空爆に対して抗議するものが一つもない

ウクライナ軍の空爆に対しても、非難どころか支持していたわけで、
この辺りに、イギリスやアメリカに本部がある「人権団体」の限界を感じてしまう。
(それは日本の平和団体にも言えることだが……)


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サウジアラビア主導の連合軍のイエメン攻撃による死者数が、8000人以上に達しました。

アルアーラムチャンネルによりますと、
サウジ連合のイエメンに対する犯罪を監視する民間団体の調整役は、
20日水曜、この連合軍が昨年3月26日からイエメン攻撃を開始してから10ヶ月の間に、
この攻撃で8251人が死亡し、1万6015人が負傷したと発表しました。

この調整役はまた、死亡者のうち、2236人は子供で、1752人は女性だとしました。

さらに、サウジアラビアはまた、この攻撃の開始から、
242の病院や医療施設、数百の橋、140の発電所を破壊したと強調しました。

この調整役は、イエメン国内では230万人が難民となっていると述べました。
この民間団体は、侵略者の犯罪に対し、国連が沈黙していることを批判しました。

http://japanese.irib.ir/news/latest-news/item/61685-
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2011年の中東における一連の騒乱を「アラブの春」と称して讃えていた知識人たちは、
サウジアラビアに対しては、どういう態度を取っているのだろう?

岩波新書の『サウジアラビア』や『イスラーム主義とはなにか』などを読むと、
サウジアラビアは保守派に牛耳られる一方で、進歩派の動きも活発な国である印象を受けるが、
実際は次のような有様である。随分と楽観的な評価を下しているのではないだろうか?


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サウジアラビア東部で、市民が
同国のサウード政権の弾圧政策の継続に抗議し、デモ集会を行いました。

ファールス通信によりますと、サウジアラビア東部のアワーミヤで
人々が20日水曜夜、「剣に対する血の勝利」をスローガンにデモ集会を行い、
サウード政権の犯罪政策の継続に抗議しました。

サウジアラビアのシーア派の指導者ナムル師(ニムル師)の処刑に対する
東部の人々の抗議が高まったことを受け、サウード政権はこの地域で厳戒態勢を敷いています。

サウード政権は今月2日、同国のシーア派の指導者ナムル師を処刑しましたが、
この措置は、世界各地特に、イスラム世界に抗議の波を引き起こしています。

http://japanese.irib.ir/news/latest-news/item/61674-
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サウジアラビアの懲罰制度
-「ダーイシュ(IS)」との違いはあるのか?


サウジアラビアでシーア派宗教指導者ニムル師が処刑された。

これは多くの国で大規模な抗議を引き起こし、
再びサウジアラビアの残酷な懲罰制度に国際社会の注目を集めた。

ロシアのサイト「レンタ・ルー」には、
サウジアラビアの最も恐ろしい処罰に関する簡潔な説明が掲載された。

サウジアラビアでは婚外性交渉、あるいは婚外性交渉のほのめかし、
無神論、イスラム教から他宗教への改宗、同性愛、魔術、賭博などは犯罪とされており、
1000回の鞭打ち、禁錮10年、または斬首刑となる可能性がある。

なおサウジアラビアの司法制度は西側のものとは著しく異なっているが、
「ダーイシュ(IS、イスラム国)」とは驚くほど似ている。

証人が、有罪あるいは無罪を主張する場合は、しばしばただ宣誓するだけで証拠がなくてもよく、
弁護士は不必要な贅沢と考えられることも多く、未成年者や精神障害者にも死刑が執行され、
判決が言い渡される際に、サウジアラビア国民と外国人の間に一切差はない。

鞭打ちは、サウジアラビアでは最も一般的な刑罰だ。
厳格な規定は一切なく、シャリーア裁判所の裁判官が、鞭打ちの回数を決める。
過去最高の鞭打ちは、エジプト人のムハマンド・アリ・サイード被告に言い渡された4000回。

またサウジアラビアでは公開処刑として、斬首も執行されている。
公開処刑には大勢の人が集まる。通常、死刑執行後、遺体は教育目的のために、
はりつけにして公開される。これも「ダーイシュ(IS)」の行動を髣髴させる。

これら全てのサウジアラビアの特異性は、西側で当然の抗議を呼んでいる。

欧州や他の文明国の市民たちは、「道徳的配慮を強調する米国と英国は、
死刑執行数が多いことを理由にイランを『悪の枢軸』とみなしているのに、
なぜシャリーア裁判所がより厳しい判決を言い渡しているサウジアラビアのことは
見ないふりをしているのか?」という質問をよく投げかけている。

続きを読む http://jp.sputniknews.com/life/20160120/1462777.html#ixzz3xtVqIXp5
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本当に「文明国の市民」は非難を行っているのだろうか?
私の知る限り、日本でイランを非難する本はあるが、サウジを非難する本はない。
 (イランやシリア、北朝鮮などの亡命者が自国の体制を批判する本は
  向こうでもベストセラーになり、時々日本でも翻訳されているが)


サウジアラビアの処刑方法がダーイシュと酷似しているのは当たり前で、
同国の国教であり、宗教的権威であるワッハーブ派が国外に設立した宗教学校から
アルカイダやダーイシュなどのテロ組織に入団する人間が輩出され、ダーイシュに限って言えば、
占領区域において、学校機関にサウジの教科書を使用するよう強要しているのである。


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世界各地、とくにアラブ諸国からISISに加わる人々の動機の一つは、宗教的なものです。

ワッハーブ派の影響を受け、ワッハーブ派の学校で教育を受けてきた人々は、
タクフィール主義のテロ組織に加わる多くの潜在的な可能性を有しています。

これらの学校は、公正を追求し、人間を形成するイスラムの崇高な教えとは
何の関係もない事柄を子供たちに教えています。

こうした学校で教えられる事柄は、
イスラムの他の宗派の信者たちに対する憎しみや嫌悪を抱かせるものです。

ワッハーブ派は、サウジアラビアのオイルマネーを投じ、
イスラム諸国やイスラム教徒を少数派とする西側の社会で大規模なプロパガンダを展開し、
イスラム教徒を仲間に引き入れようとしています。

彼らは学校や様々な形の宗教施設を設立し、
イスラム教徒の若者たちをワッハーブ派の思想に引き込もうとしています。

一般に、社会の貧しい階層に属する若者たちがそれに引き込まれ、ISISに加わっています。

http://japanese.irib.ir/component/k2/item/53370-%E3%8
2%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E3%81%AE%E6%95%99%E3%81%8
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歴史的文脈からワッハーブ派は過激派ではないと語る研究者もいるが、
現実にはワッハーブ派の教えを受けて急進化する人間が多くいるのだから、
これをイスラム原理主義の一種として認めることに何ら問題はあるまい。


加えて、サウジはシリアからダーイシュの戦闘員を迎え入れイエメンに侵攻している。
(http://jp.sputniknews.com/middle_east/20151028/1087672.html)


客観的に観て、サウジとダーイシュは蜜月の関係であるように思う。

両者とも支配圏の内外の人間に対して連日のように攻撃を行っており、
イランや中国、キューバ、北朝鮮等の非欧米国が人権侵害国家だとしても、サウジには遠く及ぶまい。

にも関わらず、上記の国の内政にはやたらと干渉したがる国や知識人の多くが
サウジのイエメン侵攻について特に何もしないのは奇妙なことである。