mimi-fuku通信

このブログを通して読み手の皆様のmimiにfukuが届けられることを願っています。

【男の美学】:チャボ×渋谷陽一&三沢光晴×市瀬英俊。

2009-06-22 23:58:00 | 芸能・スポーツ


 http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20090621 ←の続き。
 
 昨日タイプできなかったことを補足して。

 ロッキング・オンの、
 チャボ(仲井戸麗市さん)と渋谷陽一さんとのインタビュー記事。
 対談を読んでみるとボソボソと話し言葉が続き???って方も多いかも。
 普段は男性とか女性とか性別分けして文書にしないよう気をつけているけど、
 2人の会話は男同士でしかありえないでしょって。
 『ロッキング・オン・ジャパン』:忌野清志郎追悼号188pの
 「なっ?渋谷な?…」
 この言葉は来た。
 (前後の話は買って読んでね。)
 
 チャボはテレビのインタビューは一切受けなかったと思う。
 テレビ局がインタビューしなかったんじゃなくて、
 インタビューしても受けなかった。
 この渋谷陽一さんとのインタビューを読んでそう思った。
 「一言で語れるかよ、馬鹿やろ~。」

 「なっ?渋谷な?…」は確認作業。
 <死んでねえよな。>って確認と、
 <カッコイイ生き方だったよな。>の確認。
 自分でも(その死の答えを)出してないのに何言えんのよ?

 「なっ?渋谷な?…」は信頼の証なんだよな。
 インタビュアーの性格から癖を知り尽くしたチャボの安心。
 「お前なら言ってやってもいいよ。」
 そんなことを感じた。
 いきなりマイク向けられて何言ってんだよ。
 <悲しいね、悔しいね>で終わらせられんのか?

 『ロッキング・オン・ジャパン』:忌野清志郎追悼号、
 泉谷しげるさんのインタビュー。
 「清志郎のことが好きなら悲しんでばかりいないで、
 清志郎を生かし続けろよ!」

 家人が、
 「死んだ人を死んでないって相変わらずね。」
 なんて言っていたけど悲しむ前に、
 「清志郎が伝えようとしたことを生かしきろや!」
 そんな意味だと思う。
 <肉体は死んでも魂(清志郎の本懐)は死なず。>
 チャボのインタビュー読んでいてプロとしての自覚って言うか、
 渋谷さんの言葉で、
 「清志郎はチャボには、<歌え>って言ってるだろうし、
 俺にも本書けって、<なんだ追悼号のひとつもだせねぇのか>って。」
 深いよな~。
 チャボは渋いし、渋谷はカッコイイし。


 で同じ事を感じたのが三沢光晴さん死後の『ノアの興行』決行。
 ・ファンを裏切らない姿勢。
 ・全員が使命感とプロ意識を持って仕事に励む。
 だから休まなかった。
 泉谷流に言うと
 「三沢を生かし続けろ!」

 休んで悲しみにふけっていても何も残らない。
 待ってるファンが会場に足を運ぶことで三沢の死を受け入れる。
 その三沢イズム(理想のプロレス)を継承してこそ三沢が浮かばれる。
 だから、
 「火を消すな。」

 やんちゃな言葉だけど、
 <生かし続けろ!>
 それが男の美学なんだろうね。
 そう言えば三沢さんと幾多の名勝負を残し一番繫がりが深いと思われる、
 小橋健太選手もチャボ同様に正式なコメントは発表してないように思う。
 悲しみが深すぎる。

 市瀬英俊さんをご存知の方は少ないと思う。
 週刊プロレスの全日本プロレス担当記者を長くつとめ、
 超世代軍~四天王時代の全日黄金時代を支えた記者。
 市瀬さんの理路整然かつ情熱的な記事はプロレスを見る視点を変えた。
 三沢さんらがプロレスに革命をもたらした時に文字で援護した立役者。

 石川県では今日発売の、
 週刊プロレス・緊急追悼特集号:『三沢光晴緑の軌跡』
 
で懐かしいお名前を多数拝見。
 市瀬さんをはじめ、宍倉さん、佐藤さん、ゴング誌の小佐野さん。
 ペンを持っていつも戦っていた戦士達。
 『紙のプロレス』なる言葉。
 イメージを膨らませることでプロレスを楽しむ輩も多くいた。

 市瀬さんの記事の一説
 「長年にわたる激闘の積み重ねによって皮膚の内側では、
 傷ついた無数の細胞が悲鳴を上げている。
 だが三沢選手はいつものようにそれらの細胞の口を心で封じ、
 観衆の三沢コールに耳を傾けた。」

 溜息が出るような文章(上手い!)。
 素人の私には絶対に書けないプロの言葉。

 ボクは誰がなんと言おうと市瀬さんのレポートを認めていたし、
 三沢さんの気になるインタビューは市瀬さんが担当することが多かった。
 (それに馬場さんのお気に入りの記者さんだった。)
 
http://www.sportsclick.jp/magazine/pro_wrestling/080801b/index.html

 あと若林健治アナウンサー。
 熱い実況と心意気は好きだった。
 
 言葉にするに尽きない1990年代のプロレス。
 1980年代も1970年代もプロレスはいつも面白かったけど、
 品質を高め曖昧さを取り除いた努力に、
 1990年代の隆盛を見る。
 
 1990年代初頭の超世代軍のドラマチックな成長物語を、
 一部のファンの間でしか共有できなかったことの悔しさ。
 それを見つめた子供達の心に植えつけられた勇気。
 
 「たら、れば、を言っても仕方ないよ。」
 三沢光晴の声が聞こえる。


 【追記:6月23日夜】

 昨日の補足をもう少しだけ。
 週刊プロレス・緊急追悼特集号:『三沢光晴緑の軌跡』の記事で、
 週刊ゴング元編集長の小佐野景浩さんのコラム。
 「SWS騒動の諸事情により全日本の取材を拒否された時期に三沢さんだけは、
 <プライベートで誰と飲んでいようと他人にとやかく言われる筋合いはない。>
 と受け入れてくれた。三沢さんの行きつけのお店に顔を出し一緒に飲んでいた。
 個人的には仕事抜きのこの時代が一番楽しかった。」
 今では休刊(廃刊)中のライバル誌『週刊ゴング』の元編集長のコラムを、
 掲載した週刊プロレス編集長の度量の大きさ。
 プロレス界の温かさを物語るコラムだと感じる。

 『ロッキング・オン・ジャパン』:忌野清志郎追悼号189p:チャボの言葉。
 「梅津(サックス奏者)くんがさ、
 <チャボと清志郎が今、逆の立場だったら清志郎はギンギンやってる。>
 <だからチャボ、今日のステージ頑張って。>
 そりゃステージ貫徹しなくっちゃ。
 俺は清志郎に捧ぐっていう…。」

 驚くことは音楽(文化)の世界もプロレス(スポーツ)の世界も、
 仕事師としての死に対する捉え方が同じだということ。
 昨晩後楽園ホールでノアのシリーズ最終戦の試合があって、
 小橋健太選手が初めて口を開いた。
 「これまでのプロレス、三沢さんのプロレス道を邁進(継承)したい。
 前に行くしかないし、進んでいかないといけない。」

 男の美学(本懐)。
 そんな言葉を思い出した。


 【追記:6月24日夜】

 6月24日の朝。
 ようやく地元のコンビニで中京(東京)スポーツ発行の
 三沢光晴追悼号『語り継げエメラルド伝説』を手に入れた。
 思っていた以上の渾身の出来に驚きもしたし嬉しかった。
 本気になれば東スポもやるじゃないか(笑)。
 総力取材と銘打つだけあって24ページと少ないスペースの中で、
 プロレス・ファンでなくても解りやすい紙面だったように思う。
 特に19~21pの『本紙記者が追む』と題されたそれぞれのコラムは秀逸。
 三沢光晴さんの人と成りを見事に捉えており、
 等身大の三沢像を知ることができた。
 強くてクレバーで思いやりがあり、ちょっとエッチな三沢光晴像。
 中でも<新聞記者の心得を教えてくれた>は必読。

 新聞や雑誌のプロ記者の文書の重みは推測ではない体験談であること。
 そんなことを感じさせる記者しか知りえない内容になっていた。
 男達は本気になって文字による三沢魂を永遠に残した。
 本紙は、私の中での永久保存版になる。
 


 ~以下Web記事転載:再編集。

 *聖地:後楽園/ 小橋健太心境を語る(スポーツ・ニッポン)。

 
http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2009/06/23/01.html

 ノアは22日プロレスの聖地・後楽園ホールでの大会を開催した。
 館内には献花台が設置され集まった2100人のファンが、
 三沢さんへのお別れをした。
 試合開始前には1分間の黙とう。
 時折、女性のすすり泣きと嗚咽(おえつ)が漏れる。
 三沢さんのテーマ曲「スパルタンX」が流れると、
 絶叫に近い三沢コールと拍手がわき起こった。

 試合後には沈黙を守っていた小橋建太(42)が、
 三沢さんの「プロレス道」を継承することを誓った。
 試合後、小橋選手は
 「全試合終了してから話そうと思った。
 三沢さんとの思い出はいっぱいあって答えられない。」
 と声を詰まらせた。
 「斎藤も三沢さんも全力で戦った結果で誰も責められない。
 三沢さんは追いかける目標でとても大きな存在だった」。
 目を真っ赤にしながら絞り出すような声で話した。

 三沢さんの突然の死は小橋にとって受け入れ難いショックだった。
 2006年6月に腎臓がんの手術を受けた時も、
 昨年9月に両ひじと両ひざの手術を受けた際にも、
 「しっかり治してから復帰しろ。」
 と励ましてくれたのは三沢さんだった。
 だが、そんな三沢さんはもういない。

 試合後、無人のリングに何本もの緑の紙テープが投げ込まれ、
 三沢コールと拍手が続いた。
 温かい歓声を聞きながら小橋は、
 「これまでのプロレス、三沢さんのプロレス道をまい進したい。
 前に行くしかないし、進んでいかないといけない。」
 と決意を新たにした。
 もう悲しんでいる暇はない。
 小橋には亡き三沢さんに代わる看板選手として、
 ノアを背負っていく責任がある。
 (2009年6月23日:スポーツニッポン記事転載)

 
 <ブログ内:関連記事>
 
*追悼:RCサクセション・忌野清志郎さん死去(2009年5月2日)。
  http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/e4aba9f08235d3260885583e53876b26

 *訃報:プロレス団体ノア代表:三沢光春さん死去(2009年6月13日)。
 http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/374d6f0d7195c6ef96eb7e8486cee1d1


 

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台風3号(リンファ)2009年6月。

2009-06-22 21:45:00 | 台風関連

  
 *台風第3号 (リンファ)
 http://www.jma.go.jp/jp/typh/0903.html


 <22日15時の実況>

 大きさ -
 強さ -
 熱帯低気圧
 存在地域 華中
 中心位置 北緯 27度00分/東経 120度00分
 進行方向、速さ 北東 30km/h(15kt)
 中心気圧 998hPa

 台風3号は今日の午後に熱帯低気圧に変わりました。
 全国的に梅雨前線による大雨に注意が必要です。


 <21日18時の実況>

 大きさ -
 強さ -
 存在地域 台湾海峡
 中心位置 北緯 23度50分/東経 118度25分
 進行方向、速さ 北 15km/h(9kt)
 中心気圧 985hPa
 中心付近の最大風速 25m/s(50kt)
 最大瞬間風速 35m/s(70kt)
 15m/s以上の強風域 南東側 300km/北西側 190km

 台風3号は台湾海峡に位置し勢力を弱めながら大陸に上陸する予報です。
 弱い勢力ながらコースとしては安心できる状態ではなく、
 上陸地域では強い風雨にさらられ水害の被害も心配されます。
 石川県では4日前から気温が上がり昨日~今日にかけて32~24℃。
 異常な暑さは台風3号から吹き込む南風の影響かと推測できます。
 湿度の多い不快指数の高い状態は1~2日続きそうで、
 明日の日本海側は強い雨の1日。
 梅雨もいよいよ本番のようです。

 <台風の被害>
 台風3号「リンファ」が21日夜に中国東南部の福建省の晋江市に上陸。
 この影響で福建省全省では22日、暴風雨に見舞われました。
 大まかな統計によります22日の12時までに福建省の三つの市と12の県の、
 20万人あまりが被害を受け1人が行方不明ということです。
 また農作物の被害面積は3万ヘクタールあまりとなっています。
 (中国国際放送:2009年6月21日/記事転載)



 <20日18時の実況>

 大きさ -
 強さ -
 存在地域 南シナ海北部
 中心位置 北緯 20度50分/東経 117度20分
 進行方向、速さ 北北東 ゆっくり
 中心気圧 975hPa
 中心付近の最大風速 30m/s(60kt)
 最大瞬間風速 45m/s(85kt)
 25m/s以上の暴風域 全域 70km(40NM)
 15m/s以上の強風域 南側 370km(200NM) :北側 220km(120NM)

 台風3号は当初の予報よりも勢力を強め北東に向かっています。
 早ければ明後日(22日未明)にも中国南部~台湾海峡に接近し、
 暴風域をともなって上陸する可能性も示唆されます。


 <19日18時の実況>

 大きさ -
 強さ -
 存在地域 南シナ海北部
 中心位置 北緯 18度50分/東経 117度25分
  進行方向、速さ 北 20km/h(11kt)
 中心気圧 990hPa
 中心付近の最大風速 23m/s(45kt)
 最大瞬間風速 35m/s(65kt)
 15m/s以上の強風域 南側 300km(160NM):北側 220km(120NM)

 *昨日の予報とは違い北向きへの進路が濃厚との予報です。
 今後も勢力の拡大はなくゆっくりと大陸へと進路を進めそうです。


 <18日18時の実況>

 大きさ -
 強さ -
 存在地域 南シナ海
 中心位置 北緯 17度35分:東経 116度20分(116.3度)
 進行方向、速さ ほとんど停滞 
 中心気圧 994hPa
 中心付近の最大風速 18m/s(35kt)
 最大瞬間風速 25m/s(50kt)
 15m/s以上の強風域 全域 190km(100NM)

 *台風3号がフィリピン北部の西海上(南シナ海)に発生しました。
 この台風は余り勢力を拡大することなく北東~南東に、
 ゆっくりと進むと予想されています。

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