今日は感じたことを少しだけ。
政局の話はできるだけしないように心がけているのですが、
大きな山場が近いのかな?
と感じるのでたまには政局の話でも。
厚生労働省の女性局長の逮捕は衝撃でした。
桝添さんが語るように働く女性の希望の星の逮捕は残念です。
女性として事務次官への道を只管に駆け上っての躓きは無念でしょう。
何とか元の道に戻れればと感じますが、
レース半ばの挫折は免れそうにありません。
*係長→ 課長(現局長)→部長 →国会議員⇔白山会(凛の会)。
の図式を頭の中に想定する国民が殆どなのだと感じます。
<中間管理職の対場で断ることのできない社内体質。>
があったと考えるのは自然の流れです。
事務次官レースは年功序列型レース。
千葉市の市長のように突然トップに昇格することはありません。
事務次官レースは柵(しがらみ)の中での受託レース。
トップに気に入られなければトップになれない。
だから事務次官レースを闘うためには、
前例主義に徹しますし過去の事例に拘ります。
命令に対する絶対服従。
トップ(直属の上司)の過ちをも受け入れなければ、
組織として立ち行かなくなる。
官僚主義とはそうした内部事情が長年慣例化し、
硬直した独創性の乏しい保守的な自己防衛主義
に走りやすいのでは?と感じます。
さて官僚とは違った立場のトップである国家議員の存在。
選挙に落ちればタダの人?では決してないのですが、
事件の首謀者:白山会に一番近いとされる国会議員の名前
は、Web上に既に多くの記事として存在しています。
報道でも民主党議員とまでは発表されています。
現党首に近いとされるこの議員がもしも事件に係わっているなら、
小沢前党首の秘書官逮捕を超える大スキャンダルになることは確実です。
<またスキャンダルで民意が変わるの?>
いい加減にスキャンダルに振り回されることから、
国民を解放して欲しいと感じます。
私は西松事件の記事の中で、
・主義・主張が明瞭でなく官僚機関に依存する政治機構(国・地方・市町村)。
・情報に敏感になりすぎ自己判断を放棄し大衆同化を是とする個人思考。
・報道や個人を統制せんがため権力主義が見え隠れする公安(行政)。
・個人的な問題が国家の将来を左右しかねない昨今の日和見社会。
・点の視点で面を左右する報道・メディアの動向。
と記しています。
つまり、
国策との関連性が薄い個々の議員のスキャンダル(小さな点)が、
国家を揺るがす事件のように報道されることで、
情報に敏感になっている多くの国民が自分が信じる主義主張を放棄し、
世論の流れに同化し世論の流れに呑まれる個人々々の判断。
国家の将来を左右しかねない小さなスキャンダルに振り回され、
国家の重大事(未来に向けた政策)を見落とす昨今の日和見社会。
また点の視点を面として煽る報道・メディアの動向。
小泉郵政選挙~安部スキャンダル選挙での混沌とした成り行き。
次の選挙はスキャンダルに左右されない、
<政党の思想・主義=政権公約。>
に目を向けた選挙であればと感じます。
現在の姿として目にうつる、
官僚主義の際限のない暴走が顕著に感じる自己保身型行政。
と本来あるべきだろう、
政治(民意の代弁者)主導型行政の各政党の所在位置の確認。
(仮に)逆を真とするならば、
安定した官僚主義による従来型行政の維持と、
民意を無視し私腹を肥やす政治主導型行政の過ち。
理想とすべきは、
民意を聞きながら未来に向けたビジョンを模索する政治機構と
従来の柵に捉われない新しい社会の提案をデザインする官僚機構。
デザインされた雛形を地方の気候、風土、気質等を加えながら、
それぞれの自治体が独自のカラーでアレンジし具現化する努力。
私の理想とする未来社会は、
今の行政体質では何一つ実現できません。
政局を見つめると、
『相手のスキャンダル頼り』の悲しい現実。
スキャンダルは決して点に過ぎない筈なのですが。
(新しく浮上した7月12日説に白山会スキャンダルが見え隠れします。)
また裁判員制度が変わることで、
逮捕の言葉の意味も変えなければなりません。
犯罪者と確定するのは裁判の後であり、
逮捕する側が必ずしも正しいとは限らない事例を、
つい先日のDNA鑑定で目にしたばかりですし、
逮捕されても過去の業績や信頼から起訴猶予になり、
これまでと変わらず復帰した極最近の事例もあります。
~先の事例は同時に被害者の方のやり場のない心の痛みも感じます。
裁判も始まらない前の逮捕=犯罪者の意味と社会的な制裁。
~勿論実況証拠の揃った刑事事件は論外として捉えてください。
そのことは特にメディア報道の方々に深く考えていただきたいと思います。
国政選挙の行方。
点ではない価値基準。
各政党が何を主張し何を行おうとしているのか?
民意をスキャンダルによってコントロールしようとする組織。
その手に乗らず冷静で悔いのない判断を求めます。
相手の小さなスキャンダルに付け込んで、
国政の大事を煙に巻く。
国政の未来のあり方になんのビジョンも持たずに
官僚機構と呼ばれる日本の最高の頭脳集団に
総べての権限を委譲したツケが、
政治家を無力にしました。
言いなり行政。
現政権と我国の最高指導者を見る庶民の目。
その事に気付かず盟友を切り捨て墓穴を掘りました。
真水の大規模補正予算(電気・自動車)は項を奏したのですが、
真水以外の従来型案件の垂れ流しのような容認(霞ヶ関バブル)。
この事実を直感的に感じて庶民は怒っているのでしょう。
一票の重みは民主主義社会にとって、
国のトップも国の底辺も同じです。
民意の代弁者であるべき筈の政治家が、
官僚主義の僕となったと感じる昨今、
多くの庶民が憤りを覚えるのは仕方がないのかも?
でも多くの行政担当者の方々の国を思う姿勢や、
不夜城と化し仕事一筋に打ち込む毎日を伝え聞くと、
天下りしたいと願う気持ちも理解できないではありません。
そのための変化を官僚組織の中に導入し、
最高の頭脳が自己保身と出世競争に固執せず、
縦割りと言われる省庁の風通しを良くし、
能力のあるものには次々と独自案件を委ねる。
新しい挑戦は官僚改革から始めなければなりません。
私達庶民の政局は、
自己防衛に満ちた現行政治のような、
愚かモノであってはなりません。
<選挙に落ちればタダの人。>
そんなツマラナイ人生しか想定できない人に、
正しい政治が務まる訳がありません。
<人を導くには人を導く器がある。>
器のないと感じる人は政治家に向きません。
政治家である前に器を身につける。
そんな人物を選びたいものです。
と、
今日は○○さんにならって「私の正義」を述べてみました。
おしまい。
少しだけのはずが、
いつものことだけど長くなってしまう。
明日は出張なのに…。
で明日の夜はお休みします。
おやすみなさい。
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