時事解説「ディストピア」

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アメリカの諜報活動を黙認するドイツ政府

2015-06-15 00:08:23 | 浅学なる道(コラム)
日本は歴史を反省しない、それに比べてドイツは歴史を反省しているから立派だ。
こういう意見はよく左翼の側からも発せられる言葉だろう。


しかし、これが本当にそうなのかと言うと、すこぶる怪しい。



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米国の諜報機関はドイツで融通無碍に活動している。


あたかもドイツは、かつて反ヒットラー連合を形成した
西側諸国に、未だに占領されているかのようだ



ドイッチュ・ヴィルトシャフツ・ナハリヒテンのインタビューに対し、
欧州を代表するテロ対策・諜報・産業スパイ専門家で、
オーストリア連邦対テロ作戦・国家防衛庁創設者にして元長官、
ゲルト・ポッリ氏(Gert R.Polli)が述べた。



氏は次のように述べた。

米NSAがドイツに対し大規模諜報を行っていたことを示す
「スノーデン・レポート」に対し、ドイツ政界は憤激した。憤激は真率なものであった。

しかしそれも、今のところは、ただの空吹かしに終わっている。


メルケル首相のイニシアチブで、
米国と「対諜報」合意が結ばれようとしたが、いつの間にか頓挫してしまった。
首相の電話通信の盗聴をめぐる捜査も、証拠不十分として、停止されてしまった。


結局ドイツでは、通信の秘密というものは、事実上廃止されてしまったのであり、
政府は、さらなる情報漏洩を防ぐための措置を何ら講じることなく、2年間を徒過した。

その証拠に、先日、議会のコンピューターに攻撃が仕掛けられた。



ドイツにおいては、米国の国家安全保障局(NSA)と、
英国の政府通信本部(GCHQ)が、諜報に従事している。



ドイツ連邦情報局(BND)のゲルハルト・シンドラー長官によれば、
それは、ドイツの諜報機関の活動が米国および英国の諜報機関に依存しているからである。



ところでドイツの防諜は今も、主に「東」志向である。
誰の工作から国を守るかと言えば、昔ならソビエト、今ならロシアである。



そのロシアの諜報員たちは、ドイツにおいて、
米国の諜報員と比べ、常に、より慎重で、よりプロフェッショナルだった。
それなのにドイツの特務機関は、習慣的に、米国にこそ、排他的な協力を求めてきたのである。



同盟諸国の諜報機関の活動のあり方から見れば、
ドイツは今も「占領された国」なのである。


オーストリア連邦対テロ作戦・国家防衛庁の元長官、
ゲルト・ポッリ氏は以上のように述べた。

続きを読む http://jp.sputniknews.com/politics/20150614/453992.html#ixzz3d325HygG

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日本の学者や知識人は戦争責任という狭い枠でしか見ようとしないが、
より広い視野をもち、植民地主義の歴史としてドイツを観察すれば、

占領統治が終了した後も、被占領国としてふるまっていること、
ソ連の防波堤として大国に利用されていることに気がつくだろう。



本来、ポストコロニアリズムという言葉は、
植民地主義の継続性を示すために使われるはずだったと思うが、
実際には、「植民地主義が終わった」時代として認識されがちだ。



ナチスドイツがあれだけ自由に振舞えたのも、
ソ連の当て馬として米英仏侵略トリオが利用したためである。



それを如実にあらわすのがスペイン内戦で、
ファシズム軍がフランコを支援したにも関わらず、
イギリスとフランスは黙認という形で静かにナチスを支持した。


近年のアルカイダやISISに通じるが、
結局のところ、第二次世界大戦というのは猛犬を飼い馴らせなかった歴史なのだ。


ゆえに、もっとも強く激しく糾弾されるべき国々が
どこなのかはハッキリしているのだが、この点を度外視して
上手くナチスだけを非難できるように、巧妙な歴史観が構築された。


この歴史観に応じて、
ナチスドイツとソ連とを同一の全体主義国家として区分する動きが生じた。
これらは、宗主国側の植民地支配の歴史と責任を無化させるのに絶大な効果を発揮した。


実際、1930年代~40年代の歴史を見れば、
イギリスやフランス、アメリカが同時期に行っていた植民地支配と
抵抗勢力への容赦ない弾圧については、ほとんど(或いは全く)言及されていない。


この種の西ヨーロッパ中心主義史観から脱却することこそ
今後の現代史に求められていることだと私は思うのだが・・・・・・