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南英世の 「くろねこ日記」

徒然なるままに、思いついたことを投稿します。

菅内閣

2021年08月31日 | 日常の風景

菅政権が誕生して約1年になる。その菅内閣に対する支持率が30%を割った。背景には新型コロナウィルスの感染拡大を止められなかったという国民の厳しい見方がある。しかし、ここまで内閣支持率が下がると、「いや、ちょっと待てよ。この1年間で結構いい仕事もしているぞ」というあまのじゃく精神がむくむくと湧いてくる。

菅内閣がやった仕事の中で次のようなものは評価されてもいいのではないか。

① ケータイ料金の引き下げ

② デジタル庁の設置(2021年9月1日)

③ 教員免許更新講習制度の廃止

④ 小学校の1学級の児童数上限を40人から35人に引き下げ

 

ケータイ料金の引き下げは消費者の実質的な給料引き上げと同じインパクトがある。デジタル庁の設置は、日本の遅れた情報環境を一気に取り戻す起爆剤になる可能性を秘める。

安倍政権下の2009年度に始まった教員免許更新制は、立憲民主党が与党の時も一時話題になったが、実現しなかった。教員の負担増を招くこの問題にようやく手を付けた功績は大きい。ただし「発展的解消」と言っているから、まだ油断はできない。また、小学校の児童数上限引き下げも40年間変えられなかった問題だ。

先日、授業準備のための下調べをしていて驚いた。予算規模が101兆円から160兆円に膨らんでいるのだ。この1年間で国債の発行が実に約60兆円増えている。国民一人当たり10万円を配り、飲食店やデパートに休業や時短を要請し、中小企業に財政的支援をするとなると当然このくらいの国債発行はやむを得なかったのかもしれない。そのおかげで景気の失速は最小限に抑えられている。(ただし、この借金のツケは今後どうなるのだろうという心配はある)

 

2019年度予算(第一学習社『政治・経済』教科書より転載)

 

2020年度予算(第二次補正予算後)

 

確かにコロナウィルス対策は後手後手になったという批判はある。しかし、ほかのだれが総理であったとしても大して違いはなかったのではないか。むしろ、コロナ対策に手を取られて憲法改正が後退したことは、見方によっては菅内閣の貢献であったとみることができるかもしれない。


日本の情報教育

2021年08月31日 | 日常の風景

高校で情報教育が新設されたのは2003年である。「情報A」「情報B」「情報C」の一つが選択必修となった。この時、私も教科書の執筆に加わっていたのだが、教科「情報」は英語・数学・国語と並ぶ重要科目になるのではないかという期待があった。

 ところが、大学入試で必修化されなかったこと、大学で正式な情報教育を受けた専任教員をほとんど採用しなかったこと(8割は他教科との兼任または臨時免許取得者だったといわれる)、財政上の理由でパソコンの導入が遅れたことなどの理由から、情報教育は国際的な流れから完全に後れを取ってしまった。

その後,2013 年度から「社会と情報」と「情報の科学」の 2 科目に再編されたものの、内容は相も変らずソフトの使い方教育が中心で、情報の科学的な理解に重点を置いたものではなかった。

 2021年9月1日、デジタル庁が創設される。これを機会に、教科「情報」を国・数・英・理・社の主要5教科と並ぶ位置づけとし大学入試の必修科目にできないか。そのためには、学校を取り巻く通信環境の整備と人材の確保が急務である。18年前に個人的に描いていた夢を今度こそ実現してほしい。今も時々思う。もし18年前に本格的に情報教育に取り組んでいれば、その世代は今35歳前後になっている。ひょっとしたら日本はもっと違った姿になっていたかもしれない。日本の情報教育が周回遅れになってしまったのは、明らかな文部行政の失敗である

 2020年度から小学校でプログラミング教育が必修化された。しかし、どの学校も教える人材の確保に苦労しており、テキトーにお茶を濁しているのが現状だとも聞く。そもそもプログラミング言語なんて時代とともに変化していく。Fortran BASIC Cobol、C言語、JavaScript さらにスマホが誕生した後プログラミング言語はさらに進化を遂げ、いまでは2500種類以上のプログラミング言語が存在している。いまはSwiftが主流らしいがこれもやがてとってかわられるのだろう。すぐに役に立たなくなる知識を小学生に教えることにどれほどの意味があるのだろうと思う

 

(追加記事)

 2021年12月18日の新聞記事に、教科「情報」がようやく受験科目になるという報道があった。2025年度入試からだという。遅きに失した感があるが、まずはよかった。受験制度の在り方は学習指導要領より影響力がある。

 


ジェネレーションZ

2021年08月30日 | 日常の風景

生まれた年の通信環境によって、ジェネレーションを15年単位で分類する考え方がある。それによると、次のようになるらしい。

■ジェネレーションX(1965年~1980年代生まれ)

■ジェネレーションY(1981年~1995年生まれ)・・・10代からパソコンになじんだ世代。

■ジェネレーションZ(1996年~2010年生まれ)・・・生まれた時からデジタル環境で育った世代。

■ジェネレーションα(2011年~2026年生まれ)・・・生まれた時からスマホ、SNSが身近にある世代。

 

この分類を見ていて「なるほど」と思う。

私が高校教員になったのは1982年。当時はパソコンの出始めで、ベーシックという言語を用いて自分でプログラムを書きパソコンを動かしていた。パソコンをどのように教育現場に生かすか。教員の間でプログラム開発の競争が起きた。たかだか数百行程度のプログラムだったが、それでも独学でプログラムを学び書き上げるのは大変だった。

ところが、1995年にウィンドウズ95というOSが出てきて、パソコンの考え方が一変した。自分でプログラムを書くのではなく、OSで動くソフトを使いこなす時代に入った。この「事件」は衝撃的だった。何しろ、ウィンドウズ95のプログラムは1100万行にも及ぶのだ。

 

最近は、さらに進化が激しくなってきて、時代に追いつけない。

先日、書斎で13年間使っていたソニーのミニコンポが壊れたので、ビクターのウッドコーンに買い替えた。ハイレゾ、Bluetooth対応。

確かに音はいい。しかし、悲しいかなBluetoothの使い方がわからない(泣)。Wifiと同じく、電波を近距離に飛ばす技術だということだけはわかるのだが・・・

 

 

 

 


実力

2021年08月30日 | 日常の風景

『考えて、考えて、考える』 藤井聡太、丹羽宇一郎著 を読んだ。講談社から2021年8月25日に発行されたばかりの対談集である。丹羽さんが主に聞き役として藤井聡太棋士の考えを引き出す形式で対談が進められる。しかし、元伊藤忠社長、元中国大使の丹羽さんの考えが随所に現れ、これが面白い。例えば「実力」について語る場面。

実力とは、将棋をたくさんさした時の平均値と考えれば、実力以上の力が出るときも実力以下の時もある。(藤井)

実力の評価は難しい。僕が入社したころ課長から怒られた。「お前、自分で自分を評価しているんじゃないか。俺は優秀だ、俺は偉いんだと思っているだろう。自分の本当の力が100点だとすると、自分では150点くらいだと思っている。でも、他人から見ると50点とか、良くて70点だ」。他人の認識、自分の認識、本当の実力、これらはすべて乖離している。それから僕はちょっと謙虚になった。(丹羽)

目的と結果についての話も面白い。

科学者はノーベル賞をもらうことを目的に研究しているのではなく、研究の結果としてノーベル賞が贈られる。それと同じことが経営でも言える。社長になりたい、最高益を出したいなどといった、本来「結果」であるべきことを「目的」にしてはいけない。名誉や権力、お金なんて、一時的な欲望を満たしてくれるに過ぎない。たかが知れている。困難に挑戦し乗り越えるという行為そのものが非常に大事なことなのだ。(丹羽)

将棋では必ず勝敗がある。勝つことを目的としないで、その局面での最善手を探求する。負けた将棋で一番気になるのは、形勢の均衡が崩れた局面。どうして崩れたのか、その要因を考え、言語化する。それが次につながる。(藤井)

この二人のやり取りを読んでいて「さすがだなあ」と思う。

最近、囲碁から遠ざかっている。理由は簡単。「負けるのが嫌だから」。

ちょっと反省した。


投資信託

2021年08月25日 | 日常の風景

個人金融資産の約9割は60歳以上の年齢層が持っており、その平均額は約2500万円である(下図)。そこで高齢者をターゲットとしたアコギな商売が出没する。「退職してこの先年金だけで暮らしていけるのか?」。そうした不安を煽って儲け話を持ち掛ける。

実は、投資信託もそうしたシルバービジネスの一つである。お金を預ける側からすれば、プロが運用するのだから少なくとも素人が運用するよりはマシな結果になるだろうという期待がある。ところが、金融庁の調べによると、国内29の銀行で投資信託を買った個人客の46パーセントが、運用損失を出しているという(朝日新聞ディジタル 2018年7月9日)。

名もなきいかがわしい会社ならいざ知らず、一部上場企業が高齢者を食い物にするようなビジネスをやっているのだから資本主義とは恐ろしい。もし、「元本割れを起こす確率は46%です」と最初から説明を受けていれば、投資信託にお金を預ける人はいったいどれほどいるのか。

以前、毎月配当型の投資信託が人気を集めたことがある。多くの高齢者がそうしたファンドに投資した。しかし、投資環境の悪い時に毎月一定額の配当を行なうには、元本を取り崩すいわゆる「たこ足配当」をするしかない。しかし、証券会社はそのことを十分に説明しないままそうした金融商品を売りまくった。ほとんど詐欺に近い行為である。

今日の朝日新聞(2,021年8月25日)に「損失限定型」投資信託の話が出ていた。投資した金額の9割を最低保証したうえで大きなリターン(収益)を追求するといううたい文句の金融商品である。相場が急落しても9割は返ってくる。その安心感が人気を呼んだ。ただし、顧客が証券会社に払う手数料は通常の手数料より高めに設定されている。

2019年、コロナ禍で株価が急落した。このため、運用会社は株式への投資をやめリスクの低い短期国債の運用に切り替えた。しかし運用実績は上がらず、元本の9割ライン(プロテクトライン)を下回ってしまった。その結果、運用終了となり、元本の9割が返済される繰り上げ償還となった。何のことはない。運用会社がロクな努力もせず「おいしい手数料」を稼ぐために顧客を食い物にしただけである。

たしかに悪徳業者(?)に引っかかるほうが悪いという考え方もある。しかし、現代社会は複雑である。高齢者が名だたる企業のブランド力を信じたことをすべて「自己責任」の一言で片づけるのはあまりに酷ではないか。

自由経済とは、儲かるならば何をしても許されるということではない。人の痛みを我が痛みのごとく感じる「共感」が大切であることは、アダム・スミスが『道徳感情論』の中で強調しているところである。

 

(参考)

日本の個人金融資産は1645兆円である(2014年)。このうち、負債の302兆円は主に住宅ローンである。







情熱大陸

2021年08月22日 | 日常の風景

「情熱大陸」を弾きたくて45年ぶりにエレクトーンを習い始めてから10か月。ようやく弾けるようになった。当初、とんでもなく難しいと感じ、本当に弾ける日が来るとは思ってもみなかった。

手持ちの譜面は葉加瀬太郎の原曲を編曲したもので、YAMAHAのグレードでいうと8級に該当する。8級というのは囲碁の世界などでは初心者であるが、エレクトーンの世界では5級でYAMAHAの音楽教室の講師資格が与えられるから基準が全く違う。

習い始めた時は10級程度だった。この10か月でやった曲を並べてみる。

・喜多郎のシルクロードのテーマ曲(10級)

・タラのテーマ(10級)

・地上の星(9級)

・チャイコフスキーの「白鳥の湖」より情景(9級)

・グノーのアヴェ・マリア(9級)

・エーデルワイス(9級)

・美しく青きドナウ(9級)

・いい日旅立ち(9級)

・G線上のアリア(9級)

・モルダウの流れ(9級)

・パッヘルベルのカノン(9級)

・アメイジング・グレース(9級)

・眠れる森の美女(8級)

・アドロ(8級)

・ビバルディの「四季」より春(8級)

・モーツァルト交響曲第40番第1楽章(8級)

・情熱大陸(8級)

 

最初はコードも10個ほどしか知らなかった。しかし、コードの基本的な考え方を教えてもらったおかげで、弾けるコードが一気に10倍ほどに増えた。こうやって振り返ってみると、わずかな時間とお金で随分進歩したものだ。プロに教えてもらうというのはすごいことなんだなと改めて思う。

レッスン風景

 

この後も挑戦してみたい曲がいっぱいある。エリーゼのために、ハンガリー舞曲第5番、アイーダ行進曲、アルビノーニのアダージョ、ピアノソナタ第11番第1楽章、愛のロマンス、サバの女王、ある愛の詩、シャレード、黄金のエルサレム・・・。

一昨日、難波のYAMAHAに行って譜面を探してきた。しかし、ピアノの譜面はいっぱいあるのに、エレクトーンの譜面は少ない。お目当の譜面は見つからなかった。エレクトーンの人気が昔に比べて低下しているのかもしれない。


米軍の枯れ葉剤散布から60年

2021年08月11日 | 日常の風景

 米軍は1961~71年、密林を拠点とする南ベトナム解放民族戦線の活動を抑え込もうと、枯れ葉剤を大量にまいた。撒布の名目はマラリアを媒介するマラリア蚊や蛭を退治するためとされた。

 

あれから60年。枯葉剤によって染色体分裂が破壊されるため、散布地域ではがん患者が増え、先天性異常児の出産が多発した。被害者は子どもや孫、ひ孫の世代も含め3世代(4世代?)300万人以上とされる。ベトナム政府によれば、現在もなお先天性欠損を抱える子ども15万人を含む100万人が健康への深刻な影響を受けているという。

ネットで検索すると、痛ましい写真がたくさん掲載されている。

ベトナム枯葉剤 写真 - Bing images

 

ベトナム人被害者たちは、アメリカに対して補償を求め訴訟を起こした。しかし、2009年にアメリカ連邦最高裁判所は訴えを却下した。アメリカ当局は、枯れ葉剤と先天性欠損症などとの間に直接の関連を認めることはなかった。

2009年、WPC世界平和評議会は、米軍がベトナム戦争中に初めて枯れ葉剤を散布した8月10日を「ベトナム枯葉剤被害者のための日」と定めた。