mimi-fuku通信

このブログを通して読み手の皆様のmimiにfukuが届けられることを願っています。

【彫金家・正阿弥勝義の時代に学ぶ】:21世紀の工業製品の未来像。

2011-05-27 00:30:00 | 経済・産業・mono

 NHK-BSプレミアムで3回シリーズで放送された明治時代の名工達。
 シリーズ第3回は日本の最先端技術のルーツとなるだろう金属工芸を紹介。
 既に放送された番組ですが再放送が予定されているので是非ご覧ください。 

 『金属に刻んだ一瞬:彫金家・正阿弥勝義』
 ^NKK-BSp:2011年5月28日(土)午後0時~午後0時58分(再放送)

 興味深い番組だった。
 正阿弥勝義(しょうあみ かつよし)は、
 1831年:津山藩の金工師:8代目中川勝継の3男として生まれ家業の金工技術を学び、
 1849年:18歳の時に備前藩のお抱えの金工師:
正阿弥家9代として迎えられる。
 1876年:明治の廃刀令により刀の工作細工は不要となり失業。
 その後は極貧生活の中で技術の研鑽に励みながら販路を求め時代の変化を待ち、
 国家が輸出産業としての工芸に目を向けたことで再び脚光を浴びるものの、
 自身は国内の需要に専念し限られたスポンサー(パトロン)との交流を重んじた。
 *資料:世紀の祭典:万国博覧会の美術・展覧会図録参照。

 以前にもブログ内で何度か文字にした、
 *桃山時代の国際交流(=南蛮交易)と、
 *明治維新の国際交流(=万国博の時代)に於いて、
 日本の輸出産業の花形となった工芸品の数々。
 少しだけ、
 過去の記事を振り返りながら“おさらい”したい。

 *****

 “交換すべき物を持つ=交換できる製品を持つ”

 桃山時代、明治維新と世界が驚嘆した日本文化の華は、
 西洋人にとって、
 
攻め落とすよりも利用すべきとの思惑”
 が働いたのではないかと考えられる。

 仮に日本人が野蛮な国民と西洋人の目にうつり、
 仮に日本に豪華絢爛で細密精緻な文化がなく、
 資源(鉱石・原料)が豊富な国土だとすれば、
 大航海の時代にも他国から侵略されていたかも知れない。
 ~日本の文化史を語る上で隋・唐・宋(現代の中国)との交流
を、
   切り離す事はできないがそれは別の機会に文字にしたい。

 特に桃山時代(=信長・秀吉の時代)の漆工芸品は南蛮交易において、
 為替や貨幣が確立されていない時代の世界貿易の交換品(物々交換)として、
 大航海時代のヨーロッパに紹介・交換され世界へ流通していく。
 時代の移り変わりの中でも交換された日本の精密工芸の技術は、
 “日本の産業技術に対する高い信頼と評価”
 を生み出しその後の世界の工場としての日本の位置付けを形作った
 
 またパトロン(時の権力者)がいた時代には、 
 権力の贅沢(=徹底した要求)は一見すると無駄遣いのようにも見えるが、
 権力者達が職人達の研鑽に対し出費を惜しまなかったことで、
 明治の開国の折に“世界に対し交換すべき物品”を提示することができた。

 幕末に失業したのは刀剣(主に刀の装飾)の金工師(金属加工)ばかりでなく、

 幕藩体制の消滅は多種多様な“お抱え職人”が仕事を失った時代でもあった。
 しかし、
 不要とされた精密細工に再び光をあてた国際博覧会への出品(提出)は、
 世界のコレクター達の羨望の眼差しを浴び日本の近代化の礎を築いた。
 *この時代加賀百万石(金沢)お抱えの職人の多くが貿易港横浜近辺へと移住した。

 ただし、
 明治時代に世界に注目された細密加工技術の生産量は希少であり、
 更に限られた人間にしか到達できない技術の競争は高価を極め、
 近代日本は工業
化(大量生産)を目指し驀進するに至った。

 *****

 では現代はどうだろう。
 ~これも過去の記事を参照すると~

 江戸や明治の時代とは違い現代社会は1ヵ月決済であり、
 パトロン(大名・資産家等=買上げの確約)のいない現代では

 膨大な時間や手間をかけた仕事はできない。

 さらに、
 現代の消費行動は“自分や家族のための消費行動”が主流を占め
 子々孫々までを考えての消費行動は豊潤な現代社会では望まれないし、
 21世紀の情報化社会は物を見る価値観さえも変えてしまい、
 3年後、5年後、10年後、住宅の耐久年数すら約30年が指標となり、
 安価大量消費社会は“ゴミを作る”ことを前提に推進され、
 3年後、5年後、10年後、30年後にゴミになる(捨てられる)事で、
 新たな購買意欲(=必然的耐久力不足)が促進される仕組みをつくった。

 また
 “安価で安直な大衆消費財”を
 アジア諸国からの製品輸入を率先した国家戦略は、
 *国家の手による国家の知的財産の流出。
 グローバル経済推進の旗頭の下に行われ、
 バブル経済崩壊後に、
 官僚(国家行政)機構の誘導で行われたと考えられる、
 *一極集中(=地方経済への黒船進出と富の集中)と、
 *安価大量販売(=コスト削減努力と合理化・合併)は、
 日本の税収悪化(=儲からないシステムの構築)と、
 取り返しのつかない借金を国民に背負わせた。
 *あくまでも偏った見方ではあるが。
  
 *****

 【本題:21世紀の工業製品】

 タイトルである、
 『工業製品の未来像』のキーワードとしての
 “交換すべき物を持つ=交換できる製品を持つ”
 について考えてみたい。

 資源(鉱石・原料・燃料)の少ない日本が世界のG8(主要先進国)に位置する理由。
 昨年中国にGDP(国内総生産)で追抜かれたとは言え世界の第3位に位置する理由。
 2つの理由として挙げられる、
 戦後の世界をリードし続けたアメリカとの友好と日本国民の勤勉。
 しかし、
 2つの理由以上に指摘すべき事例は、
 国民の教育(思考)レベル&豊かな自然(四季)&古きよき伝統(伝承)。
 
 テレビ番組:『シリーズ・いのち映す超絶工芸』を見終えて感じた、
 この国に残された伝統的な職人文化の意気と華こそが、
 今尚この国が先進国であるべき理由と考えられる。

 金属工芸は奈良の昔(白鳳時代)から国内でも高度な技術が現代に伝えられ、
 3~4世紀には中国・朝鮮からも海を渡って金銀の装飾品などが伝えられた。
 特に、
 正倉院に伝わる唐時代の金工技術は世界史の頂点
 
を極める物も多く見られ(金工だけに限らず)、
 日本の技術は“お手本”を独自に模倣しながらも急速に発展。
 平安~鎌倉期には、
 衰退していく中国の工芸技術に並ぶような独創的作品も誕生。
 そうした技術は1ヶ所に留まらず国内各地に広まった。
 *代表例としての岩手県・中尊寺の宝物群。

 また特筆すべきは信長の時代。
 種子島と呼ばれる西洋の鉄砲を早くから国内で生産。
 技術開発(製品開発)には世界に一歩及ばぬものの、
 工業生産技術は古くから世界の一流国であったようだ。

 “(世界を相手に)交換すべき物を持つ=交換できる製品を持つ”
 は近年の革命的なデジタル技術の発達により、
 教育レベルや辛抱強さと言った日本人の得意分野を飛び越え、
 プログラムされれば誰にでも生産できる環境を創造したことで、
 発展途上国の多くが新興国として成長しG20の新たな枠組みができた。
 *それは先進国の勝利であると同時に大きな敗北の要因とも成り得る。

 日本の得意分野としての生産技術を脅かす存在に成長したG20の枠組み。
 *G20について述べる事は環境問題・パワーバランス・新しい秩序でもある。
 逆に日本にとっての新たな貿易チャンスとなるだろうG20と今後の新興国の存在。

 “交換すべき物を持つ=交換できる製品を持つ”
 の目標として世界の一流国としての日本の立場の堅持。
 それはいつの時代も変わらずに、
 “安心と安全とステイタス”
 でなければならないと思うし、
 最先端を歩み続けた先進国日本は、
 いつ
の時代もアジアの目標(手本)であるべきだ。
 *その意味でも世界はフクシマに注目している。

 世界市民が使用したいと思う一流の製品作り。
 私達(多くの男達)が1980年代には、
 ベンツに憧れ、JBLに憧れ、リーバイスに憧れ、洋酒(スコッチ)に憧れた時代。
 勿論2011年の今でも、
 ポルシェに憧れ、スイスの機械式時計に憧れ、英国製の男性靴に憧れを持つ。
 *憧れについては人其々だが現代の日本人は物への憧れが希薄になっている。

 新興国の国民にとっての憧れとは何か?
 国際競争力を保つための価格競争は当然の事として必要であり、
 今後も日本企業の海外進出を否定する立場ではないが、
 日本国内で流通しながらも世界に流通していない一流の品物の育成。
 *日本文化の見直しと日本文化を売る必要性(=日本人がアメリカに憧れたように)。

 そのためにも、
 日本国民がモノの価値観を今一度考え直す必要性。
 その答えのヒントが、
 正阿弥勝義の歩んだ人生や時代(明治)にも垣間見える。
 *貧しさの中での向上心(求道)と日々の研鑽(情熱)。

 3年後、5年後、10年後、住宅の耐久年数すら約30年が指標となり、
 安価大量消費社会は“ゴミを作る”ことを前提に推進され、
 3年後、5年後、10年後、30年後にゴミになる(捨てられる)事で、
 新たな購買意欲(=必然的耐久力不足)が促進される仕組みをつくった。

 を見直すための新たな工業製品の模索と研究。
 見栄えは同じようでも耐久性の高い商品作り。
 *理想としての完璧を目指す姿勢と企業努力。

 “壊れなければ新しいものは売れない”
 をいつまでも続けて良い理由がないし、
 環境と安全を保持するためにモノを大切にする心。

 21世紀の工業製品。
 環境問題を叫びながらも商品寿命の短いモノ造りを続ける世界の常識。
 必要の有無に係わらず煽ることで成立する可笑しな流行と商品売買。
 本物を見つめる目と本物に拘らない(拘れない)大衆心理。

 日本の安価志向は、
 国家行政が推進した合理主義の成れの果てと考えるが、
 世界が欲しがるだろう“本物の商品”とは何か?

 グローバル経済を支えるための海外進出と、
 国内消費を押し上げるべき、
 高値でも取引できる商品開発(技術の研鑽)。

 “世界が憧れるモノ造り”

 “ゴミにならないモノ造り”

 それは“絵に描いた餅”に過ぎないのだろうか?
 しかし、
 正阿弥勝義の生きた時代の気概を失わなければ、
 伝統や風土を共有する日本人が底辺を這いずる理由はない。

 壁に打ち当たった時は
過去に学べ。
 日本には学ぶべき過去が多くある。


 ~以下NHKホームページより記事転載。

 【極上美の饗宴:いのち映す超絶工芸(3回シリーズ)】

 明治時代。
 欧米に工業化で遅れを取っていた日本が海外に輸出できる、
 数少ない品目として力を入れていたのが工芸品。
 超絶技巧と卓越した表現は世界の人々を驚かせた。
 シリーズ“いのち映す超絶工芸”では、
 その究極の美を掘り起こす。

 『金属に刻んだ一瞬:彫金家・正阿弥勝義(第3回)』
 ~NKK-BSp:2011年5月23日(月)午後9時00分~10時00分

 こちらに飛びかからんばかりのカマキリ。
 鳴き声が聞こえてきそうなセミ。
 金属とは思えないほどリアルな生き物を作ったのは明治の彫金家・正阿弥勝義。
 タガネと呼ばれる道具を駆使した超細密描写は世界を驚かせた。
 勝義は幕末、
 刀の金属に装飾を施す仕事で生きてきたが40代半ばのとき明治の廃刀令で職を失う。
 逆境からの再出発。
 前代未聞の表現を求めた果てに辿り着いた技の秘密を探りながらその人生を追う。

 『色彩めぐる小宇宙:七宝家・並河靖之(第2回)』
 ~NKK-BSp:2011年5月16日(月)午後9時00分~9時58分

 明治の七宝家・並河靖之。
 金属の素地に釉薬で彩色し焼成する七宝は3000年以上の歴史を持つ。
 なかでも日本の自然の色彩の移ろいを繊細に表現した並河の作品は最高峰とされる。
 葉の一枚一枚まで微妙に異なる色のグラデーション。
 花や鳥を縁取る緻密で表情豊かな線。
 それらを際立たせる漆黒の背景。
 一代限りで受け継がれなかった並河の幻の技の秘密とその生涯を探る。

 『生き物が踊る器:陶芸家・宮川香山(第1回』
 ~NKK-BSp:2011年5月2日(月)午後9時00分~9時58分

 陶芸家・宮川香山。
 器に張りつく巨大な蟹など、
 今にも動き出しそうなリアルな造形を特徴とした作品は、
 現代では再現不可能といわれる。
 香山の創作の秘密と人生に迫る。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« お休み前の無造作な文書は、... | トップ | 【週末の台風2号(2011年)... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

経済・産業・mono」カテゴリの最新記事