今日は昨日会期が終了した『阿修羅』展について文字打ちしようか?
と考えていたのだけど嬉しいニュースを紹介。
『ヴァン・クライバーン国際音楽コンクール」で、
日本人若手ピアニストの辻井伸行さんが見事優勝。
目が不自由な幼少のころからピアのを研鑽と現在20歳の栄光。
ヴァン・クライバーン(アメリカのピアニスト)は、
権威あるチャイコフスキーピアノコンクールの初優勝者(1958年=第1回)。
冷戦時代のソビエトで開催されたコンクールでのアメリカ人の優勝は、
祖国アメリカで歓喜を持って迎えられその彼の功績を讃え、
1962年から彼の名を冠にした音楽コンクールを開催。
日本人ピアニストとしては、1969年に野島稔さんが第2位。
ただし西欧系からの優勝者は1人もおらず、
審査基準に西欧の音楽コンクールとの隔たりがあるとされる。
盲目の音楽家としては、
ポピュラー界のスティービー・ワンダーやレイ・チャールズ。
演奏者史上最も偉大なオルガニストのヘルムート・ヴァルヒャ。
等が私の記憶に強く残っている。
テレビ・ニュースでチラッと音を聴いた限りは、
明晰とまでは言えないまでもコンテストの表現としては立派な演奏だと感じる。
ただし感動を与える奏者となるには音を聴いて音楽を作るのではなく、
音と会話しながら自分の音楽を創ることが肝要であり現在はその域ではない。
(厳しい言い方になるが芸術表現に身体のハンディは言い訳にならない。)
「目が見えない分、音について異常に敏感になる。」
「目が見えないことで感じる孤独と救いとしての楽器演奏。」
「楽器が唯一の友人であり楽器をマスターすることで自尊心を高めた。」
とのスティービー・ワンダーのインタビューを読んだ記憶がある。
(当然のこととして辻井さんの心情と同一視することはできないが…。)
スティービーワンダーの言葉の意味を推測するに…、
自分の足りない部分をクヨクヨと悩み悔やむのではなく、
自分の持っている長所をどのように伸ばすことができるのか?
長所を伸ばすことによって自己の内なる孤独との戦いに打ち勝ち、
自分の存在意義を社会に訴えかける自尊心(プライド)の高揚。
言葉にするに易し。
健常な我々には彼等の心情や苦悩(そして喜び)を知るよしはない。
言葉で書くよりも数倍も困難な自己認識を支えた家族の功績。
何よりも身体的ハンディを背負っている人に与えた希望。
辻井伸行さんの絶え間ない努力に満ちた20年の人生と、
彼をささえた方々の決して諦めることのない希望と情熱に
惜しみない拍手を贈りたい。
おめでとうございます。