ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

鹿ヶ谷の「安楽寺」の春の特別公開へ。5月下旬までの土・日曜公開中

2018-05-21 | 寺社仏閣

ミモロは、5月の連休明けの日曜日、哲学の道のお散歩に出かけました。「あ、そうだ~安楽寺の公開やってる~」と思い出したミモロは、足を速めて向かいます。
  
「安楽寺」は、浄土宗のお寺。法然上人の弟子の住蓮上人と安楽上人が、現在の位置から東へ1キロほどの鹿ヶ谷に草庵を結び、布教活動をしたのが、寺の始まりといわれます。

新緑に包まれた境内をミモロは、深呼吸しながら歩きます。境内には、ツツジやサツキが植わる庭がありますが、今年はすでに盛りをすぎてしまったよう。キレイに刈りこまれた木々の間を石畳の小路が続いています。

「本堂にお詣りしよう~」とまずは、お清めを…

それから本堂にあがります。ちょうどタイミングよくご住職のお話がはじまったところでした。
ミモロも真剣に聞き入ります。

本堂には、美しい阿弥陀如来像のお姿が…
  

このお寺は、浄土宗にとって歴史的な節目のきっかけとなったところ。
住蓮上人と安楽上人は、法然上人の教えを多くの人に広める活動をしていました。お二人のお話は、多くの人々の心を打ち、出家を希望する人もありました。そんな人々の中に、後鳥羽上皇の女官の19歳の松虫姫と17歳の鈴虫姫がいました。法然の教えに感銘を受けた二人は、仏門に入りたいと望みます。

「え~宮中じゃ、華やかな生活ができたんでしょ?なんで出家したいのかな~」とミモロ。
当時、後鳥羽上皇は、すでにおじさま。ティーンエイジの二人の姫にとっては、行く末に疑問を抱いたのかも…。

熊野詣が大好きだった後鳥羽上皇が、宮中を出て留守の隙をねらい、二人は、夜中に密かに宮中を抜け出し、鹿ヶ谷の草庵へと逃げ込み、出家を願います。

「御所から鹿ヶ谷まで結構距離あるよね~。あんまり運動してないお姫様の足で向かうって大変だったんじゃないの~。牛車でいったのかなぁ~」と想像するミモロ。確かにかなり距離があり、今だって、そこまで歩いて行こうとは思えない距離。しかも夜中・・・「今より真っ暗だったよね~怖いのに~」とミモロ。

二人の上人は、はじめ出家を許しません。でも出家できないと命を落とすとまで言われ、出家を許し、剃髪し法名を授けます。


それを知った後鳥羽上皇は激怒。浄土宗への弾圧が始まります。
出家を許した二人の上人は、それぞれ捕らえられ、斬首されてしまいます。上皇の怒りは、それだけに収まらず、二人の上人の師である法然上人と親鸞聖人をそれぞれ流罪にします。

一方二人の姫は、瀬戸内海の島に流れ、そこで二人の上人の菩提を弔うように、念仏三昧の日々を生涯過ごします。

流罪を許され、讃岐から戻った法然上人は、二人の弟子の菩提を弔うために、荒れ果てた草庵を復興。それがこのお寺なのです。お寺の名は、「住蓮山安楽寺」と二人の弟子の名前に由来するものに。

「なんか可愛そうなお話・・・」としみじみしているミモロです。

現在の本堂は、天文年間(1532~1555)に再建されたもの。
「すごい立派な造りだよね~」とミモロ。その建築の見事さも感激します。

本堂には、法然上人の74歳のお姿と、親鸞聖人35歳の時に、越後に流されるときのお姿といわれる像が安置されています。


このお話は、絵本にもなっていて、ミモロはそれを読んで、さらにしんみり。


御朱印も大人気。

「このお寺広いんだよね~」と廊下を歩き、さらに奥へと進みます。


「あっちの建物も行ってみよう~」


さて、そこでミモロが出会うのは…

*「安楽寺」の詳しい情報はホームページで

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