「貸出と図書館」に対しTBやコメントをいただきありがとうございます。なかなかブログ内という範囲で思いを綴りきれないもどかしさがありますが、日頃考えていることを引き続き記してみたいと思います。
<「貸出」・「予約」の果たした役割って?>
最初に「愚智提衡而立治之至也」さんの「違います」にある「貸出」「予約」が予算獲得の手段であった、という点について。
まあそういう図書館もあったでしょうし、そのこと自体悪いこととは私図書館屋は思いません。むしろ斜に構え、あるいは諦観して財政当局のなすがまま、という図書館が多いのではないでしょうか。こちらの方がはるかに不健全だと思います(もっとも予算がとれるかどうかはdoraさんが書かれているように、別の力学のように思いますが・・・)。
もうひとつ、これは「貸出」「予約」のもつある一面だけの捉え方だと考えます。「貸出」と「予約」の果たした(あるいはもたらした)意味はもっと広範で、多様な価値(負の部分も含め)を持っています。私図書館屋としてはもっと丁寧な分析をしたいと考えています。
<利用者>
「業界によって「利用者」という名の住民が如何にダシに使われてきたことか」と書いてらっしゃいます。これもまあ、ある部分実態でしょう。けれども、運動には表の顔と裏の顔があり、何をどう使い自らの考えを現実化していくのかという戦術の問題があるのではないでしょうか。
確かに、「利用者」のためといいながら、自らの都合で取捨選択した事柄も少なからずあるでしょう。しかし、これもまたある一面でしかないと考えます。住民はもっと強かで、もっと打算的です。
さらに「成熟した市民」という言葉は、私図書館屋は好みません。成熟しているかどうかよりその時代にそこに暮らしている住民に対して物事を考えたいと思うからです。さもないと自らの意見と違う、あるいは進んで意見を述べない住民を「成熟してない」というレッテルで切り捨てることも可能だからです。
もうひとつ、筑波大学の薬袋先生にもままみられる傾向ですが、現在の到達点から見て過去を批判する手法には賛成できません。確かに現在から見てなぜその選択肢を選んだのか、なぜ住民、住民といいながら顔が内側を向いていたのか、という疑問もあるしその批判も簡単ですが、それでは先につながらない。どの選択肢をとるのかということを迫られたまさにその時、何を判断材料にしどのような心の動きでそれを選択したのか、その時点に立ち返り批判をすべきだと考えるからです。
<美術館・博物館・図書館>
次に美術館と博物館と図書館について。生涯学習的には近い存在ですが、美術館・博物館がハレ(非日常)の場であるのに対し、図書館はケ(日常)の場であるという根本的に異なる点があります(「みんなの図書館」2005年12月号の記事については、私図書館屋もこの報告で見る限り、自分だけは助かりたい的発言に読めてしまいますが・・・)。
図書館の中にも「大矢壮一文庫」のように特定の資料に絞って収集する図書館もありますが、この場合図書館ではありますがハレとしての施設ということが出来るかと思います。
一方、資料についてですが、博物館や美術館で扱う資料は例外はあるにしても基本的に現物あるいは希少な物であり、あるいは特定主題などをもとに一塊にすることで価値がでるものです。他方図書館が扱うものは基本的に複製であり、物理的に希少性があるのかどうかを問いません。本や雑誌といった媒体は本来複製することで成立しており、なぜ複製するかといえば中に書いてあることを広めるために複製する訳です。つまり図書館で扱う資料は物理的に見た場合、その本質上消耗品でしかありません。
こういった特徴により、美術館・博物館は民間で経営される場合も多く、それだけノウハウも蓄積されています。それがまた自治体が厳しい状況になった時、いち早く委託の対象となる背景ともなっています。
別の観点から図書館資料を見ます。
図書館資料の特性としては、
1)1冊ずつが貴重であるとともに、塊で存在するということで新たな意味出てくる。
2)人によって貴重さの度合いに大きな差がある。
3)想定外の出会いが意味を持つ。
これが意味するところは、特定の資料の収集とか、少数かつ単独の蔵書では、少なくとも公共図書館としては十分な機能を果たせないということです。図書館はこの3点の理由によって民間では経営が難しく、結果的に図書館を委託するといっても受け手が少ないという事態になる訳です。これは図書館が他の施設-美術館・博物館等-に比べ、委託問題上有利なのかもしれませんが、他の施設に対し優位に立つために「貸出」や「予約」を行なった結果ではありません。その性格上分岐点がここに出来てしまったに過ぎないと考えます。
<この先を見つめて>
「山中湖情報創造館ブログ」さん、TBありがとうございます。
「「貸出至上主義」といっていても、貸出による情報提供サービスを否定しているわけではないし、むしろ、なんで「貸出ばっかりで図書館を評価するんですか?」と、疑問を投げかけているんだと思いますね。じゃぁ、「貸出」以外になにがあるのか..といえば、「レファレンス」と...もごもご...みたいな空気が、図書館界全体が霧の中にあるようで、こうクリアにならないもどかしさがある。」
なるほど、たしかにおしゃるような雰囲気があります。私図書館屋の思うに図書館界の方々はおとなしすぎる。もっとそれぞれが自らの考えを述べあい実践することで「時代閉塞の現状」を打破する方向が見えてくるように思います(手遅れかもしれませんが、やらないよりはまし)。
最後にすみません。「愚智提衡而立治之至也」さん、「山中湖情報創造館ブログ」さん、BOOKMARKさせていただきたいと思いますがいかがでしょうか。一応貼らせていただきますので、もし不要でしたらコメントください。よろしくお願いいたします。
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僕は、やっと数年間かけて、図書館は大きく変わって来ている...と、感じています。かつて日野市立図書館での試みは、それまでの閉鎖的な図書館を一気に、市民の図書館にした運動であったと思いますが、今また、「図書館という有機体」の、次の進化の波が来ているように思います。
過去は過去として、継続すべきは継続し、反省すべきは反省しながら、これからの図書館、何をどうしていけばよいのか、お互いに考えながら実施していきましょうね。
よろしくお願いいたします。