シベリウス 交響曲第5番変ホ長調(作品82)
Original 1915 version + Final 1919 version
オスモ・ヴァンスカ指揮 ラハティ交響楽団
録音: 1997年(BIS-CD-863)
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シベリウスの7つの交響曲は、いずれもかけがえのない傑作と言える逸品ぞろいだが、個人的に最も好んで聴く曲目は「第5番」と「第6番」になるだろう。この傾向はシベリウスの音楽を聴くようになってから、ほとんど変わらない。曲の出だしから、最も抵抗なく心に入ってくるし、何度聴いても飽きのこない密度の濃さを合わせ持っている。まさしく真の名曲と呼ぶにふさわしい作品だ。
一般的には「第2番」のほうが演奏機会が多いし、最終楽章などはたしかにスケールが大きく聴き映えはあるが、音楽の密度が今一つ低い。親しみやすい傑作には違いないのだが、後期の作品に比べると、やや飽きが生じやすいところがある。第2番を聴くならば、むしろ「第1番」。こちらのほうが土俗的で荒削りな迫力があり、感銘の度合いが深い。
さて、今回取り上げる「第5番」であるが、これは作曲者本人の言う「大自然の夜明け・・・」という情景を遥かに越えた、別世界の黎明である。そして、単なる情景描写にとどまらず、目に見えない心象世界にまで踏み込んでいるところが、まさにシベリウスの後期交響曲群を、前人未到たらしめている特徴なのだ。
「第5番」のCDは、ベルクルンド、サラステ、セーゲルスタム等、主なシベリウス指揮者の演奏はほとんど聴いている。さすがにどれを取っても満足させてくれるが、個人的にベストの1枚選ぶとすれば、今のところ、オスモ・ヴァンスカ指揮/ラハティ交響楽団のCDになりそうだ。このCDは、1915年に書かれた初稿版と、1919年に書かれた最終版を聴き比べることができるという点で、唯一無二のものなのである。
初稿版を聴いてみると、ある意味、拍子抜けのする面白さがある。聴きなれたモチーフが、いつもと違う展開を見せるので、思わず「あれっ?」と、ずっこけてしまうのだ。第1楽章は、いきなり「途中から」始まる。思いっきり盛り上がるはずの終結部も、ふっと力が抜けたように消えてしまう。フィナーレは、最終版と似たような雰囲気かな、と思いきや、なぜか異様に長い・・・という具合である。まあ、同じモチーフを使った、別の曲と割りきって聴くほうがいいだろう。
初稿版と比べると、さすがに最終版は、磨き抜かれている。入念な推敲によって冗長さが消え、高度に結晶化された、宝石のような音楽に生まれ変わった。この世にいながらにして、あの世の神秘さえも目前に迫ってくるかのようだ。ヴァンスカの指揮も、繊細な最弱音から、ティンパニの最強打に至るまで、絶妙なコントロールで聴かせる。聞くところによると、彼の練習はとても厳しいらしい。たとえ2小節のフレーズでも、納得のいくまで徹底的に繰り返すという。
2年前、ヴァンスカが現在の手兵ミネソタ管弦楽団を率いてカーネギー・ホールに訪れた際、この曲の実演にも接することができたのだが、CDに聴くのと同じような、きめの細かな、手作りの味に触れることができた。
CDにおいては、「シベリウスの残した音符をひとつ残らず音にする」という、スウェーデンのBISレーベルのプロジェクトを中心に、ラウタヴァーラ、カレヴィ・アホなどの同郷フィンランドの作品の録音が注目されるが、最近では満を持して放ったベートーヴェンの交響曲シリーズも好評のようである。
今後も数々の名演が期待できる指揮者の1人だ。
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