原風景の中でも最も強烈なのは、ご近所の方々でしょう。昔は今ほどご近所と疎遠ではなかったし、私図書館屋の生まれ育ったあたりは典型的な田舎ですから、ご近所との関わりはそれはそれは密接でした。
もっとも、子どもたちにとっては煩わしいご近所付合いというよりも、子どもはみんなの子ども的雰囲気がありましたので、家の中に勝手に入ろうが、納屋の中で遊ぼうが、庭で野球をやろうが、あまり干渉されませんでした。そんな時代、そんな地域の個性的な人々のことを書いてみたいと思います。
まずの登場は次助さんです。私図書館屋の祖母の出里の親戚という、私図書館屋と関係あるんだかないんだかよく判らないのですが、次助さんの家は庭が広いこと、同じ年頃の子どもがいたことなどにより、常に遊びの中心にありました。子どもは4人-たかっちゃん、とっしゃん、ひろくんが男で、女の子は名前を忘れましたがひとり-でした。たかっちゃんは7歳くらい上、とっしゃんは5歳くらい上、ひろくんは3歳くらい下でした。中でもひろくんとは随分遊びました。
次助さんの家は農家で、みかんを中心につくっていました。私図書館屋の家はみかん畑に面していましたので、農薬散布の時などは窓を閉め切らなくてはなりません。ところが次助さんはおおらかで、タオルでマスクする以外あまり気をつかわずじゃぶじゃぶ農薬をかけていました。
次助さんところでは当時牛も飼っていました。1頭だったり2頭だったりするのですが、牛糞を肥料に使う関係で、牛小屋の裏は牛糞を発酵させる牛糞溜になっていました。そして牛糞溜はなんと道路側、すなわち私図書館屋が毎日通る道に面して牛糞溜があったのです。でも不思議と不快感はありませんでした。それが当たり前の風景だったからかもしれません。
野球をやっているとボールがこの牛小屋に入ったり、牛糞溜に落ちたりします。それも度々なのです。なぜかというと、庭で野球をやるとサードのあたりに牛小屋の入口が、牛小屋を飛び越えるとちょうどレフトのあたりに牛糞溜があるからです。ちなみに、ライトにあたる場所には外便所-農家には農作業中すぐトイレができるよう外にも便所があった-の肥溜があり、こちらもまるでボールを招くがごとくその中に入ってしまうのです。
ある時、いつものように牛小屋にボールが転がり込むと、いつもは邪魔くさそうに尻尾を振るだけの黒牛が何を思ったか、そのボールを口に入れてしまったのです。我々が騒いでいるとみかん畑から次助さんが帰ってきました。事情を聴くとおもむろに牛の口に手を差し入れ、喉に引っ掛かっていたボールを取り出してくれました。その後こっぴどく叱られたことはもちろんです。ボールも遠くに投げられてしまいました。まあ怒るのも無理はないのですが・・・。
次助さんはまた政治が好きでした。自分で議員に立候補することはありませんでしたが、その昔かつては副総理として君臨したG藤田氏が地元の選挙区から立候補し、K次米氏と激しく争った時のこと。次助さんはG藤田氏の陣営に入り浸り、地域の選挙参謀のようなことをやっていました。この選挙は、M木武夫直系のK次米氏とT中角栄直系のG藤田氏が代理戦争を繰り広げたので有名ですが、お金が飛び交う汚れた選挙としても有名になってしまいました(結局公認からもれたK次米氏が当選した)。G藤田氏はお金や品物が飛び交ったことを最後まで認めませんでしたが、次助さんは選挙後庭を大改装し、大きくて立派な門扉までつくりました。その庭には、かなり値の張る枝振りのいい松が植えられていたのでした。1973年の秋のことでした。
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