雨に濡れた落ち葉を踏みつつ歩いていていました。
(柿の葉ではありませんでしたが)
ふと中学2年の時憶えた短歌を思い出しました。
「おりたちて今朝の寒さを驚きぬ
露しとしとと柿の落ち葉深く」(伊藤左千夫)
その時の国語の先生が歌人で、
たくさんの短歌や俳句を教えてくれました。
もっとも当時は“記憶させられた”というイメージでしたが。
けれども何かにつけふとその頃覚えた短歌や俳句が口をついて出てくるのは、
不思議なことです。
この歌は大正元年、左千夫49歳の時のものです。
「ほろびの光」という5首の第1首で、最後の歌が、
「今朝の朝露ひやびやと秋草や
すべて幽(かそ)けき寂滅(ほろび)の光」
です。この歌に感動した斉藤茂吉が、思わず左千夫の家を訪ねたというエピソードがあります。
左千夫は本所で牛乳搾乳業を営んでいた一般市民でしたが、
正岡子規に弟子入りし、頭角を現しました。
そのためこんな歌も残しています。
「牛飼いが歌読む時に世の中の
新しき歌大いにおこる」(明治33年の作)
韻文学の世界も大きな曲がり角をむかえていた頃のことです。
(柿の葉ではありませんでしたが)
ふと中学2年の時憶えた短歌を思い出しました。
「おりたちて今朝の寒さを驚きぬ
露しとしとと柿の落ち葉深く」(伊藤左千夫)
その時の国語の先生が歌人で、
たくさんの短歌や俳句を教えてくれました。
もっとも当時は“記憶させられた”というイメージでしたが。
けれども何かにつけふとその頃覚えた短歌や俳句が口をついて出てくるのは、
不思議なことです。
この歌は大正元年、左千夫49歳の時のものです。
「ほろびの光」という5首の第1首で、最後の歌が、
「今朝の朝露ひやびやと秋草や
すべて幽(かそ)けき寂滅(ほろび)の光」
です。この歌に感動した斉藤茂吉が、思わず左千夫の家を訪ねたというエピソードがあります。
左千夫は本所で牛乳搾乳業を営んでいた一般市民でしたが、
正岡子規に弟子入りし、頭角を現しました。
そのためこんな歌も残しています。
「牛飼いが歌読む時に世の中の
新しき歌大いにおこる」(明治33年の作)
韻文学の世界も大きな曲がり角をむかえていた頃のことです。