一昨晩(おととい)の記事、
“雨音を楽しむ:日本文化(日本人の精神)と音の関係”
は文字にしていて思いの外に楽しかった。
文末の言葉となった、
粋人達は求める道具(モノ)
粋人達の道具(モノ)に対するこだわりは職人魂を刺激した。
は本文の書き出しには考えてもいない結論だった。
では粋人とは何だろう。
広辞苑で調べると粋人=すいじんと読む。
“粋人=すいじん”の意味は、
~風雅を好む人。世態、人情に通じた人。
粋の漢字を当ブログではこれまで粋(いき)と読んできた。
“粋=いき”の意味は、
~意気から転じ気持ちや身なりがさっぱりした様子。
~人情の表裏に通じ、特に遊里・遊興に精通していること。
~反対語は野暮(やぼ)。
“粋=すい”の意味は、
~まじりけのないこと。
~すぐれたもの。
~人情に通じ物分りがよいこと。
~反対語は無粋(ぶすい)。
粋の文字に秘められた言葉の意味。
では粋人で解説されている、
“風雅=ふうが”とはどんな意味があるのだろう。
~詩歌、文書の道、文藝。
~広義に詩歌、連俳、絵、茶。
~雅なこと、俗でないこと、風流。
さらに、
“人情=にんじょう”の意味を調べると
~自然に備わる人間の愛情、いつくしみ、なさけ。
~人心の自然の動き。
粋(すい)に関連した言葉で通(つう)がある。
“粋や通”は趣味人を表わす言葉として使われることが多い。
そこで粋に通じた
“通=つう”の意味を調べてみると、
~ある物事について知り尽くしていること。
~人情や花柳界の事情をよく知り、さばけていて、野暮でない人。
となる。
通には通人との言葉もあり、
“通人=つうじん”の意味は、
~世間の物事をよく知る人。
~人情の機微に通じた人。
となる。
上記の言葉の説明は一昨日の記事中の、
現代社会における“使い捨て文化”に潤いがないと感じる理由は、
日本文化の源流だった風流や粋(いき)の文化(精神)を、
日本人が捨て去ったからなのだろう。
との私の拙文の言葉の真意を確認するための作業だった。
粋人(すいじん)達は求める道具(モノ)にお金を惜しまずつぎ込み、
粋人達の道具(モノ)に対するこだわりは職人魂を刺激した。
の意味を私は“技術革新の源泉である”と文字にした。
使い捨て文化(社会)の中にモノ(道具)に対する愛情を感じることはできない。
我国に残されている歴史を紐解いて見ても所有者の道具に対する愛着と、
供給すべき職人達の道具にそそぐ情熱は並大抵のものではない。
歴史上の偉人や粋人達はモノに生命を与えるべく職人達を育てた。
実例は枚挙に暇はなく、
織田信長や豊臣秀吉は各地に城を建て<狩野一族>を重用し、
徳川(三代)家光は<東照宮>や<初音の調度>を世に残し、
権力者の飽くなき欲望は職人達に完全・完璧を求めた。
~時代々々の権力者達の心の動きを粋(いき)とは決して呼ばない。
しかし注文者の希望に応えるべく研鑽した職人達の心意気=粋(いき)。
残された優れた文物は後の職人達に大きな刺激と自信を与え続けた。
時の権力の贅沢は一見すると無駄遣いのようにも見えるが、
権力者達が職人達の研鑽に対し出費を惜しまなかったことで、
明治の開国の折に<世界に対し交換すべき物品>を提示することができた。
~万国博覧会での日本の技術に対する高い評価とその後の貿易。
“戦国の世”の後の“太平の世”では庶民の暮らしにも潤いが与えられ、
文化の発展(庶民の暮らし)は街中の職人のレベルをも高めたと考えられる。
粋(いき)の文化とは天下泰平の世の都(特に江戸)で咲いた、
“庶民達の助け合う心意気”が根底にあるのだろう。
地方での農民の暮らしは相変わらずの貧困に喘いだと考えられるが、
京の都や江戸の町での<洛中図>に見られる暮らしは明るく楽しい。
日本の(名のある)家系では脈々と道具(モノ)を末代に伝える慣習があった。
先祖代々が口にした一碗の茶碗を現存する家族で茶を楽しむ文化。
昨今では父親が高級な機械式腕時計を息子に託す例も増えていると聞く。
元々は着物や箪笥等の生活用品も末代のためにと大切に保管(形見分け)され、
裕福な家系の人心は今の幸福だけでなく“末代の幸福”すらも考慮に入れた。
現在の“場当たり的な合理主義”の対極にある、
日本人にとって粋(すい)とは、
少しだけ自分の思いを我慢しても、
他人の幸せを考慮に入れる心意気。
だと私は考える。
話を戻そう。
粋人(すいじん)達は求める道具(モノ)にお金を惜しまずつぎ込み、
粋人達の道具(モノ)に対するこだわりは職人魂を刺激した。
適材に適当の報酬を与える=正当な代価を市場が熟慮する。
であり、
そうでなければ市場経済に潤いを齎すことはできない。
2010年:我国のデフレ事情の問題は個(自分)を中心とする野暮の蔓延。
・自国や地元に関係なく1円でも安くモノを手に入れたいと考える個人心理。
・物品を保持せず“安価なら買い替えれば良い”との安易な購買行動。
・他人が儲けることは許さない=自分が儲かることも許されない。
等の考えは<天に向かって吐くツバ>のようなものだろう。
粋人や通人と呼ばれる人達の思考は、
・人と人との係わりを重んじ多少の数字(価格)の違いには気にも留めない。
・物品を手に入れる時には吟味するも手に入れた物品は末永く寵愛する。
・人に施しをする心意気は何れ自分の身に恩恵を与える事実を熟知している。
となるのだろうか?
さらに、
・お金(すうじ)に対する個人の過剰な防衛反応。
・公共に対する見境のない支援の要望。
・公金の私的流用性の高い行政行動(公金の私物化)。
等は末代(未来)を不幸にする野暮の極致だと感じる。
“粋(すい)の意味”とは、
少しだけ自分の幸福(思い)を我慢しても、
他人の幸福(環境)を考慮に入れる心意気。
さらに、
今現在の身の回りの幸福(生活)を追求するだけでなく、
少しだけ未来永劫・末代の幸福(平安)を考慮すること。
つまり、
粋(いき)とは公共性を重んじる庶民行動のことで、
野暮(やぼ)とは自分中心にモノを見る着眼と行動。
で言葉の意味が通じるのではないかと思う。
本文には敢えて触れなかった、
粋(いき)に纏わる“男女の機微”も言い変えれば情の有無に係わる。
情(じょう=なさけ)とは“人と人との結び付き”のことであり、
人心に備わるべき他人への配慮に乏しければ、
“野暮な御仁”と呼ばれても致し方ないのではないか?
今日は“そんな、こんな”を文字にした。
<ブログ内:関連記事>
5)『粋(いき)と野暮(やぼ)』を学習し『日本人気質』を探求する。
→ http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/500a0fa9ad7b12bd8220d7529e6cc56c
4)『九鬼周造著:いきの構造』を読み『粋(いき)な行動』を学ぶ。
→ http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/5fcc2e1fe15aef11caf2928e01154f03
3)白洲次郎の伊達(だて)と白洲正子の粋(すい)を観る。
→ http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/379e8178c29d7983d922f9effa5c827e
1)『雨音を楽しむ』:日本文化(日本人の精神)と音の関係。
→ http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/f9ef76c825dfaeedd837ff7ac9dff246