なぜ、被災者は、被災地にとどまっているのか?
私の住む石川県では3月に能登沖地震にみまわれ、能登半島北部を中心にに大きな被害がでた。
私の住居は石川の最南部に位置し、最初の揺れこそ驚いたが、その後は大きな余震もなく、不都合な生活を強いられることはなかった。
リアル・タイムに伝わる、テレビ報道を見ていた家人が、「能登までは、行けないけど、近所に来てくれていれば、差し入れを持って、毎日お話くらいは、聞きに行けるのにね。」と話していた。。
私もなぜ震災に見舞われ、その後10日間以上大きく揺れ続けると分かっていながら、設備の損傷したその地域に隔離するようにとどまらせるのかいつも疑問に思う。
例えば、石川県なら県都金沢には、冷暖房施設の整った4館からなる産業展示館が、被災地から車で90分に位置し、なぜそこを県知事命令等で開放しないのか疑問に思った。
今回の新潟沖地震においても一万人を超える多くの方達が地震発生直後に災害地域内の避難所に待機しているにもかかわらず、新潟県では県の施設を開放すると言った事例を聞いてはいない。
調べてみると新潟県にも、新潟産業振興センター(延床面積8,719平方メートル)をはじめ、多くの体育館やイベント・ホールが存在する。それぞれの場所が、お手洗いや冷暖房を完備し、近隣には生活用品を自由に手に入れる環境も整っている。
私的な考えではあるが、被災者には、罹災証明書が配布されると聞いているが、それを待つまでもなく被災地域に住むと認められる証明書(免許書でも保険証でも)を提示しさえすれば、県下の指定公共施設にどこでも移動できる手続きがマニュアル化されていれば、災害弱者と言われる老人や児童は、すみやかに安全で比較的快適な場所に避難できたのではないだろうか?
災害援助や医療保護も身動きのとりづらい被災地区よりも近隣の被災地区以外の被災者避難場所があれば、救援物資配送の集中や混雑。それにともなうや延滞(あるいは過剰ーそれに伴う廃棄物)が削減できそうだ。
今回の柏崎の震災も震源地から50キロ、100キロと離れた地点は、避難所として安全が、確保されている場所も多くあったと思う。
本当なら、初期発動で、県都が指示できればよかったのだが前例がなく、阪神大震災以後も被災者の安全確保はおざなりにされている。
明日はなぜ、そうした施設が開放できないのか考えてみたい。
私の住む石川県では3月に能登沖地震にみまわれ、能登半島北部を中心にに大きな被害がでた。
私の住居は石川の最南部に位置し、最初の揺れこそ驚いたが、その後は大きな余震もなく、不都合な生活を強いられることはなかった。
リアル・タイムに伝わる、テレビ報道を見ていた家人が、「能登までは、行けないけど、近所に来てくれていれば、差し入れを持って、毎日お話くらいは、聞きに行けるのにね。」と話していた。。
私もなぜ震災に見舞われ、その後10日間以上大きく揺れ続けると分かっていながら、設備の損傷したその地域に隔離するようにとどまらせるのかいつも疑問に思う。
例えば、石川県なら県都金沢には、冷暖房施設の整った4館からなる産業展示館が、被災地から車で90分に位置し、なぜそこを県知事命令等で開放しないのか疑問に思った。
今回の新潟沖地震においても一万人を超える多くの方達が地震発生直後に災害地域内の避難所に待機しているにもかかわらず、新潟県では県の施設を開放すると言った事例を聞いてはいない。
調べてみると新潟県にも、新潟産業振興センター(延床面積8,719平方メートル)をはじめ、多くの体育館やイベント・ホールが存在する。それぞれの場所が、お手洗いや冷暖房を完備し、近隣には生活用品を自由に手に入れる環境も整っている。
私的な考えではあるが、被災者には、罹災証明書が配布されると聞いているが、それを待つまでもなく被災地域に住むと認められる証明書(免許書でも保険証でも)を提示しさえすれば、県下の指定公共施設にどこでも移動できる手続きがマニュアル化されていれば、災害弱者と言われる老人や児童は、すみやかに安全で比較的快適な場所に避難できたのではないだろうか?
災害援助や医療保護も身動きのとりづらい被災地区よりも近隣の被災地区以外の被災者避難場所があれば、救援物資配送の集中や混雑。それにともなうや延滞(あるいは過剰ーそれに伴う廃棄物)が削減できそうだ。
今回の柏崎の震災も震源地から50キロ、100キロと離れた地点は、避難所として安全が、確保されている場所も多くあったと思う。
本当なら、初期発動で、県都が指示できればよかったのだが前例がなく、阪神大震災以後も被災者の安全確保はおざなりにされている。
明日はなぜ、そうした施設が開放できないのか考えてみたい。