時事解説「ディストピア」

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国連総会での反植民地主義闘争

2015-09-29 00:31:48 | 浅学なる道(コラム)
国連総会70年 印象深い演説を振り返って
(続きを読む http://jp.sputniknews.com/photo/20150926/953188.html#ixzz3n2oolsa8)


戦後70年と言う言葉があまりにも便利に使われ、戦争特集が各メディアで展開される一方で、
第二次世界大戦終結後、イギリスやアメリカ、フランスが途上国に対して
一体何をしてきたのか
ということについての反省や批判が積極的にされることはない。



このあたりを踏まえると、結局、自虐史観(by右翼)も自尊史観も
日本のことしか考えていないということをよく表しているような気がする。


左翼も右翼も日本の戦争のことしか考えない。

第二次世界大戦が終結してからも米英仏侵略トリオの植民地主義、
アフリカ・中東・南米に対する抑圧が変わらなかったという指摘が少ない。


そういう状況を思えば、上のスプートニクの記事は大変優れた記事であると言えよう。
以下、何箇所かピックアップしてみようと思う。


「国連総会で最も長い演説をしたのは、キューバの指導者フィデル・カストロ議長だ。
 それは4時間29分に及んだ。1960年9月26日の事だった。
 カストロ議長は、キューバ革命の真の意味、彼が率いる政府が始めた改革の本質を説明し、
 さらに米国に対し、一人前になろうとしている国を攻撃しないよう警告し
 米国とキューバの関係が悪化した真の原因を明らかにした。」


攻撃するなと演説した翌年、アメリカはCIAの主導の下、
反体制派のキューバ人を訓練、彼らと共にキューバに侵攻し、
返り討ちにあった。
(ピッグス湾事件)

恐らく米国史上、もっともみっともない事件だと思うが、
当時のケネディもCIAになぜ失敗したのだと激怒したと言う。


なぜ侵攻したのだではなく、なぜ失敗したのだと激怒する。
さすがはケネディである(※皮肉)



「1974年11月13日、パレスチナのリーダー、ヤセル・アラファト議長は、
 非同盟諸国の要請により国連総会に初めて招かれ演説した。
 その中で、議長は「シオニズムは人種差別の一形態だ」と明言した。
 そして1年後、国連総会は決議を採択し、
 シオニズムを人種差別と認める決議を採択したのだった。

 しかし、1991年、東欧で相次いで共産主義政権が崩壊した後、
 米国とイスラエルの要求により、この決議は取り消されてしまった。



冷戦終結時、右も左も浮かれ顔で共産主義を攻撃していたが、その暇があったなら、
 少しでも眼前の悪行を監視するべきだったのではないだろうか?



戦後70年とは、戦争が終わってから私たちが何をしてきたのかを
反省するためのものにしなければならなかった
のに、それが出来なかった。

それが残念で仕方が無い。



「国連総会の演説の中で最も印象が鮮烈だったものの一つに、
 ベネズエラのウゴ・チャベス大統領の2006年の演説がある。
 大統領は登壇し「ここには悪魔がやってきた」と述べた。
 その後彼は、その悪魔とは米国大統領のジョージ・ブッシュ・ジュニアであると説明した。

 米国大統領は、チャベス大統領が登場する前日演説し、
 檀上から自国の政策を正当化したばかりだった。
 発言時間は15分だが、チャベス大統領は約1時間、演説を続け、
 自分に靴を投げないよう頼みながら、最後まで話をさせてくれるよう求めた。」


国連総会では、時折、途上国の元首が先進国に対して
その植民地主義、横暴な干渉政策に対して怒りをダイレクトに伝える場面がある。



「2009年9月23日、リビア革命の指導者ムアマル・カダフィ大佐は「政治的封建制」に反対し、
 国連安全保障理事会の常任理事国だけでなく、すべての理事国に拒否権を付与するよう求めた。


 彼は又「リビアは、国連決議に従う義務はない」と述べ、
 国連憲章の冊子を投げ捨てるパフォーマンスをした。

 カダフィ大佐は、カストロ議長には劣るものの、2時間以上も演説を続けた。
 そのためリビア人通訳は耐え切れずに、1時間ほどで意識を失い昏倒する騒ぎとなり
 国連本部のアラブ語通訳グループのチーフが、急遽通訳を受け継ぐというハプニングが起きた。」


常任理事国(米英仏露中)に強力な権限が与えられている現状への批判。
先日紹介した移民問題への見解といい、
カダフィは途上国の立場から国際政治の現況を結構的確に批判しているのだけれども、
悲しいかな、日本では二時間もアメリカ批判をしたという大雑把な報道で済まされてしまった。


繰り返すが、国連総会という場は、アフリカや中東、南米の指導者が
自分たちがいかに西側陣営に非道い目にあっているのかを訴える場としても機能してきた。


ところが、そのせっかくの貴重な訴えに対して日本のメディアや著名なジャーナリストは
演説の内容よりも時間の長さを強調する素晴らしいリアクションを返してきた。

例えば、池上彰氏とか。


安保法案が強行採決された途端、メディアが全く議事堂前のデモを
取り上げなくなったとリテラが怒りを露にしているが、
池上氏に至っては強行採決後の初のニュース解説番組の内容が
苗字と姓はどう違う?だった。
どうでもええがな


こういう意図的に特定の情報を伝えまい、伝えまいとしているのが
見え見えな合法詐欺報道が闊歩している現状、
『世界』や『週刊金曜日』などの一応左翼の雑誌が応えるべきだろう。

『金曜日』はたまにお手柄を挙げることがあるが『世界』に関してはさっぱりだ。
 毒にも薬にもならない論評しか掲載されない。『リテラ』のほうが読む価値がある。


訴えている人がいるのに、その人に目もくれない。
左翼の論壇がそういう状態(一種のサークルと化している)である限り、
いつまで経っても、右翼に決定打を与えられないのではないかと思う今日この頃である。