瀧澤美奈子の言の葉・パレット

政を為すに徳を以てす。たとえば北辰の其所に居りて、衆星の之に共(むか)うがごときなり。

日本の医学研究の本丸・AMED、末松理事長が審議会で衝撃発言、「我々の自律性は完全に消失している」

2020年02月09日 | 科学ニュース
 1月9日に開催された第10回AMED審議会で、大きな衝撃が走りました。
 AMEDの末松誠理事長みずからが、同機構がいま置かれている状況について吐露したのです。
 この投稿では理事長の発言を紹介しながら、それについて考察したいと思います。

 議論は、AMEDで政府の新しい科学技術プロジェクトを実施するのに必要な基金をつくるため(具体的にはムーンショット型研究開発制度)、現在の中長期目標を一部改正することについてのやりとりでした。
 途中、委員のひとりである楠岡英雄委員(国立病院機構理事長)から、
「AMEDが、各省庁の予算執行機関になってしまっていて自由度が全然ないというのが今のAMEDの一つの大きな欠陥になっている」、「こういう基金によってAMED独自の発展の場というのが持てるのであれば、非常に期待できると思うが、どのようなことを考えておられるのか」という質問が出ました。
 この発言に答える形で、AMEDの末松理事長が手を挙げました。

◯末松理事長 事実を申し上げたいと思っていることがございまして、昨年の7月以降、実質的にはそれより前から始まっていたかもしれませんけれども、大坪氏が次長になられてから、我々のオートノミーは完全に消失しております。それはどういうことかといいますと、我々は文科、厚労、経産、それから今は総務省とございますけれども、予算のマネジメントとか一つ一つの事業の運営のやり方に関して、健康・医療戦略室は基本的にマイクロマネジメントをやられてきたということであります。

 オートノミーとは「自律性」という意味です。つまり、AMEDは組織としての自らの自律性を失っているというのです。直前の楠岡委員の発言内容とも重なるのですが、「AMEDには自由度、自律性がない」ということを訴えました。

 その具体例として、末松理事長は「調整費」の例を挙げました。調整費をめぐる問題については、また稿を改めたいと思いますが、ごく簡単にいえば、中身を決めずに財務省からAMEDに予算措置される、「白紙の小切手」である調整費(80億円)のほとんどを、実質的に大坪氏の一存で厚労関連の内容に決めてしまったということです。
 大坪次長はAMED担当室長であると同時に、厚労審議官でもあるのですから、このような行為は省益誘導以外の何ものでもないでしょう。この調整費については「意思決定のプロセスが不透明」であり「内容にも問題がある」として、自民党内でも問題になり、現時点で執行がストップしています。
 さらに、末松理事長は次のように続けました。

◯末松理事長 何が問題かといいますと、健康・医療戦略室のイニシアチブのおかげでAMEDが発足してから最初の3年間、あるいは3年半は非常に順調な運営ができたというふうに自分自身でも思いがございますけれども、各省の予算のマネジメントに関する相談等は全部健康・医療戦略室を通してやるようにということと、担当大臣とか政治家の方々とコンタクトをとるな、ということを大坪次長から言われております。その証拠も残っております。

 という驚きの事実を語ったのです。大坪氏が次長になって采配をふるうようになる前は、
末松理事長と各省(文科、厚労、経産)の緊密な連携のもとでAMEDの予算を使いやすくしたり、三省の一本化したルールを決めたりして、順調に組織運営ができていたといいます。
 しかし大坪氏がAMED担当室長になってから、「補佐官から各省局長への指示について伺った」として、三省とAMEDが直接話す機会が禁止されました。これについては文書の証拠もある。
 この一事だけをもってしても、健康・医療戦略室がAMEDに対していかに強権的・強圧的にふるまっているのかが、お分りいただけると思います。

 そして、「トップダウン」の名の下に、「不透明なプロセス」、「ピアレビュー」を無視して巨額の予算が決められようとしたのです。

 最後に、科学技術研究における「トップダウン」の危険性について、私の考えをまとめておきたいと思います。間違ったトップダウンには、主に次のようなリスクがあると考えます。

・ピアレビューを経ていないので、本当に選ばれるべき価値のある研究にお金が回らない。
・公開の議論を経ていないので、関係者間の合意がなく、コラボレーションが限定的になるか、あるいは喪失してしまう。
・それでも予算が降ってくるので、研究者は個々のアプリケーション開発に注力するようになる。
・そして、科学研究のための科学研究に陥る。論文は書けるが課題解決には役立たない。この場合には患者を助けることには、何ら役に立たない。
・別の研究チームが、別々に同じことをやってしまうこともありうる。

そして、総合的に「医療研究や開発の成果を着実に社会実装する」という目的からは程遠い結果に至るのです。

では、そうならないためには、どうしたらいいのでしょうか。

・高い専門性と広い視野をもった専門家が、自由でオープンな議論をする。
・そのときに、長期的に見て何が具体的課題なのかを共通認識として見出す。
・互いに互いが何をしているかを知ることを通して、いまやるべきこと、役割が見えてくる。
・研究や開発の結果を着実に社会実装する道筋(役割分担)を考え、実行していく。

つまり、「透明な決定プロセス」と「ピアレビュー」がいかに大切かということです。
そして、そのような美しい世界を作るために関係者間をコーディネートをすることが、本来のAMEDの役割だと思います。
AMEDには医療研究に関する高度な専門知識を持った職員がいるからこそ、できることなのであって、「私には専門知識がないので山中先生に直接ご相談いたしました」(2月7日の衆議院予算委員会での大坪氏の答弁)というレベルでは、到底なし得ないことですし、そもそも異質なものです。

健康・医療戦略室には、「AMEDが本当に目標にかなった美しい世界を作っているかどうかを見守ること」が期待されます。それこそが本当の意味での司令塔の役割ではないでしょうか。



  



 


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