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身代わり猫

2016年09月14日 | Weblog
路上で猫などの小動物が車にひかれて、無残な姿をさらしている光景を目撃することがしばしばある。
(わたしは先日、荒川の堤防で哀れな子供の狸がそういう姿を晒しているのを目撃した)
 そのような場面に遭遇すると、キリスト教信者ではないけれど思わずアーメンとか、南無妙法蓮華経とか、南無阿弥陀仏とか、心の中で呟いてしまう。
 そして、それだけではとても治まらないので、さらに「あなたには母親、父親、妹や弟、姉貴や兄貴、そういう親しい家族がいるだろう。そのうちの誰かが運悪く車にひかれたりすることもあるだろう。あなたは運悪く親しい身内の身代わりになったのだ。あなたの死は無駄ではない。身代わり猫なのだ。だから心安らかに成仏してほしい」と。
 「身代わり猫」というのは、家族のひとりが急病で倒れたようなときにその人が奇跡的に助かって、時を同じくしてかわいがっていた家猫が死んだりすると、これは猫ちゃんが身代りになったのだ、とそういう意味で使われるのが一般的だ。

 ところで、戦争の体験談とか戦争映画で、むごたらしい話を読んだり聞いたりすることが多いが、その場限りで終わってしまう。
 今日の平穏で平和な時代を過ごすことができるのも、その陰には多くの犠牲者があったのだ。わたくし達はこれらの恩義ある気の毒で不運な犠牲者に対して十分感謝をしているだろうか。
 先の太平洋戦争の犠牲者を弔うために、日本国家として、1日だけだが天皇を迎え毎年「全国戦没者追悼式」を武道館で挙行している。
 300万人といわれる戦争犠牲者を出したのに、なぜ仮設の式場で、たったの1日だけの慰霊で済ますのか。恒久的に弔う慰霊碑をなぜ持とうとしないのか。それを指摘する者もひとりとしていない。のうのうと平気でいられるのだ。わたしにはとても理解できない。これが日本人なのか。戦争を体験している高齢者は居眠りしているばかりでいいのか。残念なことである。
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