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崖を這いあがった政権の先には?

2015年10月20日 | Weblog
 政権は首尾よく崖を這い上がりました。安倍首相は国民に安保法制の理解が十分浸透していないので、これから丁寧に説明をするとのことでした。

 政権の目指すところは「普通の国」(戦争のできる国)ですが、日本は「普通でない国」(自衛の国)から、普通の国を目指してその一歩を踏み出したことになります。

 日本憲法では戦争を想定していないから戦争に関する規定がありません。軍隊がない前提ですから、軍法などの戦争法案がありません。軍法もない国がどのように戦争をするのでしょうか。これからたくさんの戦争関連法案を整備していく必要があるでしょう。
 集団的自衛権で外国と協力して、戦闘に入ることになりますが、戦闘に対するベースが異なる兵隊さん同士が、齟齬なく共同で戦闘を行えるのでしょうか。

 そもそも戦争とは、国家による殺人という一面があります。従来の戦争から学習できることは『戦争とは何でもあり』です。核爆弾により全敵国国民を殺戮することも可能なのです。
 考えてみると、戦争とは人類の撲滅をもありうる、最も愚かな行為と考えることもできます。
 そんなことをぶつぶつ言ってる間に他国から攻撃されたらどうするのだ。という反論が必ず出ます。そういう危惧は戦争反対を言う側でも同じように持っています。でも、すぐ戦争で対処するとは考えない立場です。

 わたしは、太平洋戦争末期の学徒出陣の映像をよく思い出します。もしわたしが、あの学徒出陣式に参加していたなら『くそー、何で俺が戦争に行かなければならないのだ』と、今のわたしならそう考えます。当時の学徒の中でもそのような考えを持った学生もいたかもしれません。しかし、どうすることもできなかった。なぜなら、国家の決定事項ですから。
 もっと早く気がついていれば、と考えても事態がそうなってからでは遅いのです。

 そもそも、国家が戦争に問題解決を託する場合、命令を受けた兵隊さんが相手を殺せば、殺された相手は憎しみを以って反撃してくるでしょう。攻撃された側はさらに憎しみを持って反撃するでしょうから、憎しみの連鎖、悪循環へと嵩じていきます。
 イスラエルとアラブの対立など、家族を殺された人は、たとえ平和主義者であっても、殺人が殺人へと憎しみのリンクに立ち入ってしまいます。平和主義者であっても、お互いに殺し合う戦争へと燃え上がっていきます。もしわたしの家族が犠牲になったら私も戦争に参加するでしょう。それが戦争です。
 憎しみの連鎖は想定外の悲劇にまで拡大してゆきます。日本国がかって米国の真珠湾を攻撃したとき、その4年後には、核兵器によって国民が想像を絶する悲惨さを蒙ることなどまったく想定できなかったでしょう。戦争によって多くの人が無意味な死を蒙ったのです。戦争とは国家によるほとんど無意味に近い公認の殺人行為なのです。 
 戦後、アメリカが自主判断で戦争を始めた例が多くありますが、所期の目的を達成し勝利した例はほとんどないようです。憎しみが憎しみを引き起こす例ばかりです。
 米国のイラク戦争は中近東に混乱を生み、結局最悪の無法過激組織≪IS≫を生むことになりました。
 アメリカの考え方の基本は、力に力を託する国柄です。今回、日本はそのアメリカについていくことを決定しました。今後、アメリカがどこかで戦闘を始める可能性は大きいのですが、日本は血を分けた友人の苦労を見過ごさないで、(後方ではなく)積極的に前に出ていくことになります。

 広島、長崎、沖縄の多くの戦争犠牲者はあの戦争を肯定していたでしょうか。国家の決定により戦争によって無意味に殺されたのです。殺される側の国民はそのような事態にならないように抵抗すべきではありませんか。国家を論ずる勇ましい意見の立場の者は、国破れていいのか、とか盛んに勇ましいことを言いますが、国民は国家のご都合説明にごまかされないようにしっかりした自分の意見をもたなければならないのです。
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