福知山線は、兵庫県尼崎市の尼崎駅から京都府福知山市の福知山駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(幹線)です。
東海道本線の大阪駅 - 尼崎駅間を含む大阪駅 - 篠山口駅間はアーバンネットワークの路線の一つとなっており「JR宝塚線」で知られています。
阪急電鉄にも宝塚線があるため、混同を避けるために「JR」が付いています。
大阪と山陰地方を結ぶルートの一つであり、かつては山陰地方への長距離列車が多数走っていましたが、現在では大阪と北近畿を結ぶ路線としての意味合いが強く、三田市・篠山市方面から大阪・神戸への通勤・通学路線として成長しています。
事故発生と同時刻には、並行する下り線に、新大阪発城崎温泉行きの特急「北近畿」3号が接近中でしたが、近隣住民の機転により近くの踏切非常ボタンが押したことで、運転士が異常を察知して、およそ100m手前で停車し、二重事故は回避されました。
特急「北近畿」は、新大阪駅から兵庫県丹波地区、京都府北部の福知山市、兵庫県北部の豊岡市の北近畿地区を結ぶ列車でした。
国鉄末期の1986年11月のダイヤ改正で、福知山線宝塚駅 - 福知山駅間・山陰本線福知山駅 - 城崎駅(現在の城崎温泉駅)間の電化に伴い、気動車列車であった特急「まつかぜ」と急行「丹波」「だいせん」(昼行列車のみ)を統合して特急「北近畿」は誕生しました。
この路線は、かなり古くからあったようです。ここで、父の伯父に当たる常治郎一家のその後の話です。
子供を授かっても育たず、ウメちゃんは可愛い一人娘でした。でも、ウメちゃんが5歳のとき、父親はこの世を去りました。祖父の伊之助23歳の時でした。
常治郎が亡くなってから、祖母はフジさんとウメちゃん、残った兄弟と京都に出て、各々働いて家計を支えたようでした。
でも、息子がいなくなってから、以前より仲が良くなかったからか、自ら出たのか、追い出されたのか、わかりませんが、しばらくしてフジさんとウメちゃんは丹後に帰ったそうです。
この時代の出戻りは体裁が悪いから、避けたかったのじゃないかと思うけど、曾祖母も気が強そうな感じなので、あり得るかもしれないです。追い出されたような感じになって、丹後に行ったあとは、フジさんは近くの城崎の温泉街で働いていたようですが、ここで何年か働いて過ごしていましたが体を悪くして、49歳で亡くなってしまいました。うめちゃん、17歳のときでした。うめさんはお母さんが亡くなった後、お母さんの実家を訪ねたそうですが、フジさんもまた、実家でやっと授かった一人娘だったので、他に兄弟もいなくて、フジさんの両親は亡くなってて、フジさんの遠縁の親戚がいたけれど、疎遠だったから「あんたのことは知らない。」って言われてしまったので、仕事をするために大阪に出たそうです。その時、乗って上京したのが、福知山線だったのじゃないか…とも母は言ってました。フジさんが亡くなった年に父が生まれています。血の繋がった祖父の伊之助を頼ってくれたら…と、思います。祖母はキツイけど、この時、曾祖母は大正11年に亡くなっいて、兄の長蔵は38歳で姉のキミは、23歳で亡くなっていたので、ウメさんは血の繋がった貴重な従姉だったのでした。
ウメさん右も左もわからない中で、都会で一人、がんばっていたんだろうなぁ。。でも、本当に男子が短命です。
新大阪駅から京都府北部を結んでいた、新大阪駅 - 天橋立駅間の臨時急行列車「みやづ」は、1996年3月に山陰本線園部駅 - 福知山駅間及びKTR線が電化されたことにより、電車特急化に際して「文殊」に名称を変えて183系電車で運転されていました。文殊は宮津市天橋立にある天橋山智恩寺の本堂「文殊堂」および同所に安置されている本尊の「文殊菩薩」から採られたもので、高速増殖炉「もんじゅ」の由来も同様だそうです。
文殊(もんじゅ)は、JR西日本が新大阪駅 - 天橋立駅間を東海道本線・福知山線(JR宝塚線)・北近畿タンゴ鉄道 (KTR) 宮福線・宮津線経由で運行していた特急列車でした。
北近畿ビッグXネットワークを形成する列車の一つで、車体のイメージカラーは緑色で走行路線の一つであるKTR宮福線沿線に聳え立つ大江山の鬼伝説の中の「青鬼」にちなんで選ばれましたが、それまで運転されていた「文殊」「タンゴエクスプローラー」の福知山線内を吸収して3往復増発し地元自治体などからの要望を受け列車名を「北近畿」から「こうのとり」に変更し2011年3月12日より運転を開始しました。北近畿は25年、文殊は15年経っての改名となりました。
この列車名「コウノトリ」は、兵庫県豊岡市で繁殖が進められていることから、名付けられました。
文殊よりも、「コウノトリ」は可愛いくてよいですね。
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